第9話 ミチザネ、デートをする

「無論だ。京の都に戻るより優先すべきことなど、この世界に一つとてない」


「やだやだやだ、そんなの寂しすぎる。この村に来て二十年、やっとわたしにも春が来たと思ったのに、もうお別れなんて絶対嫌」


「ならば一緒に来るか? 私も魔法についてはまだまだ教わりたいこともある。あるいはこの技法こそが、京に戻った際私の復讐に欠かせないピースとなるかもしれん」


 実際ミチザネはこの一ヶ月、非情に精力的に魔術の学びを深めていた。元来勉強が好きな学者気質の彼にとって、見たこともない技術とその学問の懐の深さは大いに惹きつけられるものがあった。


「ううー、そうしたいけど、この村でのフィールドワークはあと二十年くらいかかるし。それまで待ってもらうのってダメ?」

「話にならな……待て、何の魔法を使おうとしている?」


 ミチザネが焦った声を出す。サフィは棚から魔法の触媒を取り出し、左手を彼に向けているところだった。


「足萎えの魔法。大丈夫。二十年間横でわたしがつきっきりで魔法教えてあげるし、トイレもご飯も面倒見るし、体も毎日拭いてあげるから」


「待て待て待て、分かった、出ていかない。出ていかない……すぐには」

「本当に?」


「ああ」

「ホントにホント?」


「……ああ」

「よかったー」

 魔女は安堵した様子で媒体を箱に戻した。


「それじゃ今日はわたしのとっておきの魔法を教えちゃおうかな。相手を眠らせる魔法なんだけど、範囲がすごく広くて、この屋敷一つなら軽々包み込めるの。それともー、今日はもうベッドに行く? 魔女四十八手もまだまだ試してないやつあるし」


「……魔法で頼む」


 魔女の家で、夜が更けていく。




 さらに四日が過ぎた。魔術の深奥はどこまでも深く、ミチザネは大学寮にいたころと同様に勉学に没頭する日々を過ごしていた。


「今日は村の市が立つ日だし、買い出し行こうか」


 髪をポニーテールに束ねたサフィが言った。彼女はいつもの白シャツではなく、体にぴったりとしたワンピースを着ている。


「デートだからね、弟子デート。たまには可愛い服も着てやらないと」

「良く似合ってる。その髪型とも合うな」

「ふふーん、そうでしょ」


 村の市は、大繁盛とはいかなかったが、確かにこの世界に来てからミチザネが見た中でもっとも多く人が集まっていた。村の広場にゴザを敷き、果物、乾物、縄で編んだかごや紐などを持ち寄った村人が威勢のいい声で売り込みをしている。屋台もいくつか並んでいた。甘い香りや炊き出しの煙などが入り交じっていたが、嫌なニオイではなかった。


 道で見かけるのは只人ヒュームと獣人が多い。魔女の存在は村の周知の事実であるらしく、あちこちでひそひそ声がささやかれ、物珍しげ、あるいは疎ましげな視線を向けられた。

 サフィは気にする様子もなく、日用品の他に魔法の触媒になる植物や鉱石を買っている。


 猫族の子供が一人、買ってもらった木彫りのおもちゃではしゃぎ、サフィの前で派手に転んだ。膝をすりむいたらしく泣き出してしまっている。


「あらあら、ほーら僕、見てごらん」


 魔女はひざまづくと、子供の前に握った手を持っていく。開くと大輪の白い花が現れた。彼女がもう一度手を握り、開くと今度は黄色の花が二つ。


「まだまだ」


 両手を握り、小さく呪文を唱えて手を離すと、赤白紫青、色とりどりの小振りな花が次々とわき出した。


「わぁー」


 子供が感嘆した声を出す。


「その子に触らないで!」


 大きな声が響いた。前掛けをした猫族の母親が血相を変えて走ってくると、ぶつかるかのような勢いで子供を抱き抱える。母親はサフィを睨みつけたが、何も言わず子供を抱えて走り去った。あとにはお椀一杯の花々と子供のおもちゃが取り残された。


「僕ぅー、ここ置いておくからねえ」


 魔女は気分を害した様子もなくそう言うと、手近な屋台のカウンターにおもちゃを置いた。一部始終を見ていたはずの店主は、まるでサフィの姿が目に映っていないかのように客への呼びかけを続けている。


 ……ふん、まあ驚くには値しない。ミチザネは思った。


 貧しい田舎と異物の魔女。彼がかつていた平安の世の常識を思えば、むしろ石を投げられないのが不思議なくらいだったが、魔女の力への畏れがあるのだろう。世界が変わろうが、人間の本質は変わらないな。


 サフィがケロリとした顔でミチザネに向き直ったのと、村の哨戒の鐘が激しく鳴らされたのはほぼ同時であった。


 只人の男が村の入り口から走ってきた。しきりに後ろを気にしている。


「ば、化け物だ。でかくて、速い」


 そう言った直後、長い尾が彼を吹き飛ばした。尾の持ち主は、恐ろしい速さで体をくねらせて広場に進み、鎌首を持ち上げて周囲を睥睨した。


「蛇……でいいのか? でかいな」


 舌を出し、シューシューと周囲を威嚇する大蛇を見上げてミチザネが言った。彼の怜悧な頭脳は早速この場所から逃げ出す最良の経路を考え始めていた。


「あれは、古き蛇リンドブルム」とサフィ。「気をつけて、只人なんて一呑みだから」


 大蛇は頭から尻尾までで八メートル近くもある。堅そうな鱗と恐ろしい一対の牙を持っていた。


 村の自警団が武器を持って駆けつけてきた。その中には犬狼族のバウ・ローやミチザネに因縁を付けてきたハーフリングたちもいる。


 戦いは一方的だった。筋肉の塊のようなリントヴルムが頭や尾を大きく振るうごとに自警団は吹き飛び、木造の民家の壁に打ち付けられた。反対に彼らのなまくらな剣や槍は鱗にはじかれ、あるいは刺さっても表皮をわずかに傷つけるだけであった。


「ぎゃあああ、助け、助けてくれええ!」


 先日ミチザネにやられたフードの男が大蛇のとぐろに巻き取られた。リンドヴルムがその恐ろしい顔を男に近づけ長い牙の間からチロチロと舌を出す。


「いけない」


 魔女サフィが斜めがけカバンから魔法の触媒を取り出した。


「待て」


 ミチザネが言った。

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最凶怨霊は復讐がしたい  ~ミチザネの異世界冒険譚~ 春風トンブクトゥ @harukazetombouctou

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