「……ナマケモノ症候群?」


 翌日、病院のベッドで目覚めた俺に、やってきた医者はそう告げた。


「何すか、その病名? 聞いた事ないんですけど」

「それもそうでしょう。何しろ一億人に一人の割合でしか発症しないという、極めて例の少ない奇病ですから」


 何だその宝くじの一等に当選するみたいな確率。しかもそれで手に入るのが病気とか、全然嬉しくない。


「この病気を発症したものは、一日のうち四時間ほどしか活動が出来なくなります。それ以上はどんな状態であろうと、強烈な睡魔に襲われるのです」


 強烈な睡魔……きっと菜摘の前で倒れたアレだ。確かに俺はあの眠気に、全く抗う事が出来なかった。


「加えて身体機能が、著しく低下します。激しく動けば、それだけで命の危険に関わるでしょう」


 それは正直、現在進行形で感じてる。何しろ体が死ぬほど重くて、ただ手を動かすのすらも大変な状態だ。

 ほとんど起きていられず、体もゆっくりとしか動かせない。それがこの病気が、「ナマケモノ症候群」と呼ばれる所以なんだろう。


「……治るんすか。この病気」


 死ぬほど不安になりながら、俺は一番気になる事を口にした。もしこの先、一生このままだったら。考えただけで、頭がおかしくなりそうだった。


「……現在の医療技術では、必ず、とは言い切れないのが現状です」


 そんな俺に医者が告げたのは、残酷な現実だった。


「何しろ症例の、極めて低い病です。明確な治療法は、現時点で確立されていません」

「……」

「ですが、希望が全くない訳ではありません」


 絶望感に沈みそうになる俺に、医者は続ける。


「海外に、この病気を専門に研究している医療チームがいるそうです。そちらに診てもらう事が出来れば、あるいは、元のように暮らせるようになるかもしれません」

「……本当に?」

「ええ。ただし、長い戦いになるでしょう。それに治療費も、それだけ高額になります」


 息を飲む。それでも。それでも、元通りに暮らせる可能性があるのなら。


「ご家族には既に、同様の話をしてあります。皆さんでよく話し合った上で、どうするのか決めて下さい」


 そう言った医者に、俺は、深く頷き返した。



 それからがなかなか大変だった。

 まず大変だったのは、治療費の工面だ。クラウドファウンディングを募ってみたものの、知名度が低い上冗談みたいな病名のせいで、最初は集まりがあまり良くなかった。

 それでも弟が宣伝を頑張ってくれた甲斐もあり、何とか当座の治療費を用意する事が出来た。弟にはもう、一生頭が上がらないと思う。

 次にパスポートの準備。何しろ一日四時間しか起きていられない上に、体もゆっくりとしか動かせない。それでも何とか手続きを終えて、これでようやく出国の準備が整った。


 ——だけれども。俺にはどうしても一つだけ、心残りがあった。

 俺はあれから一度も、菜摘に会えていない。病室内はスマホ使用禁止だったし、家族以外との面会も許可されなかった。

 あの告白の返事を、まだ俺は出来ていない。それも、あんな別れ方をしたままで。

 このままで本当にいいのか。このまま日本を離れてしまって、本当に後悔しないのか。

 いつ帰ってこれるかも解らない。そもそも返事をしていない。そんな状態で、菜摘が待っててくれる保証なんてどこにもないのに。


(……会おう。菜摘に)


 そうだ。「いつか」なんて不確かなものに、縋ってなんかいられない。

 命懸けになるかもしれない。家族も医者も協力してはくれないだろうし、だからここから菜摘の家まで自分の足で行くしかない。

 それでも、俺は、菜摘に直接会って伝えたいんだ。


「……やってやる。絶対に」


 そう決意して、俺は、細くなり始めた拳を強く握り締めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る