第9話

「おはよう、美月」

 と、爽やかに現れた流花を駅の改札で出迎える。

 流花も美月が待っていることを想定していたのか、初めから校舎に向かうことはせず、直接改札の方へとやってきた。

「相変わらず元気だね」

 流花の爽やかさは眩しいほどで、もやしっ子のように、夏休みにあまり出歩かなかった美月とは対極に位置するような人だ。


「そう?これでも新学期が始まる現実に、世界を滅ぼしたい気分なんだけど」

 流花はかぶっていたヘルメットをとって、自転車を降りる。

 清風学園では、自転車で通学する生徒は例外なくヘルメットの着用を義務付けられていた。

 世間的にも義務化はされているので、当たり前の話なのだが、生徒にとってはこの上なく不評であった。

 ダサい、めんどくさい、蒸れる。

 主な反対理由はこの3点だが、どれも免除される理由にはならず、生徒も教師も例外なく皆がヘルメットをかぶっていた。


 しかし、新学期が始まるだけで滅ぼされる世界もかわいそうだ。

「奇遇ね。私も呪っていたところよ」

 美月でも新学期を呪うだけで、滅ぼそうとまではいっていないのに。


「だよね。目が合ったときにまるでこの世の終わりのような顔してたから、すぐにわかったわ」

「どんな顔よ、それ」

 美月は自分の頬に手を添えるが、触れたところでわかるはずもなく、どんなひどい顔をしていたのか想像するしかなかった。


 流花が自転車を押して坂道を登り始める。

 もう時刻は8時を少し過ぎたところ。

 早すぎるわけでもなく、遅すぎるわけでもない時間。


 美月もその後をすぐに追いかけた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 2学期の始業初日は、体育館での始業式と時短授業のみ。

 今日は時短授業で昼までだが、明日からは通常の時間割となる。

 夏休みの余韻は、今日だけだ。


 運悪く始業日の科目に当たってしまった教科では、夏休みの課題を提出し、あとは夏休みになにをしたのか、といった雑談でお茶を濁す時間。

 教師も学生も、夏休みが明けてすぐに勉強などしたくないのだ。


 一学期の終わり間際の席替えで、窓際の一番後ろの席を勝ちとった美月は、まだ夏の日差しを残している外をみていた。

 BGMはクラスメイトの夏休みの出来事。

 バイトに明け暮れていた日々の中で、サーフィンに出会い、今では早朝に一波堪能してから登校するサーファーになった者。

 リアカーを曳きながら徒歩でどこまで行けるか挑戦して、それをネットにアップしていた猛者。しかし同業ライバルが多く徒労の割に再生回数が伸びず、最後はリアカーを農家のおじさんに譲って、電車に乗って2時間で帰ってきた者。

 などなど、みんな何やら偉業を成し遂げようとした者や、何かに目覚めた者と充実した夏休みを過ごしていたようだ。


「山下はどんな夏休みだったんだ?」

 それまで笑いながら生徒の話を聞いていた教師が、ふと気づいたように美月に話題をふった。

 話題を振った教師は、日本史の教師でもあり、このクラスの担任でもある北条義隆その人。

 クラスの話を一通り聞いて、まだ話していないのは美月だけだった。


 美月は視線をクラスの中、義隆へとむけた。

「私は……」

 口を開こうとして、自分の夏休みの物語性のなさに戸惑う。

 本を読み、近所を散歩して、寮に置かれているピアノを弾いて…たまにバイトに行って。

 夏休みだからといって特別なことはしていなかった。

 バイトにも行っていたが、これといって面白いことがあったわけでもない。


 あえてしていた事といえば、学校によく行っていたくらいだ。

 バイト先と寮との間に学校はあり、部活をしている流花に会うために来ていたのだが。


「特にこれといって面白いことはしてなくて。本を読んだり、近所を散歩してたりしてました」

 これまでに出てきていたエピソードに比べたら明らかに弱い。

「読書か。山下らしくていいじゃないか。先生にもおすすめの本とか教えてくれよ」

「美月のおすすめ聴き始めたら、朝になっちゃいますよ」

 和かな義隆の提案を、流花が一蹴する。


「そうなのか?」

「そうですよ!美月は語り始めるとネタバレも含めて話しちゃうので、こないだなんてそれで喧嘩しちゃったんです」

「ちょっと流花!」

 流花の暴露話を止めようと、美月は声高に叫ぶが、クラスメイトの興味は止まらない。

 口々に『なになに?』や『ネタバレはよくない』といった声があがる。


「その話、興味あるな」

 義隆もそのクラスの空気に同調し、流花に話の続きを促す。

「ダメダメ!!絶対ダメ!ちょっと流花!その話は、パフェを奢って手打ちにしたでしょ」

 まるで裁判所の弁護士が検察官に異議を唱えるように、美月は流花の会話を遮る。

「あはは!ごめんごめん」

 流花も本気で話す気はなかったようで、お口チャックの仕草をして『貝になりまーす』と謎の言葉を残して沈黙した。


「ははは。まぁ気になる人は、美月本人から後で聞くように」

 義隆が不穏な締めの言葉で、場を終わらせる。

 ネタバレの話はそんな大層な話ではない。夏休みで今のようなおすすめの本の話になり、流花にミステリー小説をプレゼンしていたのだ。

 流花も興味を持ち、後日その本を貸そうとしたときに、『あともう一冊面白いのがあって、父親が犯人のミステリーなんだけど』とどこかのサイトでみた衝撃のオススメプレビューをそのまま伝えてしまい、その場が凍ってしまったのだ。

 その氷を溶かすために、流花の食い歩きに散々付き合わせてもらった。


『先生はどんな夏休みだったんですか?』

 クラスメイトの一人が質問する。

「そうだなぁ。僕は君たちみたいに長期休みではないけど、夏休み期間は湖畔のキャンプ場で2日ぐらい過ごしたなぁ」

『キャンプっておっちゃんっぽい』

『ガチソロキャンしてそう』

 と、口々に言うクラスメイト。

「湖に足つけて飲むビールは美味いんだぞ」

 その時を思い出しているのか、義隆は余韻に浸るように語る。


 焚き火で肉を焼きながらビールを飲んでいる。

 そんな豪快なイメージが、北条義隆にはお似合いだ。


 絵を描いてるなんて、今だに信じられないほど。

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