第2話 幽霊部屋

 こうして、ルリアとの奇妙な共同生活が始まった。


 奇妙な……とはいったが、特段、何があるわけではない。

 年の離れた子が年少者の面倒をみるために同室になることはままあったし、ルリア自身、全然手がかかる子どもではなかった。


 大貴族のお嬢様にありがちな「ナイフとフォークよりも重いものはもったことがない」だの「服も自分で着られない」だのとは無縁なしっかり者。たおやかな外見とは裏腹に、なんでもそつなくこなす。博愛主義で弱きを助け、誰とでもすぐに打ち解ける──天真てんしん爛漫らんまんで完全無欠な才女。


 寮で同室になってから、エマは、彼女が誰よりも早く起き出して、夜更けまで勉強に打ち込んでいるのを知った。



「……ねぇ、まだ寝ないの?」


「はい。エマ姉様はお休みになってくださいね」


「そりゃまぁ、遠慮なく寝るけど……」



 勉強机から顔を上げてにこにこと言うルリアに、エマは二段ベッドの下から顔を出して、ため息をついた。


 もともとそこはルリアと同室の子が使っていて、ルリアの寝台は上にある。けれど、エマは同室になってから、ルリアが二段ベッドの上にのぼるのを見たことがなかった。



(一人部屋だったときは、夜に寮から抜け出すのもラクだったのに……)



 げんなりと思った。

 先生たちに内緒で夜の繁華街に繰り出して、ちょっとした夜遊びをするのがエマの楽しみだった。

 といっても、十四歳の少女である。出店で菓子を買ったり大道芸を観たりが精々だが、それでも、寮暮らしの巫女見習いとしては十分すぎる冒険である。


 真面目に可憐な優等生をやっているルリアとは、つくづく正反対なのだった……ため息が出た。



「そんな必死こいて勉強して何になるわけ?」


「だって、勉強って楽しいんですよ。新しいことを知るのってわくわくしませんか?」



 ルリアが言う。にここにと。

 あぁ、まただ……とエマは思う。

 誰に対しても、同じ笑顔なのが。

 ──…………気持ち悪い。



「……。なんでそんなに貼り付けたみたいに笑うの?」


「え……?」


「普通、ここに入ってくる子って家族とか友達を恋しがったりするの。小さい子ほどそう。でもあなた、編入して日が浅いのにいつもずっと笑顔だよね。誰にでも優しくて明るくて裏表がなくて。そういうのって……気持ち悪い」



 誰でもいいみたいだ、と思った。

 自分以外の誰にも気をゆるしていない。気をゆるしていないから傷付けられないように、笑顔でいる──……そんな子ども。


 まわりに誰がいても本当はどうでもよくて。自分の目的を果たすためなら、──……そんな子どもが、誰にでも優しく振る舞って、天使のようだともてはやされている……そんなふうに思った。


 燭台に照らされて、ルリアの顔色は悪い。光の加減でそう見えるのかもしれなかったけれど。

 エマの心がチクリと痛んだ。



「な、何よ……何か文句ある?」


「……ごめんなさい。私、これしかできなくて」



 ルリアがそう言った途端──

 エマは、なぜだか、みじめで泣きたい気持ちになった。


 ……これしかできないって何だ。

 エマができないこと、なんでもできるのに。


 そう悟った途端、エマはルリアに優しくできない理由に思いたった──嫉妬しっと

 カッと頬が火照った。何してるんだろう、自分よりも四つも下の女の子に。



「あっ、そう。勝手にすれば?」


「はい。あの……エマ姉様」


「何よ」


「……おやすみなさい」



 きっとエマの方を見て笑顔で言ったのだろう。いつもの天使みたいな微笑みで。でも、エマは寝入ったふりをして返事をしなかった。そのうち、本当に眠りに落ちた。


 ──異変に気付いたのは、夜更けだった。


 濃い夜の気配がした。

 燭台の火は消えていて、闇は依然として深く、夜明けは遠い。



「……っ! ……──!」



 荒い息遣いがした。二段ベッドの上段をのぞき込むと、ルリアが胸を掻きむしりながらもだえていた。……目を固くつむっている。



「……ちょっと。どうしたの。……ねぇ!」



 ぞっとして肩を揺すった。このうなされ方。タダ事じゃない。



「起きて。ねぇったら! ……あ、ぅっ……!」



 エマの背中に、小さな爪が食い込んだ。しがみついたルリアが力任せにつかんだのだ。四つも下とは思えないほどの力だった。



「……ごめん、な、さい……」



 ルリアが言った。意識を取り戻したかと思った。……違った。

 もしも亡者が喋ったら、こんな慟哭どうこくになるのだろうという呪詛じゅそじみた音の連なりがほとばしった。



「ごめんなさいゴメんなさいごめンナさいごめんnaさいごめんなさいごメんなさいごめんなsaいぃぃぃぃ…………!」



(…………っ!?)



 ゾクリとした悪寒が背筋を走った。

 しがみついた子どもは泣いていた。意識がないままに。


 小さな背中にそろそろと手を回すと、ルリアの身体が硬直したみたいにビクンと跳ねた。まるっきり意思を介さない痙攣けいれんみたいな動き。



(……!)



 ──どうしたらいい。

 落ち着かせるには、どうしたら……。

 無意識のうちに、エマは歌っていた。

 魂送りではない……──子守歌。


 試練には合格したのに、一向に亡者を葬送おくることのできないエマにも歌えるもの。

 魂送りではなく、目的も意味もない。

 ただ旋律を奏でるだけの……──歌。


 やがて……──

 ルリアの身体から少しずつ力が抜けていった。

 強張りが解けるにつれて小さく震え出した子どもを、エマは辛抱強くあやした。



「…………エマ、ねえさま……?」



 ぼんやりとルリアが言った。

 幼い子どものような舌っ足らずな口調で。

 次第に状況を理解して、顔色をサッと変えた。



「私……っ」


「…………大丈夫?」


「ご、ごめんなさい……! 嫌! 嫌ぁ……!」


「ちょっ……! 落ち着きなって」


「ごめんなさい……ごめんなさいゆるしてお父様……!」



(お、『お父様』……?)



 焦った。また狂ったようになるかと思った。

 ルリアは縮こまってガタガタ震えている。


 ──思い出した。

 ……彼女が誰にも心をゆるしていないと思ったこと。


 ルリアが身体を強ばらせるのにもかまわず抱きしめた。



「……大丈夫。大丈夫よ」


「…………っ。──……!」


「誰もあなたを傷付けたりしない……大丈夫だから」



 ルリアの黄玉色の瞳が、かすかに見開かれた。

 次いで、くしゃりと顔をゆがめた。

 白磁の頬がぽろぽろと涙で濡れていった。



「うわぁぁ……ん!」



 エマの胸に顔をうずめて、ルリアは幼い子どものようにぽろぽろ泣いた。

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