第1話 優等生と不良少女

 このままじゃ卒業どころか進級も危ういわよ……。


 そう言ってため息をついたのは、イリーダ・アルゴール──隣国グリモアから派遣されていた客員教官だった。


 亡者討伐に関して先進的なノワール王国には、国外からも巫女たちが学びに訪れる。中には、各地の聖堂に所属して教鞭きょうべんをとる者もいて、イリーダはそのひとりだった。



「勉強はともかく、素行の方はなんとかならないの。……また同級生に手を出して泣かせたんですって?」


「あれは、その……向こうが悪いんです。私がいつまで経っても魂送たまおくりできないの、わらうから……」



 教官室に呼び出された十四歳のエマは、開き直ってぷいと視線を逸らした。……いつものことだ。大抵の教官たちはエマの扱いに手を焼いていて、最近はまともに取りあわない。


 でも、異国からやってきたこのうたい手は別だった。


 聖女アウグスタの試練には合格しても、いつまで経っても魂送りできず、周囲ともなじめないエマに対しても平等に扱ってくれた。


 イリーダは慈愛に満ちた瞳で、エマの肩に手を置いた。



「あなたの場合は、その肌の色でもやっかまれるのでしょうね。南方の民族は、この辺りではめずらしいから。でも、私は好きよ。あなたの誇り高さも」


「……卑屈、の間違いじゃないですか?」


「そんなふうに自分を卑下するものじゃないわ」


「……。そういう性格なので……」



 ちょっと困って、エマは言う。

 イリーダと話していると調子が狂う。向こうのおっとりとしたペースに巻き込まれて、気付いたときには話があらぬ方向にいっていたりする……この日も、ちょうどそんな感じだった。



「それはそうと、あなた、寮でひとり部屋だったわよね? ちょっと面倒をみてほしい子がいるの」


「……はい?」



 耳を疑った。トラブルメーカーの自分に、こんなことを言う教官はいない──イリーダを除いて。

 イリーダは、おっとりと頬に手を当てた。



「最近、編入してきた子なんだけど、同室の子が他の部屋に逃げちゃって、ひとりになっちゃったのよ。まだ十歳だし、さすがにひとりにしておくのはちょっと心配で……」


「十歳って……ちょっと待った。うちの聖堂、十二歳が入学下限でしたよね?」


「飛び級なの。俗にいう天才少女、ね。学んでいる内容はもう最高学年に近いわ」


「なっ……!」



 金槌かなづちで頭をぶん殴られたような衝撃だった。素行不良かつ落第生の自分とは住む世界が違う。



「──お断りします」


「……うん。そういうことは話を最後までちゃんと聞いてから言ってね?」


「やっかい事の臭いしかしないです。何ですか、天才少女って。むしろ向こうが私のお目付役なんでしょ?」


「あらまぁ。勘ぐりすぎよー。ただ、同室の子が言うには、彼女といると幽霊が出るらしくてね? 寮でそんな噂が立ってもまずいから、他の子たちより神経図太そうなあなたに真相を確かめてほしくて──」


「ますますやっかい事の臭いしかしないじゃないですか。あと、笑顔でさらっとひどいこと言ってるし」



 ──そうやって逃げ回っても、ムダな足掻きなことはわかっていて……。


 結局、イリーダのペースに乗せられて押し切られたエマは、数日後には、寮の荷物をまとめて部屋を移ることになった。


 かたわらにはイリーダがニコニコと付き添って、一緒に荷物を運んでくれている。



「……はぁ。なんで私がこんなことに……」


「まぁまぁ。本当に、とってもいい子なのよ? あなたのことを話したら、お姉さんができるって喜んでたわ」


「まだ会ったこともないヤツと相部屋になるのに、喜ぶ気が知れない……。大体、私、あっちの名前も知らないし」


「あら、言ってなかったかしら?」



 聞いてません……、とエマはぶつくさ言った。イリーダにそんな文句を言ってもムダだと知っていたけれど。



「優しくてかわいらしい子よ。会ったら、あなたもきっと気に入るわ」



 イリーダが口にした名前は──……ルリア・エインズワース。それは、ノワール王国きっての大貴族の一人娘の名前だった。


 そうして──



「はじめまして──『エマ姉様』」



 エマに会った子どもはつぼみがほころぶように笑った。


 清楚なワンピースの背中に流れる、プラチナブロンドの髪。透き通るようにつぶらな黄玉色トパーズの瞳。

 神様が創った最高傑作みたいな女の子──それがルリア・エインズワースだった。


 にこにこと手を差し出してくる十歳の子どもを見て、エマは……全力で引いた。


 何、この社交性の高さ。

 日陰者の自分を照らす太陽のようなまぶしさ。

 何より、誰にでも向けられる天使のような微笑み。



「………。…………気持ち悪い」



 思わず言った自分に、かたわらのイリーダがピシリと固まった。

 宙ぶらりんになったルリアの手が、何もつかめずに空を切った。

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