第3話 悪魔の微笑み

「すみません、でした……」



 泣きやんで落ち着きを取り戻したルリアの、第一声がそれだった。寝台の上にちょこんと座って、消え入りそうに首を縮めている。


 ──幽霊が出ると怖がって、部屋を出ていったというルームメイト。正体は、幽霊でもなんでもなくて……。



「もしかして、いつもこうなの……?」


「み、見られたことはなかったんです……っ」



 頬を赤らめて弁明する。おそらくルームメイトが寝静まった後に取り乱して、寝ぼけていたから幽霊だと思われたのだろう。


 それにしても……──



「あなた、ちゃんと寝てる……?」


「……あんまり……寝ても悪夢にうなされるので」



 そういえば、とエマも思い出す。

 食堂で見かけたけど、驚くほど小食だった。



「身体壊すわよ……?」


「……すみません……」


「眠れないんなら、医務室で先生から薬をもらった方がいいよ。私からも言ってあげる」


「……っ! 先生たちには言わないで! お願い!」


「あのね、自分の状態わかってる? 普通じゃないよ。どう見てもビョーキ。悪いことは言わないわ。朝になったら、イリーダ先生にもこのことを報告して──」


「…………」



 ルリアは思い詰めたような顔をした。黄玉色の瞳を泳がせて……やがて意を決したように、キッと顔を上げた。


 年長者であるエマの言うとおりにする気になったか……と思いきや。



「──エマ姉様の机の、一番下の引き出しにある『二重底』……」


「は?」



 エマは思わず間の抜けた声を出した。


 ……二重底?

 ──の細工をしたのを、どうして彼女が……!?



「カンニングペーパー、隠してますよね。赤点回避用の」


「……なっ!?」



 ルリアの黄玉色の瞳がキラーンと暗い光を放った。……嫌な予感しかしない。



「三日前の無断外出で使った縄ばしごの隠し場所は、蔵書準備室の屋根裏ですね……? ベランダからもみの木に跳び移って外門を乗り越えてるなんて、誰も思いませんものね。あれが先生たちにバレたら謹慎処分は確実──」


「……──ちょっ! 脅迫する気!?」 


「すみません! でも、これしかないんです……っ」



 ……恐るべき十歳児だった。

 天使でもなんでもない、と確信した。悪魔の所業だ。

 たった数日で年上のルームメイトのプライベートを根こそぎ暴いてる……!



「そんなに『お父様』のところに戻されちゃうのが怖いワケ?」



 泳いだ黄玉色の瞳が図星を告げて……やがてこっくりとうなずいた。


 エインズワース公爵家といえば、御前会議にも出るような由緒正しい格式の大貴族だった。召使いたちにかしずかれて一生、何不自由するのことのない貴族のお家柄。


 ……ずいぶんイメージと違う。



「……お貴族様もいろいろあるのね……」



 ふと、さっき真面目に「脅迫」してきたルリアの顔を思い出して。くつくつと笑いが漏れた。


 エインズワース公爵家よりも、この少女の本性の方が、よっぽどイメージと違って──エマの性に合う。



「わかった、先生たちには言わない。その代わり、あんたも私の秘密、黙っててよね。……私たち、運命共同体だからね」



 自分で脅迫しておきながら、ルリアはちょっときょとんとした。



「…………ね、勉強教えてよ。あんたがうなされてたら、また子守歌を歌ってあげる。それでおあいこってことで、どう?」



 エマの提案を、咀嚼そしゃくすることしばし──


 ルリアの顔が、ぱっと明るくなった。

 誰にでも向ける天使の微笑みとは違って、ちょっと照れたようなくすぐったそうな笑顔。



「任せてください。エマ姉様に赤点はとらせませんっ」


「あ、あはははー……」



 ……スパルタな特訓を予感して、エマは視線を明後日の方向に泳がせた。

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