第三話 花の名前
〝ねぇ、これは何ていう花なの?〟
「ん? あぁ、これはセイヨウサンザシだよ。皮膚の炎症を鎮めてくれる効能があるんだ。それに、この実をラズベリーと一緒にジャムにすると、美味いんだ」
プリムラとグレビレアは、山菜を採るために、近くの山の麓にきていた。
〝あなたは、どうして氷売りをしているの?〟
「どうして、か。そうだなぁ……。僕ね、元々は冬が嫌いだったんだ。寒いし、中々外に遊びに行けないし、体調だって崩しやすい時期だし……嫌なことしかないなぁって。冬を生み出す氷の国は、神様がお創りになったって云われているけど、どうしてわざわざ冬を作ったのかって、不思議でならなかったんだよ」
それは、プリムラも疑問に思ったことがあった。
冬は、必要なものなのか。なくても困らないのではないか、と。
「でもね、ここ最近になって、気づいたんだ。冬の空気は澄んでいて綺麗だし、美しい星だってよく見える。肌を撫でる冷たさが、この身体を流れる温かな血潮の存在を実感させてくれる。……冬があるから、迎える柔らかな春を、心から愛おしめるんだってね」
春を知らないプリムラには、グレビレアの言っている言葉の半分の意味もわからなかったが、とりあえず、頷いて返した。
何故かはわからないが、優しい顔で話しているグレビレアの表情を、もっと見ていたいと思ったから。
「プリムラ」
〝なに?〟
「いや、君の名前って、冬に咲く花の名前だなって思って」
〝そうなの?〟
「あぁ。色鮮やかで、とても綺麗な花なんだ。いつか君にも見せてあげたいな」
グレビレアは、プリムラの目を見て微笑んだ。
すると、グレビレアの身体の真ん中あたりが、ぽかぽかしてくる。
お日様に向けて手をかざした時や、暖炉の揺らめく炎を見ていた時の感覚に、少し似ている。これも〝温かい〟ということなのだろうと、プリムラは思った。
グレビレアと共にいると、〝温かい〟と感じる場面がたくさんある。それはプリムラにとって、心地のよいものだった。
叶うのなら、彼のそばで、もっと〝温かいもの〟を感じていたい。プリムラの花だって、見てみたい。
けれど、グレビレアが言う〝いつか〟の日が訪れることはないことを、プリムラは知っている。
「あ、そうだ。ちなみに言うと、僕の名前も、花の名前なんだよ」
〝そうなの? それはどんな花?〟
「多分ここら辺にも咲いていると思うよ。えーっとね……あった。これだよ」
グレビレアは、プリムラの頭に、赤い花を挿した。
「うん。君は花がよく似合うね。花の精みたいだ」
雪のように真っ白な髪に、鮮やかな赤い花がよく映えている。
グレビレアは満足そうに頷いた。
「この花だってそうだよ。寒い冬を耐え忍んで、綺麗な花を咲かせてくれる。多分僕は、そんなあたたかな日々が必ずやってくることを知っているから……だからこそ、寒い冬だって慈しむことができる。その日を待ち望みながら、氷を売っているんだ」
プリムラは、グレビレアの柔らかな表情に、目が釘付けになった。
――あぁ、この人は、寂寞たる冬景色の中に一人でいたとしても、塞ぎ込むことなく今を生きていくのだろう。
未来を信じて、心を寄せることのできる人なのだろうと。
プリムラは、そう思った。
その時。森の奥の方から、二人の男が現れた。
無精髭を生やした屈強そうな男たちは、グレビレアを見て、次にプリムラに目を向けると、ニヤニヤと気色の悪い笑みを広げる。
「プリムラ、下がっていて」
グレビレアが、一歩前に出た。
「兄ちゃんには勿体ない、良い女だなぁ」
「姉ちゃん、俺らの相手をしてくれよ」
男たちはプリムラに触れようとするが、グレビレアがその手を払った。
「彼女に触るな」
「いっ……てぇなあ、おい!」
手を払われた男は、その顔から笑みを消し去ると、グレビレアに殴りかかってきた。拳を頬にモロに喰らったグレビレアはよろめきながらも、鋭い眼差しで男たちを見据えたまま、プリムラを守ろうとする。
「ははっ、ヒーロー気取りかぁ?」
「弱いくせに、威勢だけはいいようだが……今のうちに大人しく尻尾を巻いて逃げれば、これ以上痛い目を見なくてもすむんだぜ?」
男たちは嘲笑しながら、再び、グレビレアに向けて拳を振るおうとする。
――グレビレアが、また殴られてしまう。
「……凍れ」
プリムラが、小さな声で呟く。
すると、男たちの足元が、ピキピキと音を立てて凍り始めた。
「ひっ、何だよこれ……」
へらへら笑っていた男たちは、突然の怪奇現象に顔を青ざめて狼狽えている。
「爆ぜろ」
もう一度プリムラが呟けば、氷はパリーンッ! と音を立てて砕け散った。小さな氷の粒が、陽の光に反射してキラキラと宙に舞っている。
「ひっ……気味がワリィ!」
「もう行こうぜ!」
男たちはそう言うと、背を向けて森の奥の方へ行ってしまった。
――そう。プリムラは、半ば反射的に、氷の女王の力を使ってしまったのだ。
「もしかして今のは、プリムラがやったの?」
グレビレアが尋ねる。
けれどプリムラは、口を閉ざしたまま、俯いた。
「……ありがとう。プリムラは、優しいね」
だんまりを決め込んでいるプリムラを問いただすこともなく、グレビレアは穏やかな声音でお礼を告げる。
〝どうして、お礼を言うの?〟
「どうしてって……君は僕を助けてくれたから。お礼を言うのは当然だよ」
〝あなたは私が、こわくはないの?〟
「こわい?」
グレビレアは、キョトンとした顔でアイスグリーンの瞳を瞬いて、けれどすぐに、相好を崩して笑った。
「こわいわけがないよ。僕は、君がとても優しい人だって知っているからね。心の温かい人だって」
〝……いいえ。違うわ〟
「何が違うの?」
〝私が温かいはずがない。だって私の心は、氷のように冷たいはずだから〟
プリムラは、小さくかぶりを振る。
グレビレアには、無表情のはずのプリムラが、何故だか泣いているように見えた。
「……そんなことないよ。プリムラは優しくて、温かい」
――いいえ、そんなはずはない。
プリムラはもう一度、否定しようとした。
けれど、沿わせようとした指先を、そっと引っ込めた。
「優しくされると温かくなるし、優しいプリムラの心も、とても温かいものだ。ふふ、今日もたくさんの〝温かい〟を知れたね」
グレビレアは、まなじりを下げて微笑んだ。
その表情を瞳に映してしまえば、プリムラは、もう何も言えない。
だって、彼に〝温かい〟と言ってもらえたことが、思ってもらえたことが、真実ではなかったとしても……嬉しかったから。
「さぁ、そろそろ家へ帰ろうか」
グレビレアが差し出した手を、プリムラはそっと握る。温かな手だ。
グレビレアのおかげで、今日もたくさんの〝温かい〟を知ることができた。
けれど、プリムラにとっては。
グレビレアの存在が、何よりも温かで……離れ難いものになってしまったようだ。
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