第2話 主の名を聞いて

「ふむ。選んだもの、全てが外れだった、ということは最後の一つを選ぶ権利のある、某の勝ちですな」

「いいえ。この最後も印がついていない、ということもあるわ」

「それは、先ほど呼んだ女房殿に対して失礼なのではありませんか?」

「うっ!」


 少しだけ意地になっていたのだろう。指摘されるまで気がつけなかった。

 狐さんは七里に視線を送り、最後の一本を引くように促す。そして……。


「狐殿の勝利ですね。それで、彩姫様をどちらに連れて行くつもりですか? さすがに私までは無理でしょうから、行先だけでも教えてください」


 ここまで協力したのだから、いいでしょう、と言わんばかりの態度を狐さんに向ける七里。


「えぇ、構いません。話したところで、ついて来られる場所でもないので」

「そんな危ないところに、彩姫様を!?」

「危なくはありません。主様の居られるところですから」

「その主様とは、どなたなのですか?」


 さすがにそれは聞いておきたかった。すると、狐さんは口籠る。先ほどまで饒舌じょうぜつに話していたとは思えないほどに。

 しかし、私と七里を交互に見て観念したようだった。


「……時実様ときさねさまと申します」

「え?」


 私は驚きと同時に、不快感を露わにした。何故ならこの間まで文を交わしていた相手の名前が、まさに時実様だったからだ。



***



 狐さんの言う時実様が、私と文を交わしていた人物なのは定かではない。だからといって確認の仕様ができないのも、また事実だった。


 そもそも私は時実様が、どこの家の者なのも知らない。身分も、姿も。

 けれど文に書かれている手蹟しゅせきは綺麗で、使われている料紙や香りもいい。何より、内容がとても面白く。興味の惹かれるものばかりだったからだ。


 そこから私は、何となくだが各地を放浪している者だと思っていた。貴族でも、時折そういう者がいるとも聞くし、僧侶なのかもしれない、と一時期疑ったものだ。

 故に、どうしても狐さんの言う時実様が、私の時実様と一致しなかった。


 それなのに、何故かしら。同一人物だと、仄かに期待してしまう。

 一度でもいいから会いたい。そう思っていたからだろうか。そして相手も……時実様も望んでいると思いたいからかもしれなかった。


「狐さんは本来、このような大きさなのですか?」


 私は今、夕焼け空を駆ける狐さんの背中に乗っていた。出会った時は、本物の狐のような大きさだったのに。


「どちらでもありません。自分の意思で大きさを変えられます。手のひらの大きさにもなれますが、今ここでお見せすることができないのが残念です。貴女様を危険にさらされしてしまうと、某が主様に怒られてしまいます故」

「えぇ、勿論よ。安全第一でお願いね」


 確かに見てみたいとは思ってしまったけれど、さすがに空の上ではご遠慮願いたいわ。夕日がとても綺麗だけれど。


「そういえば、狐さんの主と同じ時実様から文をいただいたのは、今日みたいな夕日だったわ。赤と橙。紫色もあって、とても美しかった」

「主様も仰っていました。その夕日に照らされた貴女様を見て、この方に文を贈りたい、と」

「え? それでは……!」

「はい。しばらく前から返事が来なかった相手。貴女様と文のやり取りをしていた相手。それが我が主、時実様にございます」


 それを聞いた瞬間、私は嫌な予感がした。

 狐さんが私の元にやってきた理由は、連れて行くこと。それも時実様のところに。つまり、時実様は今、動けない状態なのだ。

 私に会いに来られない。けれど、会いたい。そう思って……。


「狐さん、急いでください」

「無論、そのつもりです」


 私は狐さんにしがみついて祈った。


 どうか、無事でいて、と。

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