勝負事に負けた夕彩姫は連れ去られる

有木珠乃

第1話 夕暮れの勝負

 夕暮れ時は、皆、忙しく動いている。


 食事の準備は勿論のこと、差し迫る夜に向けて各々、やることが多いのだ。特に恋する者へ届けるふみは、この夕暮れ時がよく似合う。

 それが秘めやかな恋であればあるほど、暗い夜よりも、薄暗くなるこの時間帯がうってつけである。文使いとして託される者にとってはいい迷惑かもしれないが。


 しかし私には、残念ながらそういった相手がいない。


彩姫様あやひめさま。またこちらにいらっしゃったんですか」


 私付の女房、七里しちりが呆れた口調で言い放つ。が、その顔は穏やかさそのもの。何故なら……。


「そういう七里は、抜け出したくて来たのでしょう」


 七里に割り振られる仕事は、意外と多い。何せ彼女は、私付の中でも特別な女房だったからだ。

 幼なじみであり、乳母めのとの娘。謂わる乳姉妹だった。


「さすがは彩姫様。分かっていても、咎めないんですよね」

「だって、私がここにいるのを七里が咎めないのと同じよ」


 そう、私は今、扇子も持たずに御簾みすの外、それも簀子縁すのこえんにいるのだ。さらに行儀悪く、柵に腕を置いて。

 中納言家の一の姫がはしたない! と言われてもおかしくはなかった。


「それで、今日は何を持って来てくれたの?」

「こちらも抜け目がないですね。今日は干し柿を持ってきました」


 小袿こうちぎの袖口から、七里はこっそりと巾着袋を取り出した。それを中身が取り易いように広げて見せる。

 すると、庭先から物音が聞こえてきた。


「何かしら」

「きっと、この干し柿につられてやってきたものでしょう」


 確かに。ここ中納言家の屋敷に怪しい者が入り込めば、たちまち捕らえられてしまうだろう。だからこそ、私が呑気に簀子縁にいられるというものである。


 七里の言葉が聞こえたのか、まるで応えるようにそのものは姿を現した。夕日の赤さに負けず劣らずな毛並みをした……。


「狐?」

「さよう。それがしは狐にございます」

「喋った!!」


 私の代わりに隣で驚く七里。お陰で私は、冷静にその狐を見ることができた。


 美しい毛並み。庭の砂利が薄っすらと、空の赤さに染まっていく中、まるでその化身のような姿に思えてならなかった。それくらい狐は凛とした目鼻立ちをしていたのだ。


 歩き方も品があり、私たちがいる簀子縁までやってくると、背筋を伸ばして行儀よく座って見せた。

 より近くなったせいだろうか。狐の体型は瘦せ細ってもおらず、だからといって太ってもいない。標準的な体型だった。

 もしかしたら、どこかの屋敷で飼われているのだろうか。または……。


「喋れるほどに賢い狐さん。こちらにはどのような用事でいらっしゃったの?」


 喋れる、ということは、誰かの遣いのものという可能性の方が高かった。そう、陰陽師の誰かの。


「本当に、この干し柿がほしいのかしら」

「いいえ。でもそうですね、姫君。某と勝負をしてみませんか?」

「勝負?」

「はい。勝負は何でも構いません。しかし、某が勝ちましたら、一緒に来ていただきたいところがあるんです」

「干し柿ではなくて?」


 先に違うと言いましたよね、という圧を感じ、咄嗟に私は勝負の内容へと考えを変えることにした。


 同じ人間同士なら、囲碁や貝合わせなどといった遊びが使えるけれど、狐……。駆けっこなどの体力を使った勝負事は、明らかに私の方が不利だった。


 狐さんもできて、且つ不公平にならない勝負事……。


「そうだわ。七里、私の机からこよりを取って来てくれない? 一つじゃなくて、そうね。七本くらい」

「構いませんが。もしかして、この者の話に乗るんですか?」

「えぇ。だって、折角来てくれたのよ。断るなんて失礼じゃない」


 それに面白そうだしね。

 面識のない狐さんが、私を連れて行きたい場所、というのも気になるし。狐さんの主もまた。


 私がニコリと笑うと、七里は一度目を閉じた後、観念したように立ち上がった。幼い時から共にいるため、言い出すと聞かないことを知っているのだ。

 私もまた、強引に押し通せば聞いてくれることを知っているため、ついつい甘えてしまう。


「こよりを使って、何をするのですか?」


 狐さんがさらに顔を上げて、七里の後ろ姿を目線で追う。簀子縁に手をかけないところなど、お行儀が良い。


「実はね。しばらく前から、ずっと文を交わしていた相手から返事が来なくて、料紙りょうしだけが溜まってしまったの。けれど、次から次へと可愛らしい料紙をお母様からいただいて……」


 少し困っていたのだ。お母様は恐らく、好いた殿方と文を交わしているのだろう、と勘違いしているらしく。それで上機嫌となり、次々と。


 あの方とは、そういう関係ではないのに。そもそも、知っているのはお名前だけで、どこの誰だかは、私も分からないのだ。

 故に深く尋ねられた時は、言葉を濁してやり過ごしていたほどだった。


「古い料紙から、こよりにしたり、小さな冊子にしたりしていたのよ。だから、そのこよりを使って、くじを作るの」

「くじ……ですか? 勝負事としては、些か単純といいますか、軽いといいますか。そちらが負けた時の内容をお忘れですか?」

「忘れていないわよ。それに、勝負なら平等でやりたいの。私と狐さんとでは、色々と違うでしょう?」


 納得できなければ、また考えればいいだけのこと。けれど狐さんは、私の想いを理解してくれた。


「いいでしょう。けれど某の手では、くじを引くことはできません。それはどうしますか?」

「七里が代役を務めるわ。狐さんが選んだこよりを引くの。目の前で見ていれば、不正なんてできないしね」

「確かに。けれど、くじを作るのが七里殿では、それも公平とは言い難いのでは?」

「なっ! 失礼ね! この私が、姫様が作った勝負事で、不正を働くとでも!」


 今にも簀子縁から降りて、狐さんに掴みかかろうとする七里の衣を抑えた。


「では、こうしましょう。七里。手の空いていそうな女房を一人、連れて来て」

「しかし、こんな怪しげな狐がいるのに、彩姫様を一人残してなど行けません」

「勝負事が済んでいないのに、私をどうこうなんてしないわよ。ねぇ?」


 そう促すと、狐さんは頷いて見せた。すると、七里も観念したのか「分かりました」と言って奥へ向かって行った。


 七里が戻ってくるまでの間、狐さんは私と話そうともせず、ただただそこにいるだけだった。その姿を見ていると、ただの狐にしか思えない。

 出会った時もそうだ。陰陽師の式神か何かなら、怖いと感じるのかもしれないが、そういう要素も気配もない。


 狐さんの主は優しい人物なのだろうか。それならば、会ってみたいとも感じてしまった。


「彩姫様。連れて参りました。如何なさるんですか?」


 そうこうしているうちに、七里が戻って来た。年は同じくらいだろうか。尋ねてはいるが、彼女に何をやらせようとしているのかは分かっているらしい。

 手の空いているものといっても、年配の女房や女童ではなかったのが、その証である。


「ここに七本、こよりがあるでしょう。一本だけ印をつけてほしいの。そうね、端に墨で色をつけてちょうだい。つけ終えたら、等間隔に並べてほしいの。端の方は布で隠して」


 私たちが何をやろうとしているのか、その女房は察しがついたようだった。七里が事前に用意していた墨に筆をつけ、言われた通りにこよりに手を伸ばした、ところで私は背を向ける。


 どれにつけたか、など見るのは違反行為だ。それは狐さんと七里も同じこと。私が背を向けたのと同時に、二人とも体の向きを変えた。


「彩姫様。できました」


 声をかけられて振り向くと、女房の前の床に七本のこよりと、その上にかけられた一枚の布があった。

 私は一つ頷いて、その女房を下がらせる。あとで七里を通して褒美をやらなければ。些細なものだから、たくさんある料紙を幾つか見繕って。


「さぁ、準備はできたわ。印がついたこよりを引き当てた方が負け。それでいいかしら」

「構いません。先行は如何なさいますか?」


 女房がいなくなったのを確認した狐さんが尋ねる。


「七里。碁石を一つ、持って来て。その時、私たちには見えないように握り締めてね」

「分かりました」

「なるほど、七里殿が持ってきた碁石を当てるというわけですか」

「えぇ。同じ勝負事でも、こっちは七里が味方だし、すぐに決まってしまう味気ないもの。それでは勿体ないでしょう。わざわざ狐さんが来たのに」


 すると、狐さんが驚いた表情をした。


「確かに、貴女様は面白いお方だ。主様が求めるのも分かる」

「主様?」


 やはり狐さんが連れて行きたい、というのは主の元らしい。私は益々、興味が湧いた。


「お待たせしました。それでは、どちらを選びますか?」


 七里はそういうと、真剣な眼差しで私の前に両手を差し出した。

 その腕と袖の長さ。七里の表情など。さすがは私付の女房。不正などしません! と顔に書いてあるようだった。


 思わずクスリと笑ってしまったが、それにも嫌な顔は見せない。この奇妙な出会い、勝負事にここまで付き合ってくれる人物も、そうそういないだろう。


 先ほどとは違う笑顔を七里に向けて、私は右を選んだ。


「では某は左を」

「ごめんなさいね、先に私が選んでしまって」

「いいえ。七里殿の手間をかけたのですから、これくらいは」


 こちらはこちらで、紳士的な狐さん。

 七里もそう感じたのか、狐さんの方を向いて、両手を広げた。せめてこれくらいは先に見る権利がある、とばかりに。


「おや、某の勝ちでしたな」

「そのようね。でも次は負けなくてよ」


 しかし私の勝負運は、元々良くなかったらしい。いや、日が悪いのだ。そう、きっと。

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