第12話 アイ ジャスト ウォント トゥ メイク ラヴ トゥ ユー






「お兄ちゃん。お兄ちゃん」


そんな声を夢現に聞きながら私は目を覚ました。

ゆっくりと開けて行く視界の真ん中に妹の奏美の顔があった。


「奏美…。おはよう」


私はそう言って毛布を引っ張ると、奏美に背を向けて頭まで隠した。


「もう、何か大変な事になってるよ」


大変な事…。

どうしたの…。

またミサイルでも飛んで来たの…。


「もう、お兄ちゃん」


何度もそう言う奏美の声に私は身体を起こした。


「何、どうしたの…」


まだ寝ていたい…。

それ程に昨日は疲れた。


私の瞼は自然に閉じて行く。

そんな私に奏美はスマホの画面を突き付けた。


「ほら、これ…」


私は何度も瞬きしながらその画面を見た。


「もう、ちゃんと見て」


奏美は私の肩を揺さぶる様にしてそう言う。


重い瞼に力一杯抵抗しながら、私はそのスマホの画面に流れる映像を見た。

それは昨日、アランで百井レンジと一緒にやったライブ映像だった。


「ああ…。これか…」


「これかじゃないわよ…。本日のネットニュースの第一位よ」


私はうんうんと頷く。


え…。

ネットニュース…。


私は頭を軽く振って目を覚ます。

そして私はベッドの中の何処かにある自分のスマホを探した。

私のスマホは足元に転がっていて、その冷たい画面が足に触れる感触でそれを見付けた。

スマホを手に取ると、SNSのメッセージが恐ろしい数を表示していた。


「何だ…」


私はベッドの上に立ち上がった。


「とりあえず、ご飯だって…。早く下に下りて来てね」


奏美は勢いよくドアを閉めて私の…、樹の部屋を出て行った。


私はそのメッセージを見ずにスマホの液晶に表示されている地獄をブラックアウトした。


とりあえず、私は着替える事にした。






私は上村樹…、として今は生きている水島桜子。

ある日、私と金髪で不良でお馬鹿な男子高校生の樹と入れ替わってしまい、二度目の高校生活を送っている。

そして、不良仲間のトオルたちとバンドをやる事になった。

そしてそのバンドに私と入れ替わったカナリアンハミングのサクラ、ややこしいけど樹が居て、今、世間を騒がせる程のバンドになってしまった。


昨日は、元旦だったけど、野音でサクラ…、樹…の先輩バンド、ドリーミングキャットの代役で演奏し、その後、トオルが仕事しているバーアランで、シアンズマゼンダを辞めたばかりの百井レンジとセッションした様子をサクラ…、樹がリアルタイムでネットに流してしまった。

それが、奏美が大騒ぎしている原因だった。






私は着替えを終えて、ベッドに座り込んだ。

そして、スマホを手に取ると、SNSのメッセージを開いた。


「お前、百井レンジと知り合いなの」


「おーい、有名人、レンジ様のサインもらって来て」


「お前、プロになるのか」


「ってか、どうなってんの」


なんてメッセージが友人たちから山盛り来ていた。


「思ったより凄い反響だね」


とこれを仕組んだサクラ…、樹からもメッセージが来ている。


「アラン前、凄い事になってるよ」


とトオルからもバーアランの前に居る報道陣の写真付きで…。


私は、樹にメッセージを入れる。


「ちょっとやり過ぎじゃないの…」


直ぐに樹から返信。


「反響あるっていい事じゃない…。アランのマスターも怒ってないし」


私は息を吐いて、立ち上がった。


階段を下りながら更にメッセージを見る。


「何か凄い事になってるね」


と桜井遥からもメッセージが来ていた。

私はこっちのサクラに返信した。


「ごめんな…。顔も映ってるし、怒られたりしなかった」


桜井遥の親が厳しい親なのかどうかもわからず、こんな事に巻き込んでしまった事を私は少し心配していた。


「おはよう…」


私は、スマホを見ながらダイニングに座る樹の父と母に挨拶をした。


「おう、有名人。おはよう」


と父は既に酔っている様子で、顔を赤くしてそう言う。


「先に顔洗ってらっしゃい」


と母はタオルを私に投げた。

私は「うん」と返事をして洗面所へと行き、冷たい水で顔を洗い、寝癖の付いた金髪にも水を付けて整えた。


ダイニングに戻ると、


「お兄ちゃん。百井レンジとも知り合いなの」


と奏美が言う。


「ん…、ああ、レンジさん…。友達が働いている店に来るんだよ…。だから昨日は一緒にやっただけ…」


私は説明しながら箸を取り、手を合わせた。


「もう、芸能人じゃん…」


奏美は御節料理の海老を手に取り、皮を剥き始める。


元々、芸能人なんですけど…。


私の前にお雑煮が置かれる。

顔を上げると母の顔は少し怒っている様にも見えた。


「何か、凄いね…。お兄ちゃんが何処か遠くに行っちゃった気分だよ…」


奏美は手を拭きながら言った。


「そんな事無いよ…。こんな話題って直ぐに消えちゃうからさ…。今だけだよ、今だけ」


私は母の作ったお雑煮を食べながら答えた。


「ねぇねぇ…」


奏美が私の方を向いた。


「ん…」


「うちの前にも報道関係の人来たりするのかな…」


あくまで、この一時的な話題は、カナハミのサクラと百井レンジに対してで、その愉快な仲間たちである私やトオル、宮脇、桜井遥などには向かない。

そんな気がした。


「大丈夫でしょ…。そんな心配はいらないよ」


私は御節のお重の中の蒲鉾に手を伸ばした。






遅い朝食が終わり…、と言っても、ニッポンのお正月はずっと食べて飲んで寝て…。

これがデフォルトで、上村家のお正月もそんな感じだった。


ダイニングテーブルから離れても、テレビの前でお菓子なんかを並べてずっと食べている。


これは太るな…。


私はコーラを飲みながら、クッキーを手に取る。

その横で奏美がテレビに大爆笑しながら、スナック菓子を食べている。


しかし、これがニッポンのお正月。


ポケットのスマホがずっとなり続けている。

私はポケットからスマホを出して、立ち上がった。


「お兄ちゃん、何処か行くの…」


と、すかさず奏美が言う。


「あ、ちょっと電話してくるだけ…」


私は目一杯樹を気取って返事をして、気分転換に外の空気を吸う事にした。


しかし、一日家族と居るってのも疲れるな…。

元々、私の家族でも無いし…。


私は外に出て、また山盛りになったSNSのメッセージを開いた。


ヨースケたちのメッセージは放置するとしても、トオルとサクラ、そして桜井遥のメッセージは目を通しておきたい。

そんな気分だった。


樹は三が日の休みを勝ち取ったと言っていた。

あの事務所が三が日の休みをカナハミに与えるなんて考えられなかった。

しかもお給料も歩合制にしたって言うし…。

何よりも移動のために専用車を準備するなんて…。


やっぱり樹はやり手なのだろう。


スマホを触っていると、電話が鳴った。

樹からだった。

私はその電話に出た。


「何やってんの…。どうせ、食って飲んで寝てってやってるんでしょ…」


電話の向こうで樹は言うとクスクスと笑っていた。

どうやらサクラとして電話しているらしい。

そうなると近くに誰かいるって事になる。


「正解…。お前こそ何やってんだよ。昼間っから飲んだくれてるんじゃないのか」


こっちも目一杯樹として話しかける。


「今、やっとアラン前の報道陣を追い払って店の中に入ったところ…」


あの報道陣を追い払ったのか…。


私は黙って頷く。


「ねえ、アランに来ない…」


樹はそう言う。


「来て来て」


「おいでー」


と、後ろで声が聞こえた。

カナハミのメンバーが一緒にいるらしい。

彼女たちには会いたいが、今日も出掛けて良いのだろうか…。

私は家の中の父と母、そして奏美を思い出した。


「遥も誘ってよ…」


と樹は言う。


「もう宮脇も来る頃だし…」


宮脇も呼んでるの…。


私は溜息を吐いた。

そして、小声で、


「ねぇタツキ…」


と話しかける。

樹も察したのか、彼女たちから少し離れた様子。


「何…」


「あんたんちって、三が日に出掛けても怒られないの…」


私は樹にそう訊いた。


「ああ、大丈夫だよ…。殆ど家に居ない人だったし…。それに…」


「それに…」


「他人の家族とずっと一緒じゃ疲れるでしょ」


樹はそう言って笑った。


確かに、それは考えていたところだった。


「わかった。じゃあ支度したら行くよ…」


私は樹にそう伝え電話を切った。






私はそっと二階に上がると、服を着替えた。

そしてそっと抜け出す様に玄関に向かう。

靴を履いてると、


「何処行くの…」


と頭上で声がした。

私はビクッとして顔を上げた。

腕を組んで母が立っていた。


「ちょっと良い…」


母は靴を履く私の横をすり抜ける様にして玄関を開けて外に出た。


私も母の後について外に出た。

少し風が冷たい。


「寒っ…」


私は玄関のドアを閉める。


「あんたさ…」


母も寒そうに腕を摩りながら口を開いた。


「何…」


母は冬晴れの空を見ながら言う。


「昨日、一緒にライブやっていた子。ほら、キーボード弾いてた子居たでしょ…」


「あ、桜井…」


母は黙って頷いた。


「あの子、あんなネットに顔出しても良い子なの…」


確かにそれは言えてる…。

勢いで樹の言うがままにリアルタイム配信なんてしてしまったけど…。


「あの子、あんたが駅前の公園でいつもいちゃついてる子でしょ…」


「あのな…」


いちゃついてるって何だよ…。

そんな事した事ないって…。


「どう見ても普通の子だし…。ただでさえ、どう見ても不良のあんたと一緒にいるってだけで、ご両親も困惑するかもしれないわよ…」


私は黙るしか無かった。

私は小さく何度か頷き、


「まあ、本人は問題ないって言ってたけど…」


「本人がどう言おうとご両親はね…。それに…」


母は、じっと私、樹の顔を覗き込む様に見た。


「あんたが思っているより、あんたたちは有名人なのよ…。自分たちがどれだけ気を付けててもメディアってのはあらぬ方向に話を持って行って、面白可笑しくしてしまうのよ…。今まで以上に気を引き締めて行きなさいよ…」


母はそう言うとポケットに手を入れて、一万円札を一枚出すと私の手に握らせる。

私はそのお金を見て、


「それで彼女に帽子とかサングラスとか買ってあげなさい」


そう言って微笑み家の中に入って行った。


私は家を出て駅までの道程を歩く。


確かにそうだ…。

一般人を巻き込み過ぎている気がする。

樹…、サクラは良いとしても、それ以外の私やトオル、宮脇も一般人だ。

それに桜井遥なんかは昨日初めて一緒にやっただけ…。


私はポケットからスマホを出して、昨日のアランでのライブの映像を見た。


照明も暗めだったので、遥の顔がはっきりと見える程では無い。

しかし、大きな画面で見るとそれなりにわかるかもしれない。


私は顔を上げて、遥に電話した。


「あ、もしもし、俺だけど…」


遥は待っていたかの様に一瞬で電話に出た。


「うん…」


「今からアランに行くけど…。一緒に行くか」


私は恐る恐る訊いた。


「あ、うん。一緒に行くつもりで…。サクラさんから連絡あって…」


サクラが先に誘ってたのか…。


「今、駅に向かってるところ…」


「ああ、俺もだ。じゃあ電車で待ち合わせしようか」


私はそう言って電話を切った。






正月の電車は空いていて、私と遥は並んで座った。

駅のホームは寒く、電車に乗り込むと暖房が効いてて暖かかった。


「昨日のライブ…。大丈夫だった…」


私は遥に訊いた。


「大丈夫って何が…」


私は一瞬、声を詰まらせ、


「ああ、ネット配信されてしまっただろ…。親に何か言われたとか…。ほら、顔も映ってたし…」


遥は下を向いてクスクスと笑い始めた。

すると、スマホをポケットから出して私にその画面を見せた。

そこには桜井総一郎という名前のピアニストの写真が載っていた。


「これが私のパパ…」


遥はそう言うと微笑む。


「そして…」


またスマホを触る。


「これが私のママ」


そこにはジャズシンガー桜井優紀と書いてあった。


「え、ご両親とも音楽を…」


遥香はコクリと頷く。


「だから、私も幼い頃からピアノを習っててね…。でも、私、あまり好きじゃなくて…」


私は黙って頷いた。


「ピアノ弾くなら、もっと自分のやりたい音楽ってのを弾いてみたいってずっと思ってて…。だから昨日は本当に楽しかったのよ…」


私は遥の顔を見て微笑んだ。


「昨日の夜ね…。パパとママに私から話したの…。そしてネット配信の映像を見せたのよ…」


遥はスマホを握りしめて、顔を伏せる。


「怒られた…」


私が遥に訊くと、遥は首を横に振った。


「やりたい音楽が見つかったなら、良かったじゃないか。って二人とも喜んでくれて…」


遥は顔を上げて嬉しそうに微笑んでいた。


「そうか…」


私も遥に微笑んだ。


「だから、私も良かったらタツキ君たちと一緒にこれからもやってみたいなって…」


不安そうな表情で遥は言う。


「ダメかな…」


私は首を横に振った。


「そんな訳ないじゃん…。俺は大歓迎だよ…」


遥は嬉しそうに微笑み、息を吐いた。


「良かった…。断られたらどうしようって…、昨日の夜からずっと考えてて…」


遥は涙を流して喜んでいる。


「泣くなよ…。俺が泣かせてるみたいに見えるだろ…」


「だってそうじゃんか…」


遥はそう言うと私の腕を叩いた。






私と遥はアランの通りを覗き込む様に見た。

しかし店の前には誰も居らず、胸を撫で下ろして店のドアを開けた。


「やっと来たよ…」


と私と遥を見て宮脇が言った。


「遅せえよ…」


私はカウンターの椅子に座り、


「悪い悪い…。お前らと違って良いとこの子だからよ…」


私がそう言うと横でサクラ…。

樹が笑っていた。


カウンターの中でグラスを拭くトオルが身を乗り出して、


「お前、ベースは…」


と凄む。


「え、今日もやんのかよ…」


私はメニューを見ながら言った。


「お前、この店に来て音楽やらないって何だよ。此処はあやとりバーじゃねぇぞ」


あやとりバーなんて聞いた事ないし…。


「まあ、ウッドベースに慣れるのも良いか」


トオルは私と遥の前に水を出した。


「お昼は食べたかい…」


私とトオルのやり取りを見ていたマスターが私たちに声を掛けた。


「あ、まだです…」


と遥が言う。

それを見て私も、


「まだですけど…」


そう答えた。


マスターはニッコリと微笑むと、


「じゃあカレーでもどうかな…。アラン特製カレーはなかなか美味いよ…」


そう言う。

そこにトオルが身を乗り出して、


「マスターが数日掛けて作るんだよ…。その辺のカレー屋のカレーより美味いぞ…」


私と遥は顔を見合わせて、


「それ、下さい…」


と言った。


「じゃあ、特別にカツを載せてやろう…」


そう言うとマスターは奥の厨房に入って行った。


「タツキ君…。一曲歌ってよ…」


とステージでリョウがマイクを持って言う。


「あ、良いんじゃない…タツキの弾き語りとか…」


流石にそれはやった事が無い…。


私は手を振って断った。


「良いじゃん…やんなよ…」


と横に居たサクラ…、樹が小声で言う。


「じゃあ、私もサポートするから…」


と遥が立ち上がってステージのキーボードの前に立つ。


「仕方ねぇな…」


と言いながら宮脇もドラムの前に座った。


「何だよ…。皆やりたいんじゃんか…」


とトオルもカウンターを出た。


私は横の樹を見た。

樹は微笑みながら頷いた。


「ほら…」


サクラが私を肘で突いて自分も立ち上がった。

気が付くと全員がステージで私の事を待っていた。


私は立ち上がり、頭を掻きながらステージに立ち、準備されていたウッドベースを手に取り、マイクの調整をした。


店の中に居た常連のお客さんたちが一斉にステージを見つめている。


「これね…」


と樹が楽譜を渡して来た。

渡されたのは九十年代の名曲で、色々な人がカバーしてきた曲だった。

しっとりとしたバラードで、今でも人気のある曲。

私も良くカナハミのメンバーと一緒にカラオケで歌った事がある。


何も音の無い状態から皆が私の声を待つ。


長く甘い口づけを交わす

深く果てしなくあなたを知りたい


私はそこまでアカペラで歌った。

そこから一斉に音が重なって行く。


初めて歌う曲に対してもこのアレンジに上手く合わせる事が出来るトオルや宮脇、そして遥も…。

これは天才的な要素なのかもしれない。

そして皆のセンスが上手く合っているのだろう。


宮脇の静かなドラム。

私のウッドベースの控えめな音、トオルの柔らかめのギター。

主旋律を奏でる遥のピアノ音、カナハミの四人のコーラス…。

どれを取っても完璧だった。


FALL IN LOVE

熱く口付けるたびに

痩せた色の無い夢を見る


間奏に入り、そこで静かに抑えていたトオルのギターソロに入る。

いつもより乗っているのか、トオルのテクニックが冴えている様な気がする。


それに引き続き、遥のキーボードのソロ。

流石に全国二位のピアノは圧巻だった。

しかも父はプロのピアニストで、母はジャズシンガー…。

サラブレッドの彼女のテクニックは、店の客からも感嘆の声が漏れる程だった。


マスターが厨房から顔を出してニコニコと微笑みながら私たちのステージを見ている。

私はそのマスターに微笑み返し、またマイクを握った。


長く甘い口づけを交わそう

夜がすべて忘れさせる前に


私のヴォーカルに、上手くカナハミの四人がコーラスをレイヤーして行く。

それが心地良く、私も自然にロングトーンのアレンジを入れる。


FALL IN LOVE

きつく抱きしめるたびに

やけに色の無い夢が続く


長いアウトロはそれぞれのアレンジで、ディソナンスにならない様に意識している。


全ての音が終わり、カナハミの四人の主旋律を追うコーラスの声だけが店の中に響いた。


そして、最後にドラムとギター、キーボードの音を今一度揃えて、曲を終える。


店の中から大きな拍手が一斉に起こった。


私たちはその拍手に頭を下げながら、ステージを下りた。


「いや…良かったよ…」


とマスターも拍手をしながら私たちの前に立った。


「名曲だからね…。未だにカバーされている…」


マスターはそう言いながら私と遥の前にカツカレーの皿を置いた。


「録画しとくべきだった…」


と隣で樹が頭を抱えていた。


「こんなに感動的に仕上がるとは…」


その言葉に皆で笑った。


カナハミの四人はカウンターでも、今やった曲を口遊んでいた。


「これからどうする…。デビューしてみる…」


樹が突然、そんな事を言い始める。


「うちの事務所でも多分行けるよ…」


そう言うと私の顔を覗き込んだ…。

他のカナハミのメンバーもうんうんと頷く。


「デビューとかするとさ、好きな歌歌えなくなるだろ…。俺はもう少し、このままで良いかな…」


トオルが私と遥の前の水を足しながら言った。


確かにそうかもしれない。

昨日のレンジさんが良い例で、売れるための曲を強いられる事になる。

商業ベースのバンドって言われる商品になって行く。

そうなると、こんな自由は無くなり、楽しめなくなるのかもしれない。


「桜井さんはどう…」


樹は遥に訊く。

カレーを食べていた遥は、スプーンを止めて、じっとサクラ、樹を見ていた。

そして、


「I just want to make love to you」


と流暢な発音で言う。


英語のわからないカナハミのメンバーは顔を見合わせていた。

私はクスリと笑い、スプーンを置いた。


「この場合は、私はただ好きな音楽をやっていたいだけ…って事かな…」


私が樹に微笑むと、樹も微笑む。


「流石は学年六位…」


私は樹に、


「馬鹿」


と言い頭を叩いた。


「え、六位なの…」


と横で遥も驚いていた。






夕方、少し早めに帰る事にした。


私は遥を送る事にして少し乗り越して、遥の最寄り駅で下りた。


大きな河があり、私と遥はその河川敷を歩く。


「二つ先なだけなのに、風景は全然違うんだな…」


私は遥に言う。


「タツキ君の街の方が少し都会かな」


遥はそう言ってクスクスと笑った。


「同じ区内だし」


夕焼け空が少し眩しく感じる。


「今日のタツキ君の歌。凄く良かったよ…。何か少し感動しちゃったし」


そう言われて私は照れ臭かった。


昨日、樹と何を話したのか。

それも聞きたかったが、二人が打ち解けているって事は、大きな問題にはならなかったという事だと自分を納得させた。


「これからどうなるだろう…。タツキ君も、私も…。サクラさんたちカナハミや、トオル君、宮脇君…。どうなるんだろう…」


私は頷く。

それは私にもわからない。

今は樹のセンス的なモノに支えられている要素が大きい。


遥は立ち止まり、私の方を振り返る。

そして、


「I just want to make love to you」


と言った。


私はただ、あなたを愛していたい。


私は、その言葉を聞いて赤く燃える夕焼け空を見た。

ただ二人はオレンジ色に染まっていた。







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オーディナリーデイズ 星賀 勇一郎 @hoshikau16

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