律と葵

祝言の宴を終えた私たちは、二人寝床へ足を進めながら甘い空気を漂わせていた。実際には、酒の力で判断能力がおぼつかない颯を介護しているのだが。甘い空気というのは、さっき部屋を出たときに葵に言われたことで、別にこっちはそんな空気にしているつもりはない。それに、颯の目はうつろで相変わらずどこを見ているか分からないし、私が手を離したら後ろへ倒れてしまう。これのどこが甘い空気と感じたのだろう。まあ、葵も結構酔ってたからな…

「お酒飲みすぎ」

「ちょっとだけだよ~飲んだのは」

「酔っ払いは黙ってて」

「あいよ~」

酔っ払ってふにゃふにゃと笑っている颯を布団に放り投げて、上から薄い掛け布団をかけてやった。流石に夏とはいえ、腹を出して寝れば風邪を引くだろう。布団へ寝ころぶなりことんと寝落ちしてしまった颯の額を、そっと指で優しくなぞる。彼のばらけた黒い前髪をさっさと整えてやってから、私は押入れを開けて布団を取り出す。酔っ払いの酒臭い息を近くで吐かれたら困るので、かなり間をあけて布団を畳に広げた。枕と薄めの掛け布団をぽいっと敷布団の上に放り出して、その上にどさっと腰を落とす。群青の髪紐をほどいて、枕元の着替えの上に置き、そのまま後ろのぱたりと寝ころんで私は天井の梁を見上げた。

「私、颯のお嫁さんなのか…」

ぽつりと言葉にしてみたものの、なかなか実感が湧いてこない。夫婦めおとになったからといってこれからの暮らしが変わるわけでもないし、この関係が変わることだってない。少なくとも私はそのつもりだ。颯はどうか知らないけれど。

「聞いてみたほうがいいのかな、?」

面倒くさいから、考えるのはまた今度にしよう。今日は流石に眠たい。背中に下敷きになっている掛け布団を引っ張り出して足を通す。仰向けになって目を閉じると、すぐに睡魔が襲ってきて私は微睡みの中に落ちていった。



***



「んん~っ、ふあ…」

まだやわらかい朝日に瞼を刺激され、私は布団の中から上体を起こした。ぐぐっと伸びをして小さめの欠伸をすると、隣からふふっと失笑する声が聞こえてきた。

「おはよ」

「おはよう、俺のお嫁さん」

「…しばかれたい?」

「た、ただの出来心なんだって‼」

「ふうん」

「まじで怖、っひはい!」

颯の語尾が変にくぐもったのは、私に頬をつねられたから。朝から生意気を言うこいつ、一体どうしてやろうか。つねりながら軽めに睨んでいたけど、阿保らしくて途中でやめた。颯は私の背後で、助かった~と胸をなでおろしていた。

「今から着替えるから、目閉じてて。見たらとっちめるから」

「…それって見てって言ってるようなも……はい分かりました」

颯がおそるおそるといった感じで変なことを言ったので、私はじとっと睨んだ。私が睨むと颯はしゅばっと音が鳴りそうなくらいの速さで後ろを向く。それでいいんだよ、余計なことしなくても。彼が後ろを向いたのを確認して、私は寝巻の帯をほどく。肌襦袢はだじゅばん長襦袢ながじゅばんはさっきまで寝巻として着ていたのでそのままに。上からいつもの薄青の小袖を着て、それから同じくいつもの鉛白色の袴を履く。袴の紐を腹のちょっと下あたりできゅっと締め、結べば着替え完了。あとは使い馴染んだ木製の櫛でなめらかな黒髪を梳き、高い位置に群青の髪紐で髪を一つに結う。よし、今日もいつもどおり。

「いいよ。遅くてごめん」

「えっ、ああ、大丈夫」

「じゃあ私、朝餉の準備に行ってくる」

「うん。ありがとな」

私はそう言い残して部屋を後にし、茶々が先に起きているであろう炊事場へと向かう。炊事場へ向かうと、案の定茶々が先に起きていた。しかし、茶々だけではなく師匠まで前掛けをして台所に立っている。え、なんで?私が驚いたまま棒立ちになっていると、師匠ははっはっはと朗らかに笑い始めた。

「よお律。おはよう」

「りっちゃん、おはよう」

「二人ともおはよ。師匠はなにしに来たの?」

「何って、朝飯だよ。なんだ、お前作れんのか?」

「ご飯くらい作れる。うるさいなぁ」

にやにやしながら私を揶揄う師匠を押しのけて、私は茶々と台所に立った。城の台所はとっても大きくて使いやすく、使い慣れてしまえばもう民家の台所には戻れないような気がした。私はまず竈に火をつけ、土鍋に水を入れる。煮干しでだしをとりながら、青菜と豆腐、きのこを一口大に切って鍋に投入。ぐらぐらと煮えてくるまで、茶々のおかずのほうを手伝った。そして、煮えてきたらすかさず味見をしつつ味噌を溶く。ほどよい味に出来上がったら、竈の火を消した。味噌のおいしそうな香りが鼻腔を刺激し、口の中に自然と唾がわいた。

「茶々、こっちできたよ」

「おおきに。あたしもできたわ」

暇そうに傍に腰を下ろす師匠を上手く使い、配膳とお盆を部屋に持っていかせる。ぶーぶーと面倒くさがる師匠の背中を押して廊下を進み、皆が集まる部屋へ朝餉を運んだ。ようやくすべて運び終えて、皆で手を合わせて朝食を頂く。いただきます、と言うなり私は白ご飯と梅干しを口に入れて、もきゅもきゅと咀嚼する。うん、おいしい。やっぱり梅干しと白ご飯は最強の組み合わせだ。そう思いつつご飯のお皿に梅干しの種を吐き出し、再びご飯と梅干を頬張る。よっぽど私が幸せそうな顔をしていたのか、葵と茶々がにこにこと微笑んだ。

「律ちゃん、木鼠りすみたいになってんで~」

「んむ?」

口にぱんぱんにご飯を詰めたまま首を傾げると、茶々がふふっと吹き出した。

「ほんまや。かいらしいなぁ」



***




朝食の後、私は葵と町をぶらぶらと歩いていた。なんでこうなったかと言うと、葵が私へのお祝いとして甘味を奢ってくれるらしい。流石に颯に奢れるほどの金銭的余裕はなかったらしく、颯は師匠に奢ってもらうことになっていた。せっかくだし、今日は葵の言葉に甘えちゃおうかな。同性の友達と二人で町へ出かけるのなんて初めてだったから、私の心は若干浮足立っていた。

「折角やし、気になる店全部覗いてみよか!」

「うん、いいね」

「欲しいのあったら言って良いんやで、うちが買ったる!」

「お金ないんじゃないの?」

「そ、そうやった…あかんわ…ごめんなあ律ちゃん」

「いいよ別に。気持ちだけで嬉しい」

そう言って彼女の瞳を見ると、葵はぱあっと花笑みを浮かべた。ほんとに、いつ見ても素敵な笑顔だ。心の素直さが表れていて、清々しい彼女の笑顔は私の好きな表情の一つだった。隣で楽しそうに微笑む葵を見ながら、私も頬を緩ませる。私の一つ上の女の子だとは思えないな。

「律ちゃん、呉服屋さん!寄ってみーひん?」

「いいよ、行こう!」

葵の手をくいっと引っ張ると、葵は最初はびっくりしていた。が、後からまたぱっと笑顔になった。

「律ちゃん着せ替え遊びや!」

「何その遊び、」



***



呉服屋に入ってから暫く立った。ここの呉服屋さんは昔の顔なじみと言うこともあって、かなり長い付き合いだ。それだからだろうか、呉服屋さんの娘さんの着物を持ってきては私に着せて楽しんでいる。呉服屋の奥さんはとっても楽しそうで、似合ってる~かわいい~を連呼するばかり。葵も同じようなものだ。私も最初はしどろもどろだったが、段々その気に乗せられて楽しくなってきた。普段あまり楽しいと思えなかった服選びも、次からは楽しめそう。

なんて考えていたら、髪型まで触りだした。いつも一つに結んでいただけだったが、今回は下ろして櫛を入れられ、髪の上半分はお団子にまとめられた。(いわゆるハーフアップにお団子というやつ。この時代にはなかったかもしれないけど)最後に青い石が付いた簪をお団子に差された。

「さ、どうよこれ。最高傑作だわ!」

「ええやんええやん!かわいいやん!」

「ん、ありがと…」

赤と白の矢絣やがすり柄の小袖に、黒色の袴。なんだかいつもしない派手な格好だから、少しだけ恥ずかしい。だけど褒められたら嬉しくなって、たまにはいいかな、と思ってしまった。私が元々着ていたいつもの着物は、風呂敷に包んで持ちやすくしてもらえた。この着物はもう娘も着ないから、貰ってくれと言われたのでありがたく貰っておく。せっかく着せてもらったんだし、このまま葵と遊ぼうかな。




***



「すいませーん、三色団子を二つ!抹茶付きで!」

「はいよ~」

呉服屋の奥さんに可愛くしてもらったまま、葵が案内してくれた甘味処に足を踏み入れる。ふんわりと甘い匂いが辺りに広がり、私はごくりと唾を飲んだ。とても楽しみだ。暫く外の長椅子で座って待っていると、甘味処の店員さんがお盆を運んできた。お盆の上のお皿には、待ちに待った三食団子と抹茶。私はありがとうございます、と言ってすぐさま注文した物を受け取った。私の素早い動作に、葵はくすくすと可笑しそうに笑う。そんな視線が少し恥ずかしくなって、私はむーっと頬を少し膨らませた。

「さ、律ちゃんは待ちきれんみたいやし、早速頂こか~」

「うん、奢ってくれてありがと」

「ええねんで!さ、たんとお食べ!」

「ありがと」

いただきます、と手を合わせてから、三食団子を頬張る。もちもちもぐもぐ咀嚼していると、口の中にふんわりと優しい甘みが広がってきた。これがたまらない、やっぱり甘味は本当に美味しい。ん~とたまらず声を上げると、葵がふふふと優しく微笑んだ。そんな彼女に私も微笑み返して、こくんと飲み込む。そして抹茶が点てられた茶碗を持ち、少しだけ啜った。すこしだけ苦い抹茶がお団子の甘さと調和して、なんともいえない絶妙な美味しさ。この組み合わせ、死ぬ前に絶対食べたいな。

「あ、今。律ちゃん、死ぬまでにもう一回食べたいって思っとったやろ?」

「え、なんで分かったの?」

「そんな顔してた!」

「ちょっと恥ずかしいな…」

そう言って私は、お団子の二口目を頬張った。

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