祝言

突然ふらりと現れたこの男。彼は二年前に私の師匠として、大阪、岸和田に住んでいる剣客だ。鳶色の鋭い瞳と顎の無精髭から、私は小さい頃に父親のような人だと思っていた。父親や母親も知らず、家族というものがどんなものかさえも分かっていなかったけれど、街ですれ違う人と師匠はなにか違っていた。私に剣を教えてくれる師、そして育ての親。その認識はいつしか私に染み込んで、疑うこともないほど自然に感じていた。

「お前、人斬りをしたそうだな」

「うん」

「娯楽ではないことは確かか?」

「娯楽でなんて斬ったりしないよ」

「そうか」

やっぱり師匠に噂は届いていたみたいだ。絶対に聞いてくるとは思っていた、しかしいざ聞かれると疑われているみたいで少し気分が悪かった。私を信用してはくれないのだろうか。でも斬ったことは事実。疑われるのも無理もないし、自己中な考え方はやめておこう。私がそう頭のなかでひっそり考えたとき、師匠はなぜかにっこりと笑った。不敵なその笑みに、なんだか少し懐かしさと安堵を覚える。

「さ、城に入れてくれや。茶でも入れてくれんか?」

「今忙しいけど。まあ、いいよ」

「ありがとな」



***


城へ師匠を案内すると、もう片付けは粗方終わっていた。少し話している間に、皆頑張ってくれたみたいだ。あとで皆にありがとうとお礼を言っておこう。

「律ちゃん!お茶準備するで、天守閣で先に待っててな!」

「えっ、ありがとう葵」

葵のまさかの発言に私が驚きながらお礼を言うと、葵はにっこりと花笑みを浮かべた。そのかわいらしさに思わず微笑み返して、私は師匠と天守閣へ上がっていく。なんだか、仲間が居るっていいな。改めて心の中でしんみりと感じた。

そして天守閣に入ると、私たちは向き合って畳に腰を下ろした。私は正座、師匠は胡坐を掻く。

「師匠…」

「ん?別にだらしなくたっていいじゃねえか。お前の前なんだし」

「親しき中にも礼儀あり、って言葉があるけど」

「はっはっは、言うようになったな」

私の呆れ顔も見ないで、師匠は豪快に大きな笑い声をあげた。その笑いを見ていたら私もなんだかふふっと笑ってしまう。懐かしいな。たった二年前のことだけど、修行をしていた日々が瞼に蘇ってくる。薄い微笑を浮かべて、私が昔の記憶に浸っていると葵がお茶を運んできた。お茶菓子として出されたのは三色団子。私がそれに視線がくぎ付けになったと同時に、颯や茶々も部屋に入ってきた。

「紹介するよ。こっちが葵でこっちが茶々。こいつは颯」

「律の師匠で名付け親の東だ。よろしく」

そして皆の紹介をするなり、急に颯が私の隣に正座をした。なにかと思って彼の横顔を眺めていると、少し震える唇が動いた。

「律さんを、俺に下さい」

「は?」「ん~?」

私は思わず素っ頓狂な声を上げ、師匠はなにかにやにやしながら鳶色の瞳を細めた。そして視線を私にすーっと移す。やめて、こっち見ないでよ。頬がかっと熱を帯びるのを感じて、私は師匠の瞳を睨みつけた。すると、颯は私の肩をすっと優しく抱き、さらに震える声で言葉を紡いだ。

「今はまだ弱いですが、絶対強くなって律さんを守り抜きます。だから、お願いします…!」

最初はちょっとびっくりしたし恥ずかしかったけれど、これが颯の思いなんだと思うとなんだか嬉しくなってきた。さらに真っ赤に火照る頬を隠すために私が俯くと、師匠がふふっと笑った気がした。颯の手が置かれている肩が、すこしだけ強張る。

「ま、貰ってけよ。律が幸せになりゃ、俺は万々歳だからな」

「っ…ありがとうございます…!」

「師匠、」

私が伏せた睫毛を上げて師匠のほうを見ると、彼は心から嬉しそうににっこり微笑んだ。いつもあんなに生意気言ってきたくせに、優しいのちょっとむかつく。私のことをずっと気にかけてくれていたんだと思うと、嬉しさで胸がきゅっと締め付けられるような感覚に陥った。師匠、ありがとう。

「律、熱でもあるのか~?」

「五月蠅い!」

私が少しだけ大きな声で師匠に言い返すと、師匠は悪戯っぽい笑みを浮かべた。40なんぼのはずなのに、ちょっと子供心が垣間見えるのが不思議な人だ。私がじとーっと睨みつけていると、急にまだにやにやした師匠が口を開く。

「祝言はあげんのか?律もたまには綺麗な着物を着たいだろう?」

「ええやんええやん!うちらで二人の祝言あげよか!」

「ええんとちがう?あたしりっちゃんに着付けするなぁ」

「え、えっと…」

思った以上に私以外の皆が盛り上がりすぎて、結局今夜に祝言を上げることになった。颯もなんだかそわそわしていた、ちょっと楽しみな顔だあれは。期待と楽しみが混じってそわそわしている彼を見ていたら、なんだか私もそわそわしてきてしまった。私、颯と夫婦めおとになるんだな。心の中でそう思って、緊張をふうと吐息に吐き出した。



***


貴族の真似事の祝言だから、そこまで豪華なことはできない。けれど、私は茶々と葵に着付けやら化粧やらをいそいそとされて、颯は師匠に着付けてもらっている。ちょっとお高い着物を茶々から借りて、なんちゃって祝言の準備は整った。本当の祝言は夫婦めおとになる二人だけで宴をするものだが、今回は岸和田城の人が全員参加してくれるらしく、大変にぎやかになりそうだ。本日の宴会の料理は、茶々が腕によりをかけて作ってくれた。着付けで少し疲れて空腹の私のお腹が、小さめに音を立てた。

「皆!花嫁さんのご登場やで!」

「おお!」「りっちゃん、かいらしなってんで~」

天守閣の豪奢な襖が開かれ、宴の席の眩しさが私の目をくらませた。瞼を開くと、盃を持ってこちらを見る岸和田城の士族さんたち、葵と茶々と師匠。そしてその奥に、全然見慣れない黒五つ紋付羽織袴を身にまとった颯の姿。苗字があるからして、颯は結構お偉いさんとこに元々住んでいたみたいだけど、正装がちょっと似合わない。それがおかしくって、私はふふっと微笑んでいた。いつものどこかぎこちない薄い微笑ではなく、やわらかい微笑みを。

「やっと、笑った」

颯がそう零しながら立ち上がって、私の元へ近づいてくる。私も部屋の入り口から、部屋の中へ足を踏み出していく。近寄った私の手を、颯は優しく握った。

「律、綺麗だ」

「……馬鹿」

「照れてやんの」

「うるさい」

ちょっとした会話を交わして、颯は宴会の私用の席へと手を引く。そして私たちが席に座ると、周りの人たちは急にわいわい言い出した。おめでとうやら、幸せになってねやら、みんなにお祝いされて嬉しかった。そして、思わず涙がこぼれそうになった私の唇に、颯が自身の指を重ねる。どうしたものかと彼のほうを見ると、指の紅が付いたところに、颯が自分の唇を重ねた。どんどん頬が真っ赤になっていく私を見て、彼は悪戯っぽいやんちゃな笑みを咲かせた。

「愛してる」

「……っ、私も。愛してるよ」

にぎやかな宴会の中。ひそかに交わす二人の会話は、東にしか聞こえていないのだった。


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