ずっと傍に
駄々をこねる颯をたたき起こし、私は朝餉を用意しておいた部屋に彼を通す。颯はのろのろと畳に座り、いただきますと手を合わせてから朝餉に口をつけた。私も同じように挨拶をしてご飯を食べる。最初の頃はあんまり料理はできなかったけれど、戊辰戦争中に野営でたくさんご飯を作ったから、割と感覚は掴めている。颯はそんな私手作りの味噌汁を啜ると、瞳を輝かせた。
「美味い」
「ありがと」
白ご飯に梅干しを乗せながら、私はお礼を言った。
「いつも自分で作ってたけど、やっぱ律の方が美味しい」
「これからは毎日作ってあげるけど」
「そうだな。これで不味い飯ともおさらばだ」
颯はお椀を手にしたまま、嬉しそうに微笑んだ。その笑顔を見ていると、こっちまで嬉しくなってくる。胸がきゅうと締め付けられるような感覚に陥って、私は誤魔化すために言葉を続けた。
「ふうん。料理下手なんだ」
「やめろよ、ちょっと傷つくだろ」
「ふふ、ごめんね」
他愛もない朝の会話。あたりまえに彼と話せていること、ご飯を一緒に食べることができること、声を掛ければ首を傾げ、手を伸ばせば届く距離。こんな幸せな日常が戻ってきたことが、本当に嬉しかった。だから私も、こんなにも素直に笑えてしまう。
「律も、変わったな」
「そうみたいだね」
「可愛いよ」
かっと頬が火照る感覚。咄嗟に私は言った。
「馬鹿」
「そこは変わってないのか」
***
今日は雲一つない快晴で、絶好のお洗濯日和。勿論剣客としての稽古は欠かさずするつもりだが、家事に勤しむほうが多いかもしれない。水を張った桶に洗濯物を浸し、じゃぶじゃぶと揉み洗いをする。しつこい汚れはお湯で洗い落とす。まだ新米妻の私に、家事のいろはを教えてくれたのは茶々。今日は茶々が屋敷にやってきて、いろいろ教えてもらえるという。
「いい天気だな。ちょっと暑い」
「夏だから仕方ないでしょ」
小袖や
「颯。働かざる者、食うべからず」
私がきっと睨むと、颯はちょっと呆れたように笑った。
「はいはい。何手伝えばいい?」
颯に屋敷の掃除を頼んで、私は庭掃除。少しばかり広い庭だから、手入れもこまめにしないと見栄えが悪いだろう。少し疲れたので、私は庭に立つ梅の木に背を委ねた。木陰で一息ついていると、こんにちはーと元気のいい声。返事をしながら表口へ回ると、茶々と葵が立っていた。
「ちょいと覗きにきたわ。お邪魔してもええ?」
「いいよ。今掃除中だけど」
「かまへん、かまへん。お邪魔さしてもらうわ~」
しかし葵は家へ入るなり、掃除中の颯をみて盛大に吹き出した。
「あははは!はやちゃんすっかり尻に敷かれてんなあ、ほんまおもろいわ!」
「五月蠅いなあ。来たならお前も手伝え」
「ええで。うちもその気できたんやから」
「あたしも手伝うわ」
人数が増えたところで効率はぐんと上がり、昼前には屋敷中ピカピカになった。せっかく皆に手伝った貰ったので、新米料理人「律」が腕によりをかけて昼餉を振舞おう。と言っても用意できるのは質素なものだが。
しかし皆私の作ったご飯を、おいしいと笑って食べてくれた。みんなが喜んで食べてくれているのを見て、私はとっても嬉しくなった。
「はやちゃん達、子供は作らへんの?」
「お、おまっ!ここで話す話題じゃないだろ…」
「葵ったら、もう」
白ご飯を頬張りながら、葵が思い出したように颯に問う。しかしその話題がなにか駄目だったらしく、茶々も颯も呆れたような声を出した。私にはどこがいけないのか全く分からない。というか、子供…ってどうやって作るのだろうか?
「よくわかんないけど、颯が欲しいならいいよ」
とりあえずそのまま言ってみた。けど、なんか言葉を間違えちゃったみたい。みんな私を見て石像のように動かなくなってしまった。しかし、颯が沈黙を破った。
「じゃあ、作ろうかな。今夜にでも」
「?うん」
なぜか茶々と葵が顔を火照らせ、颯は不敵に笑っている。よく分かんないけど、まあいいか。この選択を、私は後から後悔する…なんてことはないけど、知ったすぐは若干微妙な気持ちになった。
***
謎の約束をされた今夜。葵も茶々もなにやらひそひそと楽しそうに会話を交わしながら、そそくさと帰ってしまった。今日くらい、ゆっくりしていけばよかったのに。そう言っても二人とも、頑張って!というのみだった。
「ねえ颯。昼間のあれはどういうこと?」
「やっぱ知らないか」
「知らないよ」
「今から教える」
そう言うなり颯は自分の寝巻の帯をほどき、私を布団へ押し倒した。目の前で起きていることに理解が追い付かない。思考が停止したまま彼の顔だけ見つめていると、私の帯にまで手を掛けられた。あっという間にするりとほどかれ、露わになった脇腹をそっと優しく撫でられる。
「なるべく優しくするけど、無理だけはするなよ」
耳元で優しく囁かれ、私はぴくりと肩を震わせた。
***
「おはよ」
「ん、おはよう」
翌日の朝。少しかすれた声で、私は起きた颯に声を掛けた。まだむにゃむにゃ言っている自分の夫の頭を優しく撫で、くすりと微笑む。最初はびっくりしたけど、たまにはああやって肌を重ねるのも悪くない。まあ、死ぬほど恥ずかしくていたたまれなかったけど。
「颯、二度寝しないで」
「ん、律…愛してる」
「話逸らさないでよ。私も、愛してるけど」
「はは、ばれちゃったか」
二人して呆れ笑いを浮かべながら、優しく唇を重ねる。触れたらすぐ離れる、短い口吸い。これからもずっと、傍に居させてね。颯。
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