恩師の仇か、己の幸せか

しばらくしてようやく、旧幕府軍による箱館占拠の通報が東京に届き、新政府から直ちに津藩兵・岡山藩兵・久留米藩兵計約1,000名を海路で青森に送られた。途中に旧幕府軍との衝突があったが、それもなんとか乗り切って来てくれたらしい。ただ、もうこの時点では日にちは3月26日にまでなってしまっている。それから海陸軍参謀・山田顕義率いる新政府軍1,500名が、4月6日に青森を出発し、そして4月9日の早朝、蝦夷地の乙部に上陸した。

私は船から降り、数か月ぶりに蝦夷地の地面を踏んだ。手には愛刀と、大河さんからいつか頂いた脇差を握り、復讐の炎に身を焼いていた。

そう、私は。恩師であり父親のような人だった東さんの仇である、兄弟子の柏尾一郎を叩き殺すと心に決めた。

これは単なる言い訳にしかならないと分かっているが、恩師の死を見過ごすわけにはいかない。互いの正義のために、刀を交え悔しくも負けてしまった師匠の意思を私が引き継ぐ。私は新政府軍に残り、この戦いが収束するまで戦い続ける。それで仇討ちという負の連鎖が続いてしまうことも分かっているが、それでも師匠にささやかでも花を添えてやりたかった。要するに、ただの私情。

「待ってて、柏尾兄」

そう一言呟くと、私は愛刀と脇差を腰に帯刀した。




***



「隊長、幕府軍の奴らがやってきました。新撰組も見えます」

「報告ご苦労、槇尾まきおくん。さっさと準備してきて」

「御意」

私たちが上陸したとの知らせがおそらく入ったのだろう、向こうは様子見とばかりに小隊を送り込んできた。私は近寄ってきた顔なじみの隊士にそう言って、座っていた腰を起こした。そして報告があった場所へと歩き始める。


「遊撃隊長の蒼鷹だ、女子おなごなのによくやるよなあ」

「また交戦か、しかし蒼鷹さんが居れば安心だな」

「格好いいよな、彼女って」


隊士たちの間を通り抜けていく際に、そんな噂が耳に入ってくる。私に対して皆好感を持ってくれているようだが、別に私はそんなのはどうでもいい。ただ、私の本当に愛している仲間の言葉だけが、私を奮い立たせることができるのだ。

愛する者のために私は戦う。大好きだった師匠を斬り殺してしまった、馬鹿な兄弟子をぶっ叩くために。

私は、私の正義を貫くのみ。



***



曇った空は仄暗く、昼間なのに夕暮れ時のような明るさだった。そして、前より少しだけ暖かくなったこの蝦夷地で、幕府軍の小隊と衝突し戦闘が始まった。その場の空気が一気に変わり、私たち遊撃隊もそれぞれの愛刀を手に立ち向かう。私に向かって勢いよくやってくる幕府側の隊士を、一撃で屠りながら私は進んだ。このまま斎藤や沖田に出会わなければ、真っ先に柏尾兄を探し出して戦闘に持ち込む。そんな思考を巡らせながら、私は新撰組隊士の羽織が見える場所へと駆けて行った。


「新政府軍、覚悟‼」

そう言って振り下ろされる刃を、私は愛刀でいとも簡単にはじき返した。そしてバランスを崩した隊士の胴を、情け容赦もなく豪快に掻っ捌く。ざん、という手ごたえがあって、隊士は地面に崩れ落ちた。糸の切れた人形のように横たわった躰から、真っ赤な鮮血の花が咲く。私がふう、と息を吐いて、愛刀に付いた鮮血を振り払った時だった。懐かしくも今では憎らしい、彼の声が聞こえた。

「お前も新政府軍の犬に成り下がったか」

蔑むように吐き捨てられた言葉は、私の心に燃える火に油を注いだ。最大限の憎悪を含めた眼差しで、振り向きざまに彼を睨みつける。

「……師匠の仇は私がとる」

私がそう言うと、彼…柏尾一郎はふっと笑った。妹のような存在の私と再会しても、邂逅を嬉しむ様子はひとかけらも見当たらない。まあ私も、こいつと会うのは楽しみじゃなかったけど。

「昔じゃ俺には勝てなかったけど、今はどうかな?律」

「あんたなんか一撃で殺せるよ」

ちゃきり、と両者愛刀を構える。数秒間の睨み合いの果てに、柏尾は口を開いた。

「新撰組隊士、柏尾一郎」

「新政府軍遊撃隊隊長、律」

私の役職名を口にしたとき、彼は驚きに目を見開いた。しかし私はそのまま続ける。

「参る」

私は閃光のごとく間合いを一瞬で詰め、柏尾の前に躍り出る。一瞬にして彼の瞳には焦りと驚きで色づいた。私の振り下ろしの初撃を受けようとするが、今の彼の力量では受けることはできないだろう。案の定、私の振り下ろしに耐えきれなかった柏尾の刀が、弱弱しい音を響かせてぱきんと砕けた。頼りないその音と共に、私は自分の愛刀をぐっと振り下ろす。

大きな手ごたえが私の肩を突き抜け、彼はどさりと地面に膝をついた。思ったよりあっけない。鮮血が、地面を赤く、赤く染め上げていく。

「師匠、そっちで柏尾兄と仲良くしてね」

納刀して仄暗い空を見上げ、私はそう呟いた。湿った風の、雨の匂いがした。

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