北の地より
この初めての戦争、会津戦争を経験し、私の感覚は研ぎ澄まされていた。今までの自分たちだけ助かればいいという思いは胸の内から消えた。そして、前よりもっと戦いのない世界を目指すために、大義を掲げ愛刀を振るった。その瞼の裏にはいつだって、岸和田へ置いてきてしまった仲間たちの笑顔が焼き付いている。彼らを守るため、私は今日も刀を振るう。そんな毎日を続けている内に、年号は変わり明治となった。今、私は箱館にいる。
「さむ…」
「ほれ、冷えるだろ。襟巻でも巻いとけ」
「ありがと」
師匠から手渡された襟巻を首に巻き、ほう、と白い息を吐いた。暦は神無月になり、会津よりさらに北の蝦夷地にいるので空気は乾燥して冷たい。手をこすりあわせて、息をはあっと吐きかける。少し感じたぬくもりは、蝦夷地の大地に吸い取られてすぐに消えてしまった。そして、指先が赤い掌をじっと見つめて、私はふっと笑った。颯たちと離れてから、私は二十歳になった。しかし年頃の娘にしては可愛げのない手である。掌は皮膚が固くなって竹刀タコやら擦り傷やらが出来ている。おまけに天邪鬼な性格も直っていないし、こんな私で彼の元へ帰っても抱きしめてくれるだろうか。
「…はやて」
「……律。すまんな」
「え?」
どうやら彼を恋しく思う気持ちがついつい口に出てしまったようだ。師匠の前では絶対言わないようにしていたのに。師匠の顔を見上げると、彼は悲しそうな、申し訳なさそうな顔をしていた。そんな顔をする師匠に、私はなぜか蹴りを入れてすたすたと前を歩いた。特に返す言葉も見つからなかったので、とりあえず蹴ってしまった。ごめんね師匠。そう思いながらも、遠い故郷で待つ颯のことを恋しく思う気持ちは拭い去れなかった。
***
そして日は沈み、辺りは暗闇と寒さに包まれた。私は師匠に貸してもらった襟巻をくいっと口元にあげて、凍るように冷たい唇を襟巻にうずめる。見張りも終わったことだし、そろそろほかの人に交代してもらおうと思ったその時だった。私のうなじに、ちりっと嫌な予感がはじける。感覚を研ぎ澄ましながら後ろを振り返ると、幕府軍がこの暗闇のなか進軍してきているようだった。遠くからざりざりと地面を踏んで進軍する足音が聞こえる。私はすぐさま指揮をとっているお偉いさんの元へ向かい、そのことを伝えた。彼は驚いた表情をしたものの、すぐさま軍に指示を出す。
「よくやってくれた蒼鷹。すぐに隊を動かそう。勿論、君も行ってくれ」
「分かりました」
いつしか仲間内で
私がまた戦地に戻ると、そこには懐かしい顔の男が居た。あの時私を助けてくれて、私がぼこぼこにした男。彼は私を見ると、ふっと目を細めて笑った。
「久しぶりだな。今夜こそ本気で戦える」
「そうだね」
斎藤の言葉に短く答えると、私たちは愛刀を構えた。政府軍と幕府軍の衝突がすでに始まっている中、私たちの間には緊迫した沈黙が流れていた。
そして瞬きの一つ間で私たちは間合いを詰める。斎藤が振り下ろした刀をするりと躱して、私も斬撃を入れる。きいん、と火花が散り、夜の闇にぱっと瞬いた。私は刀を突きの姿勢に持っていき、閃光のごとく素早い二連撃の突きを放った。流石の斎藤もこれには対応が少し遅れ、二撃目を受け損ねる。赤い瞳に焦りの色が浮かぶと同時に、肩に鋭く私の愛刀が食い込んだ。鎌鼬のような私の太刀筋は、ほとんど出血しないが激痛を伴う。私の志士名「蒼鷹」には、私の情け容赦のない剣筋という意味も込められており、全くその通りだなと改めて思う。志士名だからなのか、今はほとんど皆私をこの名で呼ぶ。「律」と呼んでくれるのは、師匠と斎藤の二人だ。皆、私の本名など忘れてしまったらしい。
「お前に斬られると物凄く痛い。傷も治りが遅い」
「らしいね。あんたの顔見てれば分かるよ」
私が冷たくそう言い放つと、斎藤は冷や汗を流しながらふっと笑った。少し斬り合っただけなのに余裕がなさそうだ。久々に感じた痛みに少し弱っているのか。
「お前も落ちたな、腕が」
「五月蠅いな、まだ俺は降参とは言っていない」
「ふうん。じゃあ来なよ、斎藤」
私が腰を低く落として、刀を構え直したその時。斎藤の後ろから一人の男がやってきた。浅葱色でだんだら模様の羽織、中性的な優しい顔立ちの青年。彼は私に顔を向けると、少しだけ微笑み口を開いた。
「新撰組一番隊組長。沖田総司」
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