斎藤と律

峠の頂上であった私の奇襲で幕府軍は兵を置いて逃げ出し、こちらはとても有利となった。警戒されていなかった無防備なところを突いた伊地知さんと板垣さんの作戦は、大成功だと言えるだろう。このまま進軍を続ければ幕府軍を倒せる。新政府軍の士気はみるみる上がり、次の戦いは十分な戦果が期待できそうだ。

その後も私たち新政府軍は進軍を続け、猪苗代城へと歩みを進めた。向こうはこちらの足止めをしようと、城と土津神社という場所に火を放ったが、私たちはそれに怯むことなく幕府軍の逃げた若松へと進軍を続けた。



***



そして夜になり、私たちは野営をしようと森の中に野営地を立てた。見張りはみな交代で、私は早めに仮眠を取って夜の見張り番になった。今夜の空は新月で、星がたくさんよく見える。虫の鳴き声を含んだ夏の爽やかな風が、私の頬をふわりと撫でた。その優しい感触は、いつか颯が触れてくれていた優しい手つきと酷似していた。そう思い出した途端、胸に哀愁がどっと溢れる。どうしようもなくなった大きな気持ちを抑え込むように、私は膝を抱えて木陰に座りこんだ。

颯たち、今頃どうしているかな。

そう考えながら再び見上げた夜空の星は、先刻と違って一際美しく輝いているような気がした。颯たちも今、この夜空を見上げて星を見ているのかな。

「颯に、あいたい」

ぽつりと呟いた私の一言を、風はふわりと森の彼方へ運んで行った。そうしてしばらく耳をそばだてながらぼーっとしていると、微かに人二人の足音が聞こえる。はっとして私は顔を上げると、音のする方へ一目散に駆けて行った。この足音は、昼間に聞いたばかり…と知らない音。おそらく新選組の誰かだ。

ざっと私が姿を現すと、浅葱色にだんだら模様の羽織の男二人がこちらを振り返った。一人はちょっと驚いた顔、もう一人はまた逢ったな、的な普通の顔をしていた。

「昼間の維新志士…律か。こんなところで出くわすとは奇遇だな」

ここなら野営地からかなり離れている。戦闘を起こしたとしても被害は少なく済みそうだ。短い間に思考をすらすらと巡らせ、私は斎藤に口を開いた。

「それはこっちの台詞。助平野郎」

「…なんだお前、手当してやったのに。感謝くらいしろ、阿保が」

「誰も頼んでないし。気色悪いな」

「ほう…お前、女のくせに口が汚い。可愛げがないな」

「だったらなに?別にあんたに関わることじゃないでしょ」

あの時はかなり落ち込んでいたし気が滅入っていたから、斎藤に対してもちょっと威勢のない喋り方だった。だけどこいつのお陰で饒舌が完全回復したので、この助平野郎に一言言ってやろうと私はぶっきらぼうに喋る。お互いばちばちと火花を散らしながら睨みつけていると、もう一人の男が急に笑い始めた。

「がっはっはっは。斎藤、お前いつのまに女と仲良くなったのか、え?」

「これの何処が仲がいいんだ。敵だぞ」

「ほーう?今日帰りが遅かったのはこの女子おなごと関わりがあるみたいだなあ」

んー?と斎藤に揶揄うように視線を送るこの男。なんかめんどくさそうなところが師匠とよく似ている。一体誰なのだろうか。まあ兎も角、ここであったからには刀を抜いて戦わねばならない。きっと二人を睨みつけて私が愛刀によろしくね、と手を触れさせると、斎藤はふっと不敵に笑い、もう一人の男はぎょっとした。しゃきん、と音高く愛刀を抜刀して、腰を落として低く構える。そんな私に対して斎藤は刀をオーソドックスな中段に構えた。先刻の口喧嘩の時とは違う、びりびりと一気に緊迫した空気が流れる。流石は新撰組、もう一人の男は勝負の邪魔をしてはならない、と私たちから少しだけ離れた木に背を委ねた。一対一で戦わせてくれるのか、嬉しい限りだ。

「新撰組三番隊組長、斎藤一。参る」

「さすらいの律。いざ尋常に勝負」

そして一秒ほどの沈黙を介し、私たちは同時に地を蹴った。私はもう躊躇わない、中途半端な覚悟を捨て、人斬りに手を汚すとしっかり誓った。そんな強い思いが愛刀にも響いたかのように、初撃は程よい力のこもった一閃。ひゅんと斎藤の腹を真横に斬り裂き、少量の血が地面に飛び散った。どうやら私の太刀筋は鎌鼬かまいたちのように皮膚をぱっくり斬り裂き、かつ血があまり出ないという特殊な太刀筋のようだ。この戦いを観戦している男が、驚きに目を見開いたのが視界の端に移った。そして、なにかをぽそりと呟く。

「これは、総司と相対するかもしれん…」

総司?聞き覚えのない名前に少し首を傾けながら、斎藤の初撃を軽々と躱す。空を切った刀は地面に鋭い切れ込みを作った。その隙を私は見逃さない。初撃を躱され、次の攻撃に転じるまでの一秒もない隙を狙って、私は右上から左下へと素早く剣戟を入れる。流石の斎藤もこの攻撃はぎりぎり刀で受け、苦しそうにくっと声を漏らした。斎藤の限界を見切って、私は手首を素早く返し、先刻の剣筋を辿るように愛刀を振るう。左下からばさっと袈裟切りにされ、斎藤はよろよろと後ろに後ずさった。こいつの剣の腕は凄い、戦っていて身に染みて感じる。だけど、今の私の前ではこいつの剣は一刻もあれば打ち砕けるほどに弱かった。私が昼間に刺した肩の傷のせいもあるだろう。組長ともあろうこいつが、これほど弱いはずがない。少し残念な気持ちを感じながら、私は愛刀を鞘に仕舞った。

「覚悟が足りてないのは、そっちじゃないの?斎藤」

「…ああ、そうみたいだな」

悔しそうに唇を噛みながら、斎藤は刀を鞘に仕舞った。ぱっくりと割れた傷は、血もほとんど垂れていなかったものの、かなり痛々しい。私は斎藤の近くに寄ると、傷薬を取り出して傷口へ塗りたくった。この行動には二人とも驚いたらしく、固まったまま動かない。丁度いいや、と私は思い、傷薬を塗ってやって包帯を適当に巻いてやった。そして、斎藤に向かって口を開く。

「次は万全の状態で斬り合おう。じゃなかったら戦場から失せろ」

「ふ、生意気め。聞いたか永倉」

「あ、あぁもちろん聞いたぞ?こりゃ、次は総司が相手になるしかないな…」

今日のところは見逃してやると言わんばかりに、私は身を翻して野営地へと戻った。斎藤に借りを返せたし、次に本気で戦うのがとても楽しみだ。私は一人、斎藤という宿敵に心を燃やしていた。



※皆さんお気づきだとは思いますが、本当なら沖田総司はこの時は結核を患って動けなくなっています。しかし新撰組はどうしても生き残ってほしいので、全員まだ生きているIFルートとなっています。作者の勝手な意向ですが、ご了承ください。

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