鳥兜


「俺の、勝ちだ」

強気にそう呟いたものの、自分も貧血でふらりと体を揺らす。視界の端が白くぼやけて霞む。まだ倒れては駄目だ、律に任されているのだから。そう思っても、稲妻のように頭を貫く鋭い頭痛には耐えられなかった。体の力が抜けて、畳にがくっと膝をつく。ああ、もう駄目だ。そう思ったとき。

「颯くん、しっかり。あたしも済んやわ」

「茶々、さん…」

「とりあえずこれ飲んで。貧血に効くよ」

口になにか液体を流し込まれ、俺はそれをなにも考えずにこくりと飲み干した。ぼんやりする視界が段々鮮やかになっていき、茶々の若紫の垂れ目がこちらを心配そうに覗いているのが見えた。

「ありがとうございます」

「ええで。颯くんが無事でよかった」

そういってふんわり微笑む茶々さんも、満身創痍だった。装束はところどころ斬り裂かれて赤く染まっている。というか、「済んだ」というのはどういうことだろう。人数は分からないはずなのに。それが気になって質問してみると、茶々さんは微笑んで答えてくれた。

「葵が教えてくれたんやわ。今回城に入ってきたのは四人だけやったみたい」

「そうなんですね…ってえ?後の三人は茶々さんが…?」

驚く俺を見ておかしそうにくすくす笑うと、茶々さんは口を開いた。

「あたしも強いで?藩主お墨付きの忍やし」

「恐ろしや…」

「なんか言うた?」

「べ、別に…」

聞こえているのか聞こえていないのか、この人は律と違ってなにを考えているか分かりにくい。だけど、不思議と怖いとは思わない。この素敵な笑顔のおかげだろうか。律もこんな風にしっかり笑ったら本当にかわいいと思うんだけどな…。彼女は笑顔を作るとどうしても薄い微笑みになってしまうらしい。いつか死ぬまでに律の笑顔の花がぱっと開くところを見てみたいものだ。そんな思考に陥っていると、しゅたっと俺たちの元へ葵がやってきた。

「茶々姉!やったで!うちら、岸和田城を守ったんや!」

達成感に橙色の瞳をキラキラさせて、葵がそう言った。茶々さんもにっこりと微笑んだが、まだ不安があるらしく「うん」とは頷いていない。実際俺もなんだが腑に落ちないところがある。

「…弱すぎるよな。岡部さんの警戒っぷりだとこんなもんじゃすまない気が…」

「そうやな…あたしもそう思うとった」

三人でうーんと首を傾げていると、茶々さんがはっとした顔つきになった。急に人差し指を突き立てて、俺たちに静かになるように言う。しんと静まり返った二階や一階からは何も聞こえないが、微かにきん、という金属のぶつかり合う音が聞こえる。音からして、戦闘音。二階と一階どちらでもなければ、天守閣から。

「っ…‼」

俺と同じように葵も目を見開いて、急いで天守閣への階段を目指して駆け出した。俺も後に続き、背中に悪寒を感じながらひたすら走る。

「こっちはあたしに任せて。二人は行ってきーな!」

「茶々姉ありがとう!」

「ありがとうございます」

二階に一人茶々さんを残して、俺たちは天守閣へと急いだ。戦闘音が近づいてきて、天守閣の襖の奥から人の気配を感じる。一体どうして、葵に見つからずにここまで上がってくるような芸当ができたのか。律をひたすらに心配しながら豪奢な襖を勢いよく開けると、広い天守閣に律ともう一人。

「颯!葵!何してるの、戻って!」

物凄い剣幕で俺たちを怒鳴る律。相対する相手はとても強者らしい、余裕がなくなっている。相手は、長く黒いくせ毛の女。蛇のような鋭い眼光と刀を扱う素早い動きは、どこか野生動物を想起させる遊馬と同じようなものを感じた。肌を多く露出させた衣装は赤い血に染まっていて、ところどころ激闘を感じさせる大きな傷がついている。相対する律も、小さな体に痛々しい傷を無数につけられてはあはあと荒い息をしていた。

「あら、坊やたちも遊んであげようかい?」

女がにやりと顔を歪めてねちっこいような声で喋りかけてくる。時間稼ぎのつもりだろうか、笑っていながらかなり余裕がなさそうな顔つきだ。

「あんたの相手は私でしょ。二人は関係ない」

「そんなにぴりぴりしなくても、あなたが一番よ。大丈夫」

「気色が悪い」

「んふふ。素直じゃないわね」

荒い息を吐きながらも、女は余裕そうに気色が悪い笑みを浮かべている。対する律は刺々しい物言いで女の言葉に反発している。俺には絶対に向けない嫌悪の色が瞳に映っていて、蛇女に向けられている。ここに俺たちの入れるところは無さそうだ。しかし、だからといって見守るくらいはできるだろう。

蛇女は刀を振りかざし、律の華奢な体を真っ二つにしようとする。しかし律は見事な体捌きでうねうねと曲がる斬撃を躱し、愛刀で蛇女に斬り込みに行く。女もそれをぎりぎりのところで躱し斬りつけ合うの繰り返し。だけど目まぐるしく変化する戦況は二人とも強者だということを表している。そうしてしばらくの間鍔迫り合いが続くと、律が脇差を左手に構えた。

「に、二刀流…」

二刀流の動きは基本単調になりがちで、敵に攻撃を読まれやすいが彼女は違う。なんでも器用にこなす律は頭の回転も速く、右手と左手を全く違う動きをさせて連携をとる。これには蛇女も為すすべがない。素早い剣戟が二つに増え、二つとも全く違う動きをするとなればもう捌き切れない。蛇女は胸を刀に大きく斬り裂かれ、甲高い悲鳴をあげながら畳に潰れた。どす黒い鮮血があふれ出し、蛇女がきんきん声で喚く。

叫ぶ女を背中に、律が大丈夫かと俺たちに駆け寄ってくる。彼女の躰も満身創痍なのに、俺たちの心配をしてくれるのか。そんなことを嬉しく思った時だった。

「ふふ、うふふ…苦痛に歪む顔、ようやく見れるわ…!」

「っ?!」

突然意味不明な言葉を女が口にしたかと思ったら、蛇女は俺たちに向かって針のようなものを投げた。その一瞬の間で律が刀で真っ二つにしようとしたが、なぜか止めてしまった。そして、俺たちを庇うために広げた律の掌に針が刺さる。どうして、斬ろうとしなかったのか。

そう不思議に思った瞬間だった。

「っく…!」

「律!」「律ちゃん!」

苦しそうなうめき声を漏らして、律は畳にとさりと倒れた。俺たちが駆け寄ろうとすると、蛇女が通せんぼをしてくる。女はにまりと笑い、俺と葵の腹を思いっきり殴った。速すぎて全く動きが見えない。その間に律は畳で体を痙攣させ、普段とは違う乱れた呼吸を始めた。喉になにかを詰められたような、ひゅうひゅうと喉が鳴る音がした。過呼吸、体の痙攣…

「お前っ…‼」

気絶した葵と一緒になって床に倒れ、ぎりぎり飛ばなかった意識を振り絞って声を出した。憎悪と憤怒の炎が体を焼き尽くすような感覚。絶対に許せない。

「怒らないで坊や、まだ致死量じゃないわ。これはね、即効性を求めすぎて本来の威力が落ちてるのよ」

「黙れ。早く律に吐かせろ!」

そう、針におそらく塗られていたのは毒。それも症状から見て、日本三大有毒植物が一つ「鳥兜とりかぶと」の毒だ。早く吐かせないと律がずっと苦しむことになる。俺は、畳でもがき苦しむ律の姿を見ていられなかった。

「それは無理よ。じゃあね坊や、お嬢ちゃんは貰っていくわ」

苦しさに意識を失った律を横抱きに抱え、蛇女は颯爽と姿を消した。夜の闇に溶け込むなり、二人の影は見えなくなってしまった。

「律——っ‼」

俺の絶叫は、夜闇に虚しくこだますのみだった。



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