帰る場所
ざあざあと大雨に見舞われる岸和田藩。この大雨で足場の悪い中、長廣さんは戦地へと再び赴いていった。長廣さん、生きて帰ってこれるかな。私は、急ぐ長廣さんたちの背中を天守閣から見送った。彼が生きて帰ってこれますようにと強く願いながら。
「りっちゃん。安心して、あの人は必ず帰ってくんで」
「どうして、そう言い切れるの?」
「…あたしが、そう信じてるさかい」
「ふうん…」
私の後ろからそう声をかけた茶々の視線は、一心に旅立った藩主へ向けられていた。若紫の瞳に映るのは彼だけ。その様子から、私は茶々の心情を悟った。きっと、藩主とお墨付きのくのいち、という関係では片づけられない大きな気持ちを抱えているのだろう。彼女がそっと声を押し殺して涙を流すのを、私は隣で聞いていた。ぽんぽんと背中を優しく叩くと、茶々は両手で顔を覆う。大雨の音が、茶々の声を隠してくれた。
「守ろう。長廣さんの帰ってくる場所を。そのために、手伝ってくれたんでしょ?」
「っ…‼」
涙に濡れた瞳を驚きに見開いて、彼女は私の顔を見た。私だって、そのくらいは分かる。いや、分かるようになってきたのだ。長廣さんの帰ってきたとき、岸和田藩が血にまみれて汚れていては安心させることができない。血に汚れるのは、私だけでいい。
「おおきにな。りっちゃん」
装束で涙をぬぐい、茶々は私に笑いかけた。彼女のその表情を見て、私も薄く微笑み返した。
***
「見張りは私がしておく。みんなは休んで」
「でも、律…」
「大丈夫。来たらみんなを起こすから」
「…分かった。一人で立ち向かおうとなんかするなよ」
「うん」
城に防衛に就いて三日目の夜。私は天守閣に一人正座して、夜の闇に溶け込んでいた。颯や葵、茶々には休養を取ってもらい、その間に襲撃があった場合は私が迎撃。そしてみんなを起こして戦う。なるべく殺し合いは避けたいところだが、無理な場合は私が殺しの任を預かる。颯や葵や茶々の手を汚すわけにはいかない。これを言った時颯は激しく反論したが、私が死んだときには颯に任せるということにした。それでも納得できなさそうな顔をしていたが、渋々容認してくれた。
じっと耳をそばだてていると、遠くからの鳥の鳴き声が聞こえてきた。だいぶ集中できている、絶好調だ。そう思った瞬間、ぱしゃん、と誰かが外の水たまりを踏む音が聞こえた。来た。
颯たちが寝ている部屋の戸を開けて、来たよと言えば皆跳び起きた。そして素早く戦闘準備に入る。
「葵、外に居ると思うから確認してきて」
「まかしとき!」
「茶々は1階に降りて気配を消してて。奴らが来たら戦闘開始して」
「分かった」
「颯は二階。いいね?」
「おう」
素早く指示を出すと、皆それぞれ散らばる。そして私は天守閣へ戻り、部屋の真ん中で正座をして待つ。意識を極限まで集中させて、小さな気配もすべて感じ取れるようにする。来るならこい、この城は絶対守り切ってみせる。
律に起こされ、俺は跳び起きて大河さんからもらった刀を握った。どうやら「黒羽」の奴らが動き出したようだ。微睡む意識を無理やり覚醒させると、俺は律の指示を聞いた。こんな時でも冷静沈着な彼女はとてもすごい、さすがは俺の………これ以上先は気持ち悪いと律に言われそうなので思考を切っておこう。うん。
俺は城の二階を任された。返事をすると皆動き出し、それぞれの持ち場に着く。ここに来た奴は絶対に俺が倒す。律には指一本、刀の切っ先でさえ触れさせない。
そんな固い決意をもとに、俺は刀を手にした。実は律に内緒で、この刀は研がれて斬れるようになっている。律が死んでしまわないように、俺がこれで守るんだ。
「律…」
最愛の人の名前を呟きながら、俺は緊張で震える手を見つめた。全く、律は平気だというのに情けないや。だけど、そんな俺も彼女は好きだと言ってくれた。
伊吹屋敷の時も、道場破りがきたときも、俺は何もできなかった。男なのに情けない、俺のせいで律は人斬りになってしまった。律は俺に隠しているつもりだろうが、俺には分かる。彼女は自分の手だけ汚れればいいと思っている。俺たちに手を汚させないために、律が全部背負おうとしている。
律ばっかに押し付けられるか。
もう二度と傷つけさせない。伊吹屋敷のことも、道場破りのことも、俺はなにもできなかった。だから、今回は俺が律を守るんだ。
そう決意して、俺は少しずつ気配が近づいてきている入口に目をやった。一階から戦闘音が聞こえてきているから、茶々はもう戦っている。こいつは、俺の相手だ。
「いい夜ですね。君が相手ですか?」
苛立たせるような声の男。背や歳は俺とさほど変わりないようだ。
「ああ。ここから先は絶対に通さない」
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