颯と律


鼻につく薬の匂いで、私は目を開けた。体中痛くて痛くて、目が覚めたとたんに大声で叫びたかった。部屋には行燈が付いていて、どうやら夜のようだ。

「痛…」

「律?!」「律ちゃん!!」

辛うじてつぶやき程度の言葉を発して、私は眉をひそめた。そのとたん、葵と颯の声がして、視界に二人の顔が映りこんできた。葵は涙でぐしょぐしょになった橙色の瞳をきらきら輝かせて、よかったよかったと自分の事のように喜んでくれた。颯は私に背を向けて、顔を見せてくれなかった。しかし、鼻をすする音が聞こえた。花粉症気味なのかな。

そういえばあの後、私気絶したんだっけ。たしかにあの激闘は体に応えるものだった。

「ちょ、まっててな律ちゃん!父さ…親方がそわそわしてんねん!呼んでくるわ!」

そういうなり葵はどたばたと部屋を出ていき、大声で親方~親方~と叫びながら廊下を走って行ってしまった。元気だなあ、葵は。

なんだか自分は大切にされているみたいだ。気分が悪くはない、むしろ嬉しい。ひょっとして、これがってことなのか。まだよく分からない。

「…律」

「ん、何?」

目を閉じていろいろ考えていると、颯が話しかけてきた。なんか声がいつもと違う、鼻にかかったような声だ。やっぱり花粉症なのかな。

首を動かして颯の方を見ると、颯の目は赤くはれていた。まるで、泣きはらしたような目だ。

「泣きでもしたの?目腫れてる」

「泣いたよ。律が心配だっかから」

「馬鹿」

「はは、痛くないぜ」

颯が変なことを言うので、正座をしている太ももをつねった。しかしあまり力が入らず、痛くないと言われてしまった。ちょっとむかつく。

「情けないよあんた、男のくせに」

「いいだろ別に。どうせ今のも照れ隠しだろ」

むかつく。別に照れ隠しじゃないし、泣いてくれて嬉しいなんて思ってない…はず。にやにや笑いを浮かべる颯に向かって、むっと軽く睨んでから私は布団のなかで体の向きを変えた。颯に背中を向けて、あいつの顔が見えないようにする。

「拗ねちゃった」

「拗ねてない」

背後からくすくすとおかしそうに笑う声がして、私はさらにむかむかした。なんなのこいつ。いつもは「はいはい」って済ませるくせに。認めたくないが、私が不貞腐れていると、背後から優しく名前を呼ばれた。

「律」

「何?」

私が苛立ち半分で答えると、颯は思わぬことを口にした。




「好き」





「…は?」





これには流石に驚いて、私は素っ頓狂な声を上げた。慌てて体を起こして颯の方を振り返ると、重症の傷口がずきずきと痛んだ。でも、今はそんなに気にしない。

もう一回言って、颯。

私のそんな心の言葉が聞こえたのか、彼はふっと微笑んでもう一度口を開いた。


「好きだよ。律」


馬鹿みたい。私なんかを好きなはずがないのに。

嘘に決まってる。こんな私を好きだなんて。

でも、


「嬉しい」


はっと口を押さえたときにはもう遅かった。心の声が口からこぼれて、颯に伝わってしまった。そっか、私、いつのまにか颯に惚れてたんだ。

本音を零してしまった恥ずかしさから、私の頬が熱を帯びて真っ赤に火照るのを感じた。冷や汗が止まらない。

両手で火照る頬を押さえる私を見て、颯はおどろいたように目を見開いた。見ないで、恥ずかしいから。

でも嬉しい。好きになってくれて。私と同じ気持ちで。

そんな収拾のつかないほど大きな気持ちは、隠し切れず私の頬をもっと赤く染める。心臓の音が耳のすぐ隣に聞こえる。廊下からの雑音ももう聞こえない。

「律は?」

真剣な眼差しで見つめられて、私の体は強張った。答えなきゃ、でも本音を言うのは恥ずかしい。誤魔化そうか。

だめだ。ここではきっちり気持ちを伝えなければ。

「…すき」

強張った口からこぼれた言葉は、部屋の空気をふんわりと揺らした。静かな間が、とてつもなく長く感じられる。薬湯を温めていた炎が、ぱちんと火花を散らした。

気恥ずかしさに耐えられなくて、私は両手で顔を覆った。その時、行燈の明かりがすこし陰った気がした。何事かと顔を上げると、颯の両腕に抱かれていた。

「…颯?」

「律、好きだ」

強く、しかし優しく抱きしめられ、人肌のあたたかさが伝わってきた。私もおずおずと両手を彼の背中に回して、優しい抱擁を交わす。ふわりと颯のさわやかな香りが鼻をくすぐった。

これが、ってことなのかな。

とてつもない幸せを噛みしめながら、私は彼の背中に回した手に少し力を込めた。

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