くのいち
「なんや、律ちゃんか。こんなとこでどないしたん?」
そう言った彼女…伊吹葵は私に向かってにっこりと微笑んだ。
「一体ここで何してるの」
「怖い顔せんとってや~。まあ、じっくり話そか」
びりびりと警戒している私と颯に向かって、葵は手招きをした。他意はあるか、そう考えながら私が彼女の言動を観察していると、葵は口を開いた。
「変な噂たっとるなあって思っとったけど、これで律ちゃんを呼び出せたならよかったわあ」
「どういうつもり」
「…警戒するのも、仕方あらへんな。実はうち、くのいちやねん」
そう言うと、葵の目の色が変わった。人懐っこさはどこへやら、瞳には私たちを模索するような目だ。私はしばらく黙ったままの颯の前に立ちふさがるように立ち、もしもの時に颯は逃がせるようにした。私のまいた種だ。颯まで巻き込んでしまうのは腑に落ちない。
「律ちゃん、こないだまで四国の方に居ったやろ?ほら、あの刀振り回しとった男を撃退したって」
「そんな噂、もうこっちに流れてきてるの?」
「ちゃうで、うちが調べたんや。律ちゃんの力を貸してもらうために、前々から移動経路を見張って今日接触したんや」
「…ふうん」
恐ろしい。葵がもし敵意があって私に近づいてきたなら、不意打ですぐ私を殺せただろう。旅の途中だからといって気を抜きすぎたか。ぬかった。
しかし葵は自分のことを、「くのいち」と言った。「暗殺者」ではない。忍者と暗殺者は仕事の内容が全く違う。忍者の主な仕事は間者、つまり諜報活動の専門家と言ったところだ。そして、戦闘を軽減し、戦争を未然に防ぐことを目的に組織されている。対する暗殺者は文字通り「暗殺」、人を殺すことを仕事としている。葵の言っていることが本当なら、彼女は私たちを殺したりはしないだろう。
「で、なにを手伝ってほしいの?」
「待っとったで!あんな、「霧」っちゅう暗殺者から、うちらの親方を守ってほしいねん」
葵は嬉しそうにぱんと手を叩くと、不思議な名前を口にした。どうやら本名ではなく、通り名のようだ。葵に敵意はなさそうだし、今の話も半分は信用していいだろう。しかし、颯が居る以上、こちらも変な真似はできない。
「交換条件として、颯の安全を保障して」
「おい、律!」
「あんたのため。私がまいた種だから」
「…そうか」
きっと、颯も私を手伝ってくれようとしていたんだろう。しかし、私のまいた種で、私の守るべきものが壊れてしまっては困る。いつもの我儘だから我慢してね、颯。いや、我儘ばっかり言ってごめんね。
そんな気持ちをこめて、私は颯に頑張って微笑みかけた。やっぱりいつもの薄い微笑みしかできなかった。笑顔を作るのは少し苦手だ。
だけど、彼には十分伝わったようだ。最初のころは全然緩ませなかった頬を、ふっと緩ませて淡い微笑を刻む。
「そんくらいやったらやったるで、お茶の子さいさいや!ちゅうことで、交渉成立ってことでええやんな?」
「もちろん。手伝ってあげる」
「ありがとな、律ちゃん」
葵はそう私ににっこり微笑みかけると、またお店で、と一言言い残して夜の闇へ颯爽と消えていった。本当に瞬きの一つ間で姿をくらましてしまう。きっと腕の立つ忍なんだろう。
「律、俺のこと守ってくれなくていいんだぜ」
「くれなくていいってことは守ってもいいんでしょ」
「…まあ、そうだけどさ」
「あんたが居ないと、私の生きる意味なくなっちゃうから」
「え?」
最後の私の一言は、夜風に吹かれて颯には届かなかったらしい。まあ、聞かれてたらまた揶揄われてたかもしれない。それなら聞かれなくてよかった。
彼は私が守ると決めた、唯一の一番大事な存在。この先颯がどんな道を進もうと、私は止めない。一生颯を守り続ける、そう心に誓った。
小さいころからずっと自分の世界にこもり続けてきた。しかし、あの道場でこいつと出会ったとき、彼は私の世界の扉を叩いてくれたのだ。私を外の世界に連れ出してくれた、生意気だけど憎めない奴。
…どうやら、こいつに随分肩入れしているようだ。しかし、不思議と嫌な気持ちにはならない。なんでだろう。
「…まあ、いっか」
そう呟いて思考を断ち切り、真夜中の道を宿に向かって二人歩き始めた。
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