人斬りとして


「律ちゃん、短い間ありがとうございました…!」

「また会いに来てね!」

涙をぼろぼろこぼしながら、門下生たちは私の手を優しく握った。私は、門下生の皆に真実を話さないまま旅立つことにした。真実を知っているのは、颯と冬弥。この二人だけ。

女の子の門下生だけでなく、男の子も泣いてくれている。こんな私のために。

ありがとう。心の中でそう呟きながら、私は皆に薄く微笑みかけた。

「うん、また来るね。次はお土産でも持ってくるよ」

冬弥は泣きはらした赤い目を、私に向けて微笑んでくれた。そんなに必要とされていたんだ、私。嬉しいな。

門下生たちの中を見渡しても、颯の姿は見つからない。きっとまだ休んでいるんだ。最後にあいつには一言言っておきたかったけど、もう無理かな。

そこで思考を断ち切り、道場に背を向けてゆっくり歩き始めた。皆の涙に濡れた声と別れの挨拶が、哀愁を強く感じさせる。ああ、振り返って戻りたいな。そんな思いを遮るように、私は右手をひらひらと振った。

これで、いいんだ。そう思った時だった。


師範せんせい!!」


聞きなれた、しつこくまとわりついてきた声が、背後から聞こえた。私が歩みを止めると、声の主はこちらに駆けてきた。そして息を切らしながら私の隣に並ぶ。

「俺も連れてってください。いいですよね?」

驚いて私が彼の方を見ると、彼は背中に荷物を持っていた。どうやら荷造りしていたようだ。だから居なかったのか、さっき。

師範せんせいを、一人で苦しめるつもりはありません。俺に頼ってください」

漆黒の彼の瞳は、真剣に私を見据えていた。そんなこと言われたら、断れない。

「馬鹿」

そう言って私は颯の横腹を軽く殴った。視界がぼやけてにじむ。いつのまにか、頬には温かい涙が伝っていた。

ほんとは、嬉しかった。話しかけてくれて、構ってくれて嬉しかった。

「ありがとう。颯」

ちょっと恥ずかしかった。泣いた顔のまま、馬鹿正直に感謝したことなんてなかった。ちょっと顔が赤くなってるかも。

そんな私に向かって、彼はやわらかく目を細めて微笑んだ。初めて、彼の笑った顔を見た。

「あと、敬語と呼び方やめて。むず痒い」

「じゃあ、律。でいい?」

「いいよ」



剣客から人斬りへとなってしまった律。しかしその代償に、守るべき大切なものを見つけた。




「これ、此処に来てから狙ってたんだよね。ありがと」

「いいよ。似合ってる」

「…馬鹿」

「痛って!」

京都を南下していくにあたって、はじめの雑貨屋さんで颯に髪紐を買ってもらった。一目見たときより、なんだか愛着がわいてくる。しかしいざ髪を結ったら、颯が褒めてきたので、踵を蹴り上げてやった。

普段あまり感情の起伏がない彼に、大声を出させることができてちょっと面白かった。彼は不満そうな顔をしていたけど。


そうして私たちは京の都を出て、大阪を目指すことにした。実はそこに、私の師匠が住んでいた気がするのだ。あくまで、だけれど。

師匠に会ったら、人斬りの件を報告したい。そして、私に誰かを守る力をつけてほしいのだ。こんなこと颯には絶対に言わない。



***


あれから二週間。私たちは各地の町を転々としながら大阪を目指していた。季節も少しずつ移り変わり、もうすぐ桜は散ってしまいそうだ。

「律ー。お願い水頂戴」

「…いやだ。川で汲んできなよ」

「川ないんだよ、もう。死んじゃう」

季節だけでなく、こいつの性格も徐々に変化していく。いや、本性が現れたのかもしれない。颯は水の消費量が多く、一日に水筒二本分ほど飲み干す。お陰で水がなくなると駄々をこねるので、私の水を半分分けてやらねばならない。一度「河童」とあだ名をつけてやったら、なんとも言えない微妙な表情をしたのでやっぱりやめておいた。

「ほら。半分だけだよ」

「ありがたき幸せ」

「半分以上飲んだらとっちめる」

「怖いって」

こんな会話があるおかげで、一人旅の時よりは面倒だがにぎやかだ。ああでも、夏になったらこいつ、どんだけ水飲むようになるんだろう。考えただけで恐ろしい。

「夏は絶対、自分で水分確保してね」

「分かったよ」


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