距離の詰め方
「では、始め!」
冬弥の凛とした声が耳に届いた瞬間、私たちは動き始めた。まずは青年が竹刀を振りかぶる。私はそれを器用に竹刀で受け止め、ぐっと横に流した。
一撃が、重い。
彼の一撃はかなり巧緻で正確だ。そして、今まで受けた剣の中でかなり重かった。しかし、それだけで遅れをとるような私ではない。受け流した後に素早く手首を返し、先刻の剣筋を辿るように斬撃を入れる。私の斬撃は、彼の横腹に当たってぱしっという気持ちのいい音を鳴らした。
「一本!」
冬弥の掛け声で私たちの動きは止まり、竹刀を片手にお互い一礼する。どうやらこの青年はかなり腕のいい門下生だったらしく、ほかの門下生たちがざわついている。
「
「女だからって舐めてもらっちゃ困るよ」
私は彼の漆黒の瞳を見つめて、そう言い放った。別に強く言ったつもりはなかったのだけれど、青年はしょんぼりしてしまった。あ、そういえば。
「青年、名前は?」
「
「そう、これからよろしくね。颯くん」
「よろしくお願いします」
まだしょんぼり気味で喋る颯の背中を、私はぽんぽんと優しく叩いた。なんだか彼には特別ななにかを感じる気がした。
***
「
「…颯。そっちこそどうしたの?」
橋の欄干に手を置き、日光できらきら輝く川面を眺めていたら、後ろから声をかけられた。あの試合をして以来、なにかと喋りかけてくる颯だ。
もうこの道場に住み着いて二週間が経ち、ほかの門下生たちは「りっちゃん」、「律姉」などと呼ぶ中、彼だけは私を「
「俺はさっきまで買い出しに行ってました。
「見ての通り。黄昏てるだけだよ」
そう言って彼の方を向くと、彼はわからないといった様子で首を傾げていた。私が彼から視線を外し、再び川面を眺めていると隣に颯が並んできた。
「
「してたって…勝手に過去形にしないでよ。特に行く当てもない旅だよ」
「そうなんですか…」
そう呟いて彼が欄干に手をつくと、水面から魚が飛び出して、ぱしゃっと水しぶきを上げた。水の中で体を翻す魚の腹が、日光を反射してきらりと光った。
「俺は、
「ふうん。まあ考えとくけど」
すこし驚いた。今まで私にこんなことを言ってきた人は一人もいなかったのだ。それ以前に、こんなに深く人とかかわったのは初めてかもしれない。しかも、同い年の青年とか、絶対にない。
「ほら、買ってきたもの痛むでしょ。はやく帰んな」
「分かりました。
「…いいよ。今帰ろうと思ってたし」
なんだか、人と距離を詰めるのって難しい。
他の門下生とはすぐに仲良くなれたんだけど、こいつはちょっとなにか違うものを感じる。
「ただいま帰りました」
「ただいまー」
「おかえりなさい。律さん、颯」
道場の裏手にある玄関から家に上がると、冬弥が出迎えてくれた。颯が買ってきたものを受け取り、さっそく昼ご飯を作り始めた。その間私は道場で一人稽古をする。この暮らし、なんだか悪くない。
稽古をしている間、ずっと颯が横で見ていたが特に気は乱れず集中できた。こいつはなにかと私に付きまとってくる。けど、あんまり悪い気はしない。
「ご飯にしましょうか~」
「はーい」
「はい」
冬弥の声が台所から聞こえてきて、私たちは部屋へ移動する。この道場に住み込んでいるのは私、冬弥、颯の三人だけだ。だから、こじんまりした部屋でいつも食卓を囲む。
今日もいつもと同じように、私は白ご飯から箸をつけた。その時に、冬弥がなにか思い出したように口を開いた。
「そういえば、東京の方で人斬りが暗躍しているらしいですよ」
「物騒な話ですね」
「ところで、ここってどこなの?」
そもそもの話、私は地理をあまり理解できていない。話が気になったから、ここがどこなのか聞いただけなのに。冬弥は目を大きく見開き、颯はふふっと噴き出した。
「な、なに笑ってんの、聞いただけじゃん」
「
「なんか悪い?」
「まーまー二人とも。律さん、ここは京都ですよ」
「ふうん、ありがと冬弥」
京都か。さっき教えてもらったことだと、東京からはだいぶ離れてるみたいだから、大丈夫だとは思うけど。なにか嫌な予感がする。
冬弥の仕入れた噂が遅れていなかったらいいんだけど。
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