道場にて


野蛮な男から女性を守ったことによって、私の名は広く知れ渡った。たまにはちやほやされてみてもいいかなと思ったけれど、それはそれで気持ちが良くなかった。ずっとちやほやされるのも面倒なので、この町を一晩で出ていき、次の町を目指すことにした。

「全く。性に合わないことするもんじゃなかった」

あの時抜刀せずに倒していれば、名前を教えていなかったらなにか変わったかもしれない。自分の煩悩に少しの後悔を抱きつつ、私はそうつぶやいた。



一週間ほど山道を歩くと、次の町が見えてきた。実のところ一週間も歩かなくても村はあったのだが、あの町の近くだともう噂が届いているかもしれないと思ってここまで歩いてきた。ちょっと恥ずかしいんだよね、褒められるのって。

そんなことを考えながら、新しい町へ足を踏み入れる。にぎやかさは前の町と変わらないが、こちらのほうが治安がよさそうだ。偉そうな士族がいる。

「…刀隠さなきゃ。いや、紐で縛っとけばいっか」

特別刀を持ってはいけない、ということはないがいろいろ厄介ごとに巻き込まれることがあったので、今回はちゃんとしておこう。抜刀できないようになっていれば何も言ってこないだろうから。

髪を結っていた髪紐をほどき、刀を抜刀できないように固く結んでおく。しかしこれだと、長い黒髪が邪魔なので、この町で髪紐を買っていこうと考えた。


路銀、足りるかな…


町の雑貨屋に駆け込んで、髪紐を探す。なるべく安いのがいい。じゃなきゃ今晩の晩御飯は雑草になってしまう。

店に並べられている商品を眺めていると、一目見て気に入るものがあった。群青色の髪紐。お値段なんとXXX円。

「たっか…」

髪紐にしてはちょっと高い。思わず私はぼそりと文句を呟いてしまった。しかし、ほかのと比べて長持ちしそうだし、使い勝手もよさそうだ。

どうしたものか、小遣い稼ぎでもしようかと考えながら店を出た。どっちみち、路銀がなければこの町には長く居座ることになるだろう。ならば小遣い稼ぎだ。



***

「いやあ律ちゃん。本当にありがとう」

「いえ、私も小遣い稼ぎですので、お気になさらず」

ということとなったら、私が稼ぐ方法は一つ。剣道の道場を訪ね、師範代に話を通して弟子の育成を手伝わせてもらうこととなった。

武道を学んでいて損することはない。師匠に感謝せねば。

私に剣術を教えてくれた師匠は、名を「あずま」といって、当時30くらいの腕の立つ剣客だった。強かで優しく、朗らかな彼は、私の父親のような人だった。すこし生意気なところもあったが。

ここの師範代の男は、真面目で謙虚な人のようだ。私の師範とは打って変わっていい人。とても好感が持てる。

彼の名は「林冬弥はやしとうや」。門下生は男女合わせて全員で23人ほどいる。少なくない人数だ。

「さて皆。今日から住み込みで剣術を教えてくれる律さんだよ」

冬弥さんが門下生たちに私の紹介をしてくれる。私からも名前と年齢を一応言うと、年齢を言ったあたりですこしざわめきがあった。19歳って、そこまで珍しいかな。



「そこの君。踏み込みが足りない。もっと頑張って」

「は、はい!」

「今度は君。集中力がなくなってきてる、気合入れ直して」

「はいっ!」

皆の稽古を見ていたが、なかなか悪くない。ここの門下生はきっちり修練を頑張っているみたいだ。私が注意したところも直せているし、とてもいい子たちじゃないか。

「冬弥さん。ここの門下生たち、よく頑張ってますね」

「本当かい?そう言ってくれて嬉しいよ」

隣に立つ冬弥さんに声をかけると、彼は嬉しそうににっこり微笑んだ。彼が一生懸命指導しているからだろう、門下生たちは誰一人冬弥を嫌ってはいなかった。

そうやってしばらく稽古の様子を見ていると、ある青年に声をかけられた。背は私より頭一つ分くらい高い。まあ私がすこし小さいのだけれど。

師範せんせい、俺と試合しませんか?」

「それ、私のこと?別にいいけど」

急に試合をけしかけられて、私は少しびっくりした。この青年は一体何をしたいのだろう。ちょっとだけ興味と不思議な気持ちを感じながら、竹刀を手に道場の中心辺りに出る。

私は長い黒髪が邪魔だなと思いつつ、竹刀を中段に構え、腰を低く落とした。青年はオーソドックスに私に向かってぴしっと構える。

「では、始め!」

冬弥の凛とした声が耳に届いた瞬間、私たちは動き始めた。


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