耳に単三電池を詰めていた先輩の話
のざわあらし
耳に単三電池を詰めていた先輩の話
人は誰しも「自分の世界」を持っている。
俺の瞳に映った「先輩」の世界はあまりにも独創的で、俺のそれとは遠くかけ離れていた。交わった瞬間はごく一瞬でも、わずかに垣間見えた景色は、16年経った今でも瞳の奥に残り続けている。先輩の耳たぶに開いた大穴の中の、単三電池と共に。
2007年の夏。日本国内では未だiPhoneが発売されておらず、招待制のmixiが幅を利かせていたガラケー全盛期──。高校一年生だった俺は、夏休みにも関わらず連日学校へ通い詰めていた。所属していた柔道部の猛練習と、秋に本番を控えた学園祭の準備のために。
当時の俺はクラスの中心から外れていた人間で、決して高い社交性を持ち合わせてはいなかった。しかし、柄にもなく「皆で力を合わせるタイプの学校行事」は好きで、何かイベントが起こる度に積極的な熱意を向けるようにしていた。
高校一年目の学園祭、野外ステージ委員(屋外イベントステージの作成や設営・機材などを担当する役割)の一員に加わり、様々な準備に明け暮れていた頃。委員会の中で特に目立っていた存在が、その先輩だった。今では名前すら思い出せない。連絡先も知らない。よって、本稿ではただ「先輩」とだけ呼ばせて頂く。
先輩のエピソードを語るには、まず容姿から入る必要がある。 当時流行っていたドラマ「プロポーズ大作戦」の主人公を思わせる滑らかな茶髪。高校生男子の平均値を上回る長身。すらりと伸びた高い鼻。端正かつ少々派手な外見は、どうしても目を惹かれざるを得なかった。
第一印象に反して、先輩の振る舞いは落ち着いており、達観したような雰囲気を
そんな先輩に、ほんの少しだけ近付いたかもしれない瞬間があった。 駆け足で駅へ向かおうとしていた、ある日の帰り道。通学路の先に先輩らしき後ろ姿があった。長身に長髪、腰よりも下げた制服のスラックス。間違いない。
俺は駆け足。先輩は普通の徒歩。徐々に距離が縮まっていく。すれ違い様に挨拶しようと思った矢先、揺れる茶髪の合間から、何か太い筒のようなものが見えた。
左の耳たぶに詰まっていたそれは、まるで単三電池のような……いや、確実に単三電池そのものだった。
「何ですか、それ?」
横から声を掛けた俺は、挨拶もそこそこに直球の疑問を投げた。
「穴が塞がらないようにしてる」
するりと乾電池が抜かれると、耳たぶには巨大な穴が穿たれていた。人生で初めて見たピアス穴だった。
厳しい校則。ピアスなど論外。休日は着けているそうだが、学校では我慢するしかない。よって先輩いわく、教師に見つからぬ登下校中は穴の維持に努めているそうだ。
どのようなリアクションを返したかは全く思い出せない。普段は髪で隠れていた耳に巨大な穴。しかも穴には単三電池がぴったりと……。見てはいけないものを見てしまったような、まじまじと見ていたいような、相反する背徳感を抱いたことは覚えている。恐怖心や萎縮は抱かなかった。詰まっていた乾電池に、どこかシュールさを覚えたからだろう。
その後、俺は先輩と駅まで並んで帰った。ちらちらと横顔を、いや左耳を見ながら。たかだか10分程度喋りながら歩いたところで、相手の内面に迫れるはずもない。しかし、ピアス穴と電池を見た俺は、少しだけ先輩の世界を知った気になった。先輩の世界は、俺のそれとは大幅に異なっているらしい……と。
限りある青春を注ぎ込んだはずなのに、学園祭当日の記憶は何故か朧げだ。かろうじて記憶に残っている情景には先輩ばかり登場する。
先輩は裏方の仕事を全うすると同時に、参加者としてもステージに登壇していた。カラオケコンテストで髪を振り乱しながらパンクを熱唱したり、知らない洋楽のリズムに併せて即興のスプレーアートを披露したり。 先輩は自ら準備し組み立てたステージを、文字通り自分の世界で塗り尽くしていた。その耳には、単三電池もピアスも存在しなかった。
祭りの後は虚しい。出店は勿論、浮かれた気分や賑わい等、様々なものが跡形もなく消えてしまうからだ。学園祭が終わると実行委員はあっさり解散し、皆それぞれが所属する学年・グループへと帰っていく。 解散後、先輩と話す機会は一度も訪れなかった。大きなピアスを嵌めた先輩の姿を、目にすることがないまま。
先日、愛聴しているラジオ番組のお便りコーナーにて、ピアスの話題が採り上げられた。その瞬間、急に「ひと夏の思い出」が蘇り、先輩の姿が懐かしくてたまらなくなった。
ピアス穴を乾電池で拡張している人の姿を見ようと、「耳たぶ 乾電池」などと検索を試みる。しかし、望むような結果は現れない。どうやらピアス穴拡張・維持の為に単三電池を使用するのは、さほど一般的な行為ではなかったらしい。
ふと、一つの考えが脳裏をよぎった。 耳に挿した単三電池──。 もしかしたら、ピアスではなく「それ自体」こそが、先輩の自己表現の一つだったのかもしれない。「穴が塞がらないようにしてる」とは、単なる方便に過ぎなくて。
先輩の世界は独創的で、到底俺の理解が及ぶものではなかった。今となっては真実を知る術もない。だからこそ、もっともっと知りたかった。歩み寄りたかった。もう呼びかける名前すらわからない、あの先輩に。
耳に単三電池を詰めていた先輩の話 のざわあらし @nozawa_arashi
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