第37話
鎌田から連絡があり、家を再び訪れたのはそれから数日後だった。
「すみません。気晴らしに旅行へ行っていたので」
以前に見た時よりも、母親の顔色はいいように見えたが、心労からきているであろう疲れは、やはり色濃く残っているようだ。
「それで?」
沖谷は本題にすぐに移った。
「娘さんのパソコンってありますか?」
「パソコン?」
「ええ。現場写真に写っていたので」
「ちょっとお持ちください」
母親は、写真で見た白いノートパソコンを持って戻ってくると「これですか?」と、沖谷に差し出した。
「ええそうです。中は確認されましたか?」
「警察にも預けて、帰ってきてからは私はめっきりなのですが、夫が」
「それで」
「特に何も言っておりませんでした」
「そうですか。少しお借りしても?」
「ええ。どうぞ。それで何か?」
必ず聞かれるだろうと考えていた質問だった。
「今のところは何も。やはりこのまま事件性のない、変死という扱いになるかと思います」
「でも、でも調べてくれているんですよね?」
食い下がってくる母親の視線が、ねっとりと絡みつき居心地が悪かった。
「ええ調べてはいますが、これ以上何も出てこなければこちらとしても」
鎌田明理の母親は体を九の字に曲げ、自分の世界に入り込んでしまったように、沖谷の挨拶に反応はなかった。
そのまま署には戻らず、そのまま自分の家へと向かった。
人の気配がない家の空気はどこまでも冷えていた。沖谷はリビングで持って帰って来たパソコン立ち上げた。しかし直ぐには立ち上がらなかったので、その間にトイレに行きコーヒーを入れることにした。戻ってきて少ししてからやっとパソコンは立ち上がった。
画面上にいくつかフォルダはあるが、特に気になるものはなかった。インターネットの履歴も確認してみたが、飲食店や携帯のデコレーションサイト、洋服など特に変わったサイトもない。
「事件性はなさそうなんだがなあ」
沖谷は呟きながらそのまま床に横たわった。同時にふと自分は一体に何をしているのだろうか? と疑問が湧いてきた。早期退職希望を出し、釣鐘の推薦を受けて大学の警備員という職を確保できている。すでに団塊世代の退職が始まっている中で、大学の警備員は競争率が高いと聞いている。他に無人になる交番所内での待機要員などもある。しかし中にはそういった仕事が回ってこずに、取り立て屋の仕事を紹介された人間もいると聞く。そう考えれば沖谷は運もタイミングも良かった。なのに体の内から空気が漏れ出ていくような怖さが無くならない。
考えながら見上げている天井の木目は、買った時はもっと明るい茶色だったはずなのに、やけに濃くなっていた。独り暮らしの割には綺麗にしている方でも、よく見ると端に綿埃が落ちていた。沖谷はそれを取りに行くわけでもなく、もう一度パソコンに目を向けた。
少し時間が開いただけで画面は黒くなっている。マウスを動かすと、激しい音を立てながらデスクトップ画面に切り替わった。
もう一度ネットにつなげた時に妙な違和感があった。同僚のパソコンも起動が遅く、パソコンに詳しい奴に聞いて何か作業をしていた。その時同僚が「中のデーターを整理しないといけないみたいなんだけど、画像とかどうしても消せなくてな」と言っていた。
沖谷はドライブの中を確認した。通常パソコン内で保存するときはDドライブを使う。もう一つあるCドライブはOSやアプリケーションが入っているため、そこに画像や作成した資料は保存をしない。しかし鎌田のパソコンのDドライブはフォルダが一つあるだけで、中身は画像などではなく家計簿のようなエクセルやワードしかない。
ファイル検索を使い、画像でよく使われているコマンドを打ち込んでみた。画面の端に検索中のメッセージが表示される。数分待つと画面に検索結果が出てきた。
検出されたファイルを開けていくと、そこには鎌田明理が裸で縛られながら蝋燭を垂らされているものや、目を疑いたくなるような拷問をされている画像が何十枚とあった。違うフォルダには、サイトの保存がされ開けてみると、沖谷には考えたこともない世界がそこにはあった。
保存されていたサイトの中に、写真を投稿できる掲示板があった。沖谷はIDの欄にカーソルを合わせクイックすると、記憶されていたIDとパスワードが自動的に表示された。エンターを押して中に入ると、画面上部に「ようこそシックル様」と表示された。どうやら鎌田明理が使っていた名前のようだ。
掲示板には顔は分らないようになってはいるが、男女が自慢げに自分自身が拷問されているもの、相手を拷問している写真がUPされて、ほとんどの投稿写真にコメントがついていた。読んでいくとそれは無理やりではなく性的趣向のようで、好きで拷問されているようだった。
沖谷には拷問だと感じるが、他のユーザーは快感を得られる行為で理解できなかった。中にはナイフで体を傷つけられているものや、皮膚が変色しているのに水責めをされているもの。目を反らしたくなるものばかりだ。
画面右上にマイページの表示を見つけクリックした。ページには鎌田明理が投稿した写真とコメント履歴が残っていた。そしてメープルという人物とのメッセージのやり取りも残されていた。初めは当たり障りがない世間話から仕事の話になり、互いにクラブ経験者だとわかると、メープルがいい仕事がある。この趣味が金になるんだと書かれていた。沖谷は暗くなった部屋にも気付かず、メッセージとサイト内を読み漁っていた。
しかし一度警察の手に渡っているにも関わらず、報告書には何も記載はされていなかった。安易に確認しただけで、細部までは調べてはいなかった。というよりも事件性がないと判断した時点で、手抜き捜査になったのだろう。恥ずかしいことだが、あり得ない話ではなかった。
そして沖谷はパソコンを返却する際、写真を削除してしようと考え始めていた。死んだ娘が嬉々として自分の体を傷つけ悦びを感じていることが、赤裸々に書かれているのをあの母親が見たらと思うとやりきれない気分になった。見せられるわけがない。原因を知らぬままに時間が娘の死を癒していくのと、異常なまでの性癖を知って事実を受けいれられないまま過ごすのと、鎌田の親にとってはどちらがいいのか。
それにこれが元凶だとしても警察はもうこれ以上動くことはない。言い方は悪いが身から出た錆で終わりだ。
画面と睨み合いをしていたためか、頭が火照ったようにぼうっとしていた。パソコンの電源を落とすと、部屋は一気に暗くなった。
翌朝、リビングで目覚めた沖谷は、すぐにシャワーを浴びた。昨日の火照りはシャワーで冷やされスッキリとした。身だしなみを整えた後、女に貰った履歴書を見て周防という男に電話をかけてみた。時計はちょうど八時を指している。
「はい周防です」と低い声だが張りのあるしゃべりで方だった。
「周防さんで?」
「ええ。すみませんが」
「私、沖谷と申します」
「沖谷……申し訳ありません。どちらの……」
履歴書を見るとすでに卒業している。どうやら取引先と勘違いしているようだ。
「すみません申し遅れました。警視庁捜査一課のものです」
「警視庁? 刑事さん? え? 家族に」
「いえ違います。少し伺い事があるんですが……咲さんって覚えていますか? その件でお時間いただけないでしょうか?」
周防という男は警戒しながら慎重になっているようだった。ちばらくの沈黙の後に、
「わかりました。今日は夕方まで営業先に出てるんでその後、会社に戻る間なら」
「わかりました。じゃあ五時ころはどうでしょう?」
「大丈夫だと思います。待ち合わせは日本橋でお願いします」
「わかりました。では」
沖谷は電話を切ると家を出た。
刑事課には当番の一人しかおらず、相変わらず幼児連続誘拐事件で忙しいようだった。当番の刑事が沖谷をチラッと見て形だけ頭を下げた。同じように返して自分の席に座った。パソコンを立ち上げ、今回の報告書を作成する。
拷問SMクラブ。鎌田明理とサイトで知り合った天田楓も同じ趣味の持ち主で、SM嬢としてどこかのクラブに所属していたと推測できた。ただそれがどこに店を構えているのか沖谷には全く予想できない。きっとモグラのように暗い地下で、人目に付くことなく行われている気がしていた。
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