第35話
舞伎町に着いたのはちょうど六時前だった。薄暗くなり始めた空とは対象に、派手に装飾された看板などが点いて地上と空が逆転していた。
手帳に書き写したクラブを確認するが、店が多いために番地を探すのにも一苦労だった。店の前に出てきている店員に場所を聞きながらやっと鎌田が働いていたモンサンミッシェルという看板を見つけた。
六階建ての二階にその店はあり、エレベーター横にある、螺旋階段を上がっていった。白いタイルの先に開店の準備のために出入りしているのか、戸が開かれたままになっていた。沖谷は来慣れている客のように中へと入っていく。
「お客さん。まだ準備中です。扉に掛かってたでしょ」
「俺は客じゃない」
警察バッジを見せると、若いボーイの顔が引きつった。長年の勘で、この男が何か法に引っかかることをしているという確信めいたものはあったが、今は関係ない。
「以前ここで働いていた、鎌田明理って女性について聞きたことがある。店長か責任者はいるか?」
「あ、ちょ、ちょっと待てて下さい」
男が消えて行った店の奥から出てきたのは、高そうな着物に身を包んで、髪を結いあげた三十代後半だと思われる女だった。いやもしかしたら沖谷が思っているよりも若いのかもしれないが、厳しい世界をのし上がってきた女の貫録がそう感じさせているようだった。
「ミクちゃんのことですよね? 私はここで雇われているママの近藤です。ここではなんですからどうぞ」
まだ薄暗い店内の一番奥の席に案内された。
「ミクちゃんは鎌田さんの源氏名ね。ミクちゃんの方が言い馴れているからそれでお話しても構わないかしら。でも以前にお話は」
「ええ。まあそうなんですが、少し気になる点がありましたんでご協力を」
客商売をしているだけあってか、近藤は嫌な顔をすることなかった。
「鎌田さんに付き合っているまたは親しかった男性、入れ込んでいた客とかはいましたか?」
「いえ。なかったと思います」
「思います?」
「この世界、気に入ってもらって何ぼでしょ? それに身の危険が感じられるようなことがあれば、店側としてはそのお客様には申し訳ないんですが、出入り禁止にさせますし」
「では付き合っていた男性は?」
「店側としてはそこまでは把握していません。プライベートな事ですし、もちろんそういった相談をされることもありますが、彼女からはなかったですね」
「じゃあ何か気になって事とかはなかったですか? 困っていそうだったとか、トラブルに巻き込まれているとか」
近藤は綺麗に刺繍されたポーチから、タバコとライターを取り出すと、
「刑事さんは?」
「いえ大丈夫です」
タバコを天井に向けて長く吐いた。
「以前来られ時に考えてたんですけどね、特にないんですよ。勤務態度も真面目だったし、困った様子も感じられなかったんです。ここの女の子たちとも上手くやっていたし……ただ」
「ただ?」
近藤が灰皿にタバコを置くと、先ほどとは違い険しい表情を見せた。
「ちょうど亡くなる半年ほど前からそれまで真面目で、遅刻しそうな時や休む時には連絡してきていたのに、ルーズになってきておまけに」
「おまけに?」
「前回刑事さんが帰ってしばらくしてからなんですけどね、ユウコって子がいい仕事があるんだって言われたのを思い出したって教えてくれたんです」
「それはどんな仕事ですか?」
「それがその子も内容を聞こうとしたらしいんですけど、詳しいことを言わなかったって。ただ自分自身が解放される仕事だって。解放ってね……宗教か何か変な事じゃないって思ったんですが……」
「そのユウコって子は?」
「ああ、まだいますよ。確か今日は出勤のはずです」
「そうですかじゃあ連絡を貰えるように言ってもらえますか」
「わかりました」
沖谷は近藤に名刺を渡した。
「やはりミクちゃんって事件か何かに?」
「いえまだわかりませんが、その可能性はかなり低いと思われます」
「じゃあ」
「可能性がゼロではなければ、調べるのが仕事ですから」
自分の吐いた言葉に薄ら寒さを覚えながら、沖谷は店を出た。
数日後、ユウコから連絡があった。
「鎌田さんと他に仲の良かった人とか知っていますか?」
「うーん……以前にいた豊(とよ)っていう店のママと仲がよかったみたいな事を言っていたかな?」
「豊? どこの店?」
「銀座って言ってた」
「ありがとう」
以前の勤め先以外は、近藤から聞いていたこと以外に目新しさはなかった。早速その店を探した。銀座に豊という名のクラブは一軒しかなく、手間は掛からなかった。
すでに時間は夜の八時を回っており、店にも客の出入りが目立っていた。店はビルの一階にあり、割烹料理屋に見える店構えだった。店に入るとボーイが出向かえてくれた。
「いらっしゃいませ。本日はお一人様でしょうか?」
「あ、いや。ここのママはいるかな?」
「はい。ご用件で?」
にこやかだった顔が瞬時に険しくなった。沖谷が警察バッチを見せると、男は慌てて「お待ち下さい」と早足に奥へと消えて行った。
ボーイと一緒にやはり髪を鬘のように整えた着物の姿の女と戻ってきた。
「このクラブの責任者、野村(のむら)豊子(とよこ)です。ここでは何ですから、事務所へお願いできますか?」
「わかりました」
中は入り口からほとんど見えなかったが、奥まっていて案外に広かった。そして思いの他、客で席が埋まっていたことに驚いた。景気がまだ悪いといえ、この店の集客率はいいのだろうと想像ができる。通された場所は四方を壁で閉ざされた四畳もあるか無いかの部屋で、そこ小さいなパソコンデスクに本棚には太いファイルがぎっしりと並んでいる。
「少し狭いんですが」
出されたパイプ椅子に座ると、野村との距離が一層近くなる。しかし付けている香水がキツいのか、鼻がひん曲がりそうだった。
「早速ですが、以前ここで働いていた鎌田明理さんについてお聞きしたいんです」
「明理ちゃん? ってミクちゃんの事ですね? 何かあったんですか?」
沖谷はユウコから仲がいいと聞いていたので、その反応に少し違和感を覚えた。
「知りませんか? 亡くなったんですよ」
「ええっ!」
「それで以前ここのママさん、あなたの事なんですが、仲が良かったと聞きまして」
野村の顔が少し翳った。
「仲がいい……というよりは、しっかりとしていた子なんだけど、なんか危なっかしい子でほっとけなくてねえ」
「たとえば?」
「ミクちゃん、結構人気でお客もついていたんです。でもいつもどこか遠くを見ているというか……悲しそうというか、まあ私の感覚なんですけど。だからあれこれと世話を焼いてしまって。仲が良いというよりは、母娘のような関係だったかもしれません」
野村は悲しげに伏せていた目を沖谷にむけて続けた。
「どうして亡くなったんですか? 刑事さんがくるという事は……」
「あ、いえ。衰弱死でして」
「衰弱死? それで刑事さんがどうして?」
「まあちょっと気になることがあっただけです。ところで彼女の交友関係とか知りませんか?」
野村は宙を見つめながら「そうねえ」と考えているが、狭い部屋にこもる香水の匂いが沖谷の鼻を壊しながら、とうとう脳みそまで侵そうとしていた。なるべく呼吸をしないように時間の経過を待っている。
「これと言って親しい子はいなかったと思うわ。でも携帯で楽しそうに話していることが何度かあったわね」
「客じゃないんですか?」
野村は鎌田が楽しそう話している雰囲気から、「彼氏?」と聞いたことがあったが「友達です」と答えたという。そのうち何度か近くを通った時、女性の声が確かに漏れ聞こえてきてという。
「それでミクちゃんにも友達がいて安心だわ。どんな子なの? って聞いたんです。そしたら似たような趣味? って疑問形で返してきたから、何となく印象に残ってるんですよね」
「名前は?」
質問した時に部屋の空気が口に入ってきて、感じるの筈のない味がしたような気がした。
「昔一緒に働いていた子だとは聞いたんですけど……名前、言ってたような気がするんだけど、ありふれた名前だった気が……ごめんなさい。思い出せないわ」
「そうですか。では名刺を渡しておくので、思い出したら連絡を」
沖谷は名刺を渡して部屋を出ようとしたら背後から「でも自分より若い子が亡くなるっていうのは、どんな理由であれ嫌なものね」と野村の寂しげでこか問いかけてくるような呟きが聞こえた。
部屋を出てタバコと酒、男女の匂いが混ざった空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
諦めていた野村から連絡があったのは、それから一週間を過ぎて沖谷が渋谷署で昼を食べている時だった。
昨日入ってきた新人の子の源氏名で思い出したと。その新人と同じサキという名前を言っていたという。だがどこのクラブにいるサキかまでは分らないと言われたが、十分な情報だった。
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