第34話

沖谷が部長に言われ、所轄の捜査を手伝うために派遣されたのは、ちょうどあの家を見に行った日だった。手持無沙汰にしている沖谷を哀れに感じたのか、目障りだったのかはわからない。


それともたまたま大きな事件と重なって、あと数か月でいなくなる人間を加えることもできないので厄介払いしたかったのか。理由はどうあれ、事務仕事にも飽きてきたころだったのでいい気分転換にもなるだろうと、快く引き受けた。


しかしその所轄が渋谷署だと聞き、最後の最後でまた振り出しに戻ったような、それとも引き寄せられているような運命のようなものを感じていた。


ここでの沖谷の役割はあくまでも補佐であった。刑事課課長松井に挨拶をしたあと別室に通された沖谷には、捜査資料と簡単な説明を受けた。松井の説明では、鍵が掛かった部屋で傷だらけの女性の遺体が発見されたということだった。


「密室。ということですか?」

「ええ、まあそうなんです」


手渡された資料をめくり死亡原因を見た。そこには衰弱死とある。沖谷は続けた。


「ですが原因は衰弱死なんですよね? 事件性はないんじゃないんですか?」

「いやあそうなんですが……実は調べてみたら過去にも似たようなことが管轄であったんですよ。そこから調べていると、数は多くないんですが他の管轄でもありましてね。状況がどれもほとんど同じなんですよ。違うのが死亡原因だけで」


捜査資料の最後のページを見ると、日付はバラバラで死亡原因が心臓麻痺、衰弱死、ショック死と違うものの、体中に残る新旧の傷と痣、密室と条件は同じだとある。


「まあそれで一応調べることになったんです。まあたまたまでしょうが今回の女性と同じように二年ほど前に死んでいた天田(あまだ)楓(かえで)が出てきましてね。そして共通しているのが五人全員、水商売をしていたという事。そしてある期間から金の回りがよくなったって事です。でも水商売ですからねえ」


松井は被害者という言葉を使わないところをみると、事件性はないと思っているのだろう。沖谷も松井と同じ意見ではあったが、傷だらけの遺体が妙に気になった。


「それで捜査要員は?」

「はあ……それが最近起きた連続幼女失踪事件で言いにくいんですが」


松井は察してくれといわんばかりに、瞬きの回数が多くなっている。


「わかりました。私もあと少しで退職ですしね」

「何かわかれば私の携帯に連絡をください」

「わかりました」


互いの名刺を交換し、沖谷は早速今回の死亡者鎌田(かまた)明理(あかり)の遺留品と詳細な資料を見せてもらい、連絡を付けて鎌田が住んでいたワンルームマンションへ向かった。


駅近の女性専用のマンションでセキュリティ面も問題はなかった。

管理会社に連絡をとって鎌田が発見された一カ月前からの映像を見せてもらうことにした。対応してくれたのは、作業着を着て座っていた七十代の老人だった。


「前にも見せたんですけどねえ」と明らかに面倒臭そうに嫌味を言っていたが、慣れたものだった。防犯カメラはマンションの玄関、エントランス、エレベーター内、各階の階段に取り付けられてあった。


「ちょっと見せてもらいますね」

「私も一緒に見てましたけどね、何も映っちゃあいませんよ。私は席にもどりますんで終わったら呼んでください」

「わかりました」


少し背を曲げながら出ていくその男の背中を見ながら、自分もあと十年もすればああなるのだろうかと、やりきれない気持ちになった。


用意されたパソコンにメモリースティックを差し込んで映像を見始めた。一昔前まではテープだったのが今は掌に収まるスティック一本だ。否応なしに時代が進み、沈みかけている船にしがみ付きながら乗っている気分だった。


鎌田が見つかったのが九月二十日だ。八月一日から映像を見てみたが、鎌田が誰かを連れて帰宅した記録もなく、誰かが部屋を訪れた形跡もない。三時間ほどかけて映像を見た沖谷は、先ほどの老人に声を掛けて管理事務所を出た。


渋谷警察署に戻り断らずにコピーしてきた防犯カメラのスティックを、刑事課の隅に用意された沖谷のパソコンに挿した。


初動捜査ですでに事件性なしと判断されていたため、資料がかなり少ない。現場写真と管理人、近隣住民、勤務先の簡単な情報しか書かれていない。今更鎌田が住んでいた部屋を見たところで何も残ってないだろう。しかし鎌田が務めていたクラブへ行くにはまだ時間が早い。


時計を見て資料にある鎌田の実家に連絡を入れてみることにした。

呼び出し音の間、遺族が欲しいと願っている返事を今後できる確率は低いだろう。大事な娘が変死体で発見され納得できない親が、自分自身を支えるために生きがいを欲している。


何かの事件に巻き込まれ、手を下した人間がいるのであれば、相手を追い詰めるという生きる糧になることもある。それは沖谷が刑事生活の中で感じてきたことだった。


「もしもし」


今にも消え入りそうな声だった。きっと警察からの電話で淡い希望を持ったところで、沖谷が再び底のない暗い穴へと家族を突き落すことになるかと思うと、気が重くなった。


「突然すみません。渋谷署の」

「やはり殺人だったんですね! だってあの子の体、あんなに傷だらけで……絶対に暴力を受けて死んだんです。犯人の目星、ついたんですか?」


聞こえにくかった声が別人のような張りを帯びて、興奮し、音が割れるほどに大きい。


「落ち着いて下さい。とりあえず会ってお話をじっくりと聞かせてもらえませんか? 今からどうでしょうか?」

「ええ。ええ大丈夫です。ありがとうございます。ありがとうございます」

「二十分ほどで伺います」


電話を切って大きな溜息をついた。

鎌田明理の家は二十年ほど前に造られた新興住宅の一角にあった。似たような家が集中していた。その中から番地を頼りに鎌田の表札を見つけた。インターホンを鳴らすと応答するまもなく、玄関の扉が開いた。


「お待ちしていました。どうぞ」


沖谷が来るとわかっているにしても、素性も聞かずに不用心だと感じながらも名乗った。


「先ほど連絡を入れた渋谷署から来た沖谷です」


相手は急かすように沖谷を家の中に招いた。本庁の人間だと言わなかったのは、これ以上余計な事を期待させないためだった。渋谷署の方からと言ったのも、よく悪質訪問詐欺が使う手口を真似たのだが、間違ってはいない。


沖谷は入ってすぐ左にある客間に案内された。狭い部屋に重厚な飴色のテーブルと革張りのソフォーが置かれ、圧迫感を感じる。明理の母親はまだ五十代のはずだが、娘の死のショックからか、かなり老け込んでいた。


「飲み物は何がよろしいですか?」

「いえお構いなく」

「お茶、コーヒーに紅茶があります」


仕方なくコーヒーのホットをブラックで頼むと、盆にケーキも一緒に乗せて戻ってきた。母親の中ではすでに娘は殺されたと確定しているようで、その捜査をする沖谷への労のように感じられ息苦しさえ感じられる。


母親が正面に腰を下ろし、沖谷は先制攻撃を受けないように話し始めた。


「先に申しあげますが、殺人事件の可能性は極めて低いです。ですが体の傷がたしかに酷く、その因果関係を調べるといったところです。それでですね」

「いえ。あの子は殺されたんです! だって身体にあんなたくさん……」


 声を詰まらせながら涙する母親を、どこか夢心地で見ていた。人が死ねば誰かが泣く。そんな光景を嫌ほど見てきたからか、この母親だけが特別じゃない。そんな冷めた気持ちだった。


いや昔は感情が伝播してくるように大きく揺れ動き、事件に対し情熱的で感情的になって動いていた気がする。それは何時頃から消え失せてしまったのか。いや消えてはいない。あの事件が強烈過ぎて他の事件が、色あせて感じてしまうようになっている。 


這い上がれない沼地に浮かぶ板に必死に掴まりながら、以前のような人としての感情があると叫んでいるが、もう一人の自分が冷ややかに見下ろしていた。


「確かに体の傷は気になるところですが……それより以前も同じことを聞かれたかもしれませんが、もう一度質問をいいでしょうか?」


 それは本心だ。なぜあのように体が傷だらけだったのか。体に比べ手足首だけはうっすらと痕があるだけで、不自然ではあった。虐めやDVを見えない箇所だけ暴行するという事がよくあるが、鎌田に関しては彼氏などの存在はいなかったと報告書にはあったはずだ。


「どうか、どうか娘を殺した犯人を――」


 沖谷の話は耳には入っていないようで、母親はそのまま嗚咽を上げ始めた。


「――期待はしないでください」


 結局、興奮してしまった母親にこれと言って聞くことは出来なかった。沖谷はそのまま立ち上って一礼し、鎌田家を後にした。

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