第23話

 同時に周防が以前に言っていた事が分った気がした。結局は守りたくなるような女性を男性は好むのだろうと。


「外に出てみたいです」


 清香が呟くように言う。


「じゃあ行きましょう。マスクがあるからそれをすれば口元は目立たないし、帽子があるから被れば額の傷も隠せるわ」


 菜々子は清香の手を引いて外に出た。

 清香の足元はサンダルのままで少しアンバラスだったが、菜々子の足はサイズが大きいために仕方がなかった。それにタクシーでショッピングモールに行くつもりだったので、そんなに気にすることもないだろうと安直に考えた。エントランスを出ると、すでにタクシーが横付けされていた。


「荊木様でしょうか?」

「はい」


 運転手の確認があり扉が開けられる。しかし清香は空を見上げたままで動こうとしない。


「どうかした?」

「……」

「清香ちゃん?」

「空が、空が綺麗だと思いました」


 言われて見上げたが、菜々子にはいつもと変わらない春の空にしか見えない。


「久々に見上げた気がします」

「帰ってきたら少しこの辺を散歩しましょう。ね? 地理も覚えた方がいいと思うし」


 清香が返事をする前にタクシーから急かす声が聞こえ、慌てて乗り込んだ。


 渋谷や原宿に行きたかったが、足の不自由な清香の事を考えると一か所で全てが揃えられるほうがいいと思いショッピングモールを選択した。平日とあって混雑もなく、時間を持て余した店員同士が雑談をしていたり、店の中に客が一人いたらいい方だ。それでも食品売り場や飲食店には人が集まっているので、それなりに人はいるようだった。


「まずは靴に服でしょ、それと……下着! 下着も買わないとね。あ、それよりお昼先に食べようか? 何が食べたい?」


 清香の視線は忙しそうに周りを見ていて、声が聞こえていないようだった。


「清香ちゃん?」

「え、はい」

「お昼、どうする? 何が食べたい?」


 膝を折り曲げ、清香の目線に合わせた。


「ら、ラーメン」

「じゃあ行こうか」


 清香の歩調に合わせ、手を繋いで歩く。清香の手をしっかり握っているのに対し、清香の指は伸びたままで頼りなく、菜々子の心に隙間風が吹いた気がした。

 店に入り、席は向かい合って座った。


「何味にする? 私は……味噌」


 清香はそう多くはないメニューを、穴を開けてしまいそうなほど見ている。小さな子供が欲しい物を吟味しているようなその眼差しが可愛らしい。


「……とんこつがいいです」


 菜々子は店員に声を掛けると、湯気を立てた鉢が五分ほどで運ばれてきた。


「じゃあ頂きます」


 清香も小さな声で続いた。箸を割り菜々子が麺を啜り始めても、清香はさっきと同じくラーメンを見つめたままだ。


「どうかした? 早く食べないと伸びちゃうよ?」

「は、はい」


 見ていたかと思うと今度は慌てて食べ出すので、菜々子は思わず笑ってしまう。


「そんなに急がなくても大丈夫よ。ゆっくり清香ちゃんのペースでいいから」

「で、でも」

「うん?」

「早くしないと」

「誰も取り上げないし、時間もあるわ」


 清香は小さく頷いて、掬いあげた麺に一生懸命息を吹きかけている姿は、やはりどこか幼い雰囲気に思える。同年齢の菜々子より小柄なせいだろうか。器に添えている清香の左の薬指が、上手く動かないせいで折り曲がり、浮いたままになっていた。


「指、不便じゃ無い?」

「これですか?」


 清香は麺をすするのを止め、少し上に掲げるように手を差し出した。


「大丈夫です。もう慣れましたし効き手じゃなんで。それに這いつくばって食べる事がほとんどだったので、何かを手に取って食べることも滅多になかったし……」

「ごめんね。辛い事を聞いて」

「いえ。しょうがないんです。自分で……」


 清香が浮かしたままの手を、菜々子は握りしめた。

 食べ終えた二人は、初めに下着店に入った。店員に清香のバストサイズを測ってもらい、清香が迷えば両方をカゴにいれ十着前後を購入。


 服も同じく清香が悩めば色違いだろうと店員に渡して会計をした。靴はスニーカー二足と歩きやすそうなパンプス。靴下も十足ほど買ったあと、海外ブランドの食器などが置いてあるセレクトショップに入り、家で足らない皿などを買ってからショッピングモールを出た。


 既に陽は赤くなり始め、その姿は日に日に長くなっているのを感じられる。清香の事を考えながら見上げた空は、まだ残る青い空に紅い太陽の光が混ざり、それが白い雲にかかり美しいグラデーションを作り上げていた。


 菜々子が一人でほとんどの荷物を持ち、道をゆっくりと歩いた。


「やっぱり荷物、私も持ちます」

「大丈夫よ。こう見えても私、力があるから。それに清香ちゃんも持ってくれてるじゃない」


 清香の手には、靴下と下着が入った袋がぶら下がっている。


「でも」

「人の好意には甘えればいいの。ね?」


 それでも清香は申し訳なさそうにしている。


「こうしてゆっくり歩くの、久しぶり。家から出る時はタクシーを使ったり、あとは学校の往復だけでじっくり住んでいる場所を見てなかったんだなあって。清香ちゃんのお陰かな?」

「す、すみません。歩くのが」

「違うよ? 清香ちゃんのお陰で、見えない物が見えて有難いって言ってるの。ありがとう」

「え? は、はい?」


 清香を見ていると菜々子の心は自然と和んだ。


「そうだ。明日の夜から私、バイトに行くから留守番をお願いね。家に帰って来るのは深夜だから寝ていてくれてたらいいし、部屋の中で自由にしててね」

「は、はい」


 並んで長く伸びる二人の影が重なり合いそうなのを見ながら、菜々子は久かたの柔らかい空気を感じ、穏やかな気持ちになっていた。


 その夜から菜々子は店に出勤し、出遅れた分を取り返すように今まで無いような働きをしていた。店も菜々子の変化に気付き、「男でもできたのか?」と聞かれたが面倒なのでハイと答えておいた。


 清香一人が増えたからと言って、これまでの働きでも給与は十分だった。しかし人を一人養うという使命感のような物が形として現れていた。今までは全て自分の為だけだったのが、清香という存在でそうではなくなり、守らなければいけないものができた喜びのような物を感じていた。同時にその気持ちは菜々子を複雑な心境にさせていた。


 清香との生活も慣れ始めた梅雨入り前。どんよりとしら暗く重い空模様が多くなっていた。周囲はリクルートスーツに着替え始めた同期が、大学によく出入りするようにもなっていた。見るたびに体の中に梅雨空が入り込んだような気分にさせられた。

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