第21話

「今日ここに来てもらったのは他でもない。約束のクリスマスプレゼントだ。と言っても年を越してもうだいぶ時間は経ってしまったが。しかし折角だからわしも少し遊びたくなってな」


 菜々子の鼓動が激しく波打つ。急激に血が全身にまわり、頭が何となく呆けた感じになってきた。それでもしっかりと浅居の言葉を聞き理解しながら返事をした。


「遊びたく、なった?」

「そうだ。クラブに話しをしたら、そろそろ捨てるところだったらしい。だから思ったより安く手に入ってな。宝石より安かったわ。引き取ってから少し手当てをして、自分自身で思いつくままに何度かやってみたんだが、私は見る専門のほうがよかったみたいだ。愛果ちゃんに渡すのに傷だらけもいかんと思って、治療させてたんだよ。おい! 娘を連れてこい」


 母屋の中からではなく、奥の離れから封筒を持った体の大きい男の横に、枝のように細い右足を少し引きずってこちらに向かってくる


 。体が縦に揺れるのでそれに合わせて髪がリズムをとっていた。そして少しずつ距離が短くなり、女性を連れ従がえた男が浅居の少し後ろで足を止めた。


 春とはいえまだ少し肌寒い中、サイズの合わない黒いTシャツは肩からずれ落ち、丈はひざ下まである。足元はサンダル。肩より少し長い髪が顔にかかり、よく表情が見えない。男は浅居の隣に女を立たせ持っていた封筒を手渡すと、奥に消えていった。A4サイズの封筒はそのまま愛果の手に流れてきた。


「これは豚の資料だ。あと保険証も入れてある。体の不具合箇所、生い立ちなどをまとめてある。私は暫く仕事で家を離れる。何か困ったことがあれば、先程の男の名刺が入っているからそこに連絡をしてくれればいい」


 受け取った封筒を覗いてみると、写真が貼られた用紙と身の上報告書と書かれている紙の束が入っていた。浅居の隣にいる女とは別人に見えるほど、写真の顔は違って見えた。


 女は小刻みに震えながら、目はずっと地面をむけたままで動かない。左の腕を反対の手で押さえつけ、体の震えを止めようと足掻いているように見える。女の緊張が伝わって来ているのか、菜々子の指先に痺れた感覚があった。


 菜々子はもう一度封筒の中を覗いた。

 名前の欄に布田(ふだ)清(きよ)香(か)。そう書かれている。


「ちょっとすまない」


 携帯の呼び出しで、浅居が二人から少し距離をとった。

 菜々子は目の前の布田清香に声を掛けていいのかわからず、震えるだけでの彼女を見ていた。菜々子の視線を感じているはずなのに、拒むように彼女は顔を上げる事はなかった。


 浅居が、予定が繰り上がり家の人間が帰って来るというので、呼ばれたタクシーに追い立てられるように乗り込んで、マンションまで帰って来た。清香は菜々子に促されるまま部屋に入った。


「清香さん。入って」


 清香は菜々子の顔を見上げ、ここが何処かを確かめるように目だけを動かし落ち着きが無い。人を警戒している野良犬が菜々子の頭を過った。


 清香の身長は百六十センチもない。菜々子は少し腰をかがめて視線を合わせた。しかし清香は直ぐに視線をそらし俯いてしまう。


「大丈夫よ。私は何もしないしここは安全よ。あなたは今日から私の家族としてここに暮らすの」


 清香は下を向いたまま小さく首をかしげるだけで、それ以上の反応がない。


「とにかく上がって」


 菜々子はリビングの床暖房だけを点けた。台所でお湯を沸かし始めたものの、清香の姿がなかなか現れない。不思議に思って玄関に戻ると、サンダルを脱いで止まったままだ。


「清香さん? こっちにいらっしゃい?」


 清香はゆっくりぎこちない足取りで、菜々子の元へ歩みよる。清香の手を引きながらリビングへと戻った。


「座って。今お湯を沸かしているから。あ、ちょっと待っててね」


 菜々子はクローゼットから長袖シャツと高校時代に使っていたジャージを引っ張り出してきた。


「え? ソファに座って」


 床暖房を点けているとはいえ床は硬い。そして初めて清香の声を聞いた。


「……いいんですか?」

「もちろんよ」


 キッチンで沸騰するお湯の音でかき消されそうなほど小さな声だった。

 清香はソファと菜々子を何度も見比べている。促されてもまだ座ろうとしないので、

「さあ早く座って」菜々子が先に座ってポンと軽くソファを叩いた。清香は恐々と腰を下した。


「待っててね。お茶と、紅茶とコーヒー、何が飲みたいかしら?」


 外の日差しは眩しいとは言え、部屋の中はひんやりとして少し肌寒い。


「……」

「ジュースとかのほうがいい?」


 清香の口元が動いているのに声が聞こえない。菜々子は清香の前でしゃがんで、下から顔を覗きこんだ。清香は驚いたのか、針金が通ったように一直線に体を強張らせた。


「大丈夫よ。お茶にしようか」

「……お湯でいいです」

「お湯?」


 彼女の要望通りにお白湯をカップに入れて手渡した。菜々子は紅茶を入れたカップをテーブルに置き、出してきた服を膝に置き直した。


「これ着てみて。身長が違うから大きいかもしれないけど、折れば大丈夫だと思うわ。そうね……明日、午前中は講義があるから、昼から買い物に行きましょう。浅居様も急に呼び出すから私、準備を何もしていないの。歯ブラシは予備があるからそれを使ってもらって……食器とかも揃えましょう。ね?」

「食器……は要らないと思います」

「え?」

「私は床で食べます」

「え? 床?」


 清香は小さく頷く。二人のカップからは、湯気がゆらゆらとお化けのように揺れていた。


 聞きなれない言葉に一瞬戸惑った。静かな部屋に微音ながら機械の音がかろうじて沈黙を妨げてくれている。そして浅居の豚という言葉で直ぐに納得することができた。


「清香さん? これから食事は椅子に座ってテーブルでお皿の上に食事を乗せて食べるの。いい?」

「……でも」

「だから食器を揃えましょうね。ほら飲まないと冷めちゃうわ」

「飲んでいい、ですか?」

「もちろんよ」


 菜々子は先ほどから清香の態度を見ながら違和感があったが、それが何なのか分った気がした。清香は菜々子の許可を取りながら動いている。


 座ってと言った時もソファだとは指定しなかった。だからその場で座ったのではないか。清香のカップが空になったのでもう一杯飲むか聞いてみたが、

「おいしかったです」と言うだけだった。


 菜々子は一息ついてから、会った時から気になっていた傷を観察した。引き攣ったままの傷にミミズが這っている様な長い傷。ケロイドになった火傷痕。清香の腕をそっと持ち上げて何度も撫でた。


 清香は身構えたが、菜々子は気にせずにその傷を撫で続けた。


「腕が少し冷たいわ。早く服を着替えましょ」


 菜々子は子供の世話をするように清香のシャツを脱がした。清香も抵抗する素振りはなく、どちらかと言えば自然な動作だった。


 あらわになった身体には、掌に十分に収まるほどの乳房があった。傷だらけで左右の乳頭の大きさが違う。よく見ると千切れた先を治療したようにも見える。


 体は傷のキャンパスのようで、青黒い痣や傷が無い場所が見当たらない程だった。食事も満足に食べていなかったのか、あばら骨が浮かびあがっている。


 髪を耳に掛けようとすると清香の肩が上にあがった。口の周りは薄い傷跡と口角から耳に掛けて線が引かれたような痕が残っていた。よく見ると額にも傷が残っている。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

あとがき

どうも作者の安土朝顔です。

いつも読んでいただきありがとうござます。

この作品は第45回横溝正史ミステリ&ホラー大賞に応募しています

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