第19話
二〇一〇年
年が明けてクラブの年賀会があったが、浅居は姿を現さなかった。直ぐに大学の講義も始り、家に籠っていた人々が冬眠から覚めた熊のように気だるそうに街を歩き、徐々に忙しない大学生活の日々に戻っていく。
菜々子の講義は教授達の都合で六日からになり、四日から始っている学生より運よく休みが二日多かった。菜々子は昼に起きて、夜にはバイトに行く以外で外出する事はなかった。
講義で大学に行くと、かわりなく学生でキャンパスは賑わっていた。朝一から昼までの講義を終わらせ、購買でお握りを買って適当な場所で食べる。
昼時は、人込みを避けて違う場所で摂るようにしていた。寒い冬は開いている教室で食べ、温かくなると外のベンチで日差しを浴びながら食事をする。菜々子と同じ様な考えの学生もいて、一人で教室を占領する事はない。
菜々子は二階教室、隅の一番後ろの席に座って音楽プレーヤーを聞きながら買って来たお握りとお茶を食べ始めた。携帯を取り出して持ち歩いている文庫本を開く。これで大概、昼の時間は邪魔をされない。
疲れ目を休ませるように、窓の外に目をやった。移動する学生たちの誰もが白い息を吐きながら歩いている。
菜々子はイヤホンを外して代わりに携帯を耳に当てた。数回のコール音が聞こえた後、「はい」疑り深い声で持ち主が出た。
「今日も熊みたいですね」
「え? もしかして菜々子さん?」
「どう思う?」
「え? どういうこと?」
一緒にいる友達は、携帯を持ってクルクル回る周防に向かって不思議そうな顔をしながら声を掛けているようだ。
「え? 何処? 俺の事見えてるのか?」
「どうだろう。回りながら誰かさんが手を上げてるのは見えるかな? もうお昼なんじゃないの? 早く食べないと時間が無くなっちゃうよ」
「あ、いや。俺は一コマ空くからいいんだけど、何処? 何処にいるんだ?」
「じゃあね」
周防の慌てる声を遮り電話を切った。外では相変わらず周防が慌てふためいている。菜々子はもう一度イヤホンを付け、着信で光っている携帯を見ながら食事を続けた。
全ての講義が終わり大学の門を出たところで、周防は出て来た菜々子の腕を掴んだ。
「俺と同じ大学だったんだな。まさかあの噂の美人が菜々子さんだったとは」
出入りする学生達、とりわけ男は鋭い視線を周防に向けていた。
「電話、直ぐに掛け直したんだ」
「そうね。でも私は私の用事があるから」
菜々子は白いコートを着ていて首に巻かれたベージュのマフラーから覗く顔は悪びれた様子はなく、この状況を楽しんでいるようだった。
「今から時間あるか?」
「家に帰るだけです。後は夜のバイト」
「とにかくここは寒いし、場所を移動しようか」
「そうね。でも何処に?」
周防の家は大学から近いが、家族がいるかもしれないのでゆっくり出来る確証がない。
「使って無い研究室があるから、そこで話さないか?」
「わかったわ」
菜々子の手を握ろうと左手を伸ばしたがさらりとかわされてしまい、何事も無かったように拳を作り大きく腕を振った。
少し後ろを歩く菜々子が本当に着いて来ているか心配で何度も振り返り、途中温かい飲み物を自販機で買って研究室に向かった。使っていないとはいえ、他所で置ききれない資料などが山のように積まれている。入って正面にはデスクらしいものはあるが、その上にも大量の本が置かれていた。
一応ここに荷物を運び入れるために、歩けるよう工夫はされているようだ。部屋の隅に置かれた段ボールと書籍から二人が作った僅かな気流でほんのり塵が舞うのを、窓から差す光が捉えていた。
周防は部屋の隅にあった椅子を引っ張り出し、比較的スペースがあった部屋隅に向きあうように置いた。菜々子は置かれた椅子を、少し手で叩いてから座った。
「はいこれ。さっき買った缶コーヒー」
「ありがとう。それで?」
「え?」
菜々子の問いかけの意味が分らず部屋が静かになる。建物の端にある部屋ということもあり、学生達の声もほとんど入って来ない。周防が少しだけ動かした布ずれの音がやけに大きく聞こえた。
「それで、って? どう言う風にとればいい?」
周防は質問を質問で返す。
菜々子は構わず、周防が手渡した缶コーヒをゆっくり口に流し込んでいる。白いコートの下にはピンクのアンサンブル。膝が隠れるまでのブーツの上は瑞々しい太もも、その続きをじらすようにベージュのスカートが座った事によって短くなり、立っている時よりも菜々子の中心に近くなっている。思わず周防は唾を飲み込んだ。
「周防さん」
視線を慌てて戻してはみたが、菜々子はきっと何を想像していたのか気付いているだろう。菜々子と目があった周防は少しの後ろめたさを抱きながらも、吸い込まれる様な目から顔を背ける事ができないでいた。
「周防さん」
「あ、ああ」
「私まだ、セックスってした事がないんですよね」
「え? そ、そうなのか」
急に脈絡もない言葉に、ありきたりな返事しかできない。いや急に妙な告白をされて、返事出来る方が少ないだろう。
周防の中に少しの期待が菜々子の言葉によって徐々に膨らんで来るのがわかる。続きを待ったもののただ沈黙が流れた。そして菜々子が息をゆっくりと長く吐いた。
「練習、させてくれませんか?」
「え?」
「前にも話しましたが、私には心に決めた人がいます。その人に処女を捧げるつもりですが、何と言うか……テクニックをそれなりに身に付けておきたいんです。ネットでそれなりに見て勉強はしたんですが、ピンとこなくて」
菜々子は周防の目を真っ直ぐに見てくるので、反らす事ができない。反らしてしまったらまるで自分の方が悪ことをした気持ちになる。そんな気がしてならない。
周防は既に童貞ではないし、流れで付き合って来た女達とそれなりに性交渉をしてきた。決して今までの女達は不細工では無かったし、どちらかと言えば中の上だと周防は思っている。だがその女達と比べものにならないほど綺麗だ。比べるという思考自体ナンセンスな気がしていた。
しかし練習とはいえ自分に気持ちが無いのを承知で菜々子に……それで自分は満足なのだろうか。それでも体はきっと満足をするのを周防は知っている。現に股間に集まりそうな熱を必死に反らしている。
「菜々子さんは俺の事を好きではないんだよな?」
「はい」
菜々子はきっぱりと言い切った。
「もし俺が断れば」
「他を当たるかも、しれません」
菜々子の唇を周防は見た。薄いピンクの口紅がグロスで濡れているように見える。その口で他の男のものをと考えると、怒りなのか嫉妬なのか周防の中で見えない苛立ちが暴れそうになった。
「――すみません。やっぱりこんなお願いおかしいですよね。忘れて下さい」
菜々子はスッと立ち上がり、出口へ向かおうとした。
「待ってくれ」
周防は勢いよく立ちあがり菜々子を止めた。
「俺はどうすればいい?」
振り向いた菜々子は、周防がそうする事をわかっていたかのように満足気に微笑んでいた。
菜々子は周防の前まで戻って来るとおもむろに膝をつき、股間をじっと見つめている。それだけでペニスに体中の熱が集中し、徐々に膨張しながら硬くなる。
まだ何をされている訳でもないのに既に快感を知っているペニスは、意気揚々とその瞬間を待っていた。
菜々子がベルトにゆっくりベルトに手を掛けると、金具の音が部屋に響いた。
「自分で脱ごうか?」
眼下の菜々子の長い髪が大きく横に揺れた。
菜々子はゆっくりとジーンズのボタン、チャックと外していき、山になった下着が出てくると菜々子は動きを止めた。
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