第18話

 年末まで仕事に入り慌ただしく年が明けた。あれから周防と会う事はなかったが、頻繁にメールは送られてきていた。


 菜々子は返信したりしなかったりではあったが、周防は気にはしてない様子だった。初詣にも誘われたが、伯父の家で過ごす決まりだと言って断った。

 菜々子は家に帰り久々に伯父夫婦と過ごしていた。


 年末から気がかりだったのは、浅居から一切の連絡がなく、店にも来ていない事だった。菜々子から営業メールを送っても、いつもは来る返事は無い。あの件がどうなっているのか気にはなりつつ、待つ以外に術はなかった。


 リビンング横にある和室のコタツに入りながら、菜々子達は鍋をつついていた。


「で、学校はどうだ? 就職先の目星はつけていたりするのか?」

「うーん。そうだね。持ってる資格を活かしたいし」


 伯母が新しい椀を持って戻って来た。


「菜々子なら心配ないわよ。沢山資格も持ってるし何よりしっかりしてるもの。一人でも生きていけるくらい逞しい子よ」


 菜々子は無理に笑顔を作ろうとしたが目元に力が入り、上手く笑えず困ってしまった。


「――菜々子はそうだな。でもな、心配はしたいんだよ。俺にしたらずっと子供のままなんだからさ」

「まあまあ。でもそうね。菜々子は何歳になっても私達の子供ね。さあ菜々子の大好きなお麩ときのこ類。それと野菜。沢山食べなさい」

「ありがとう伯母さん」


 伯父と伯母は帰ってくると必ず抱きしめ、それから夕食は菜々子の好きなもので埋め尽くされる。二人は本当の子供のように愛情深く接してくれ菜々子は身に染みるほど感じとっている。


 しかしこれまでお父さん、お母さんと呼ばずに来てしまった。いつも伯父さん伯母さんと呼び、伯父夫婦はお父さんお母さんと呼び合う。この二人にだけは申し訳ないという気持ち、長生きをして幸せに年を取って貰いたいと願っていた。


 焼酎派の伯父が中瓶を半分以上空ける頃には、仕事の愚痴を交えながら野球の話しを始める。菜々子は野球に興味はないが、いつも楽しそうに話す伯父を見ているだけで幸せな気分になれた。


「始ったわよ菜々子。そろそろお布団の準備をしなくっちゃ」

「じゃあ私がしてくる」

「そう? じゃあお願い」


 菜々子は炬燵から立ち上がり、廊下を挟んだ向かいにある和室へ移動した。

 伯父夫婦と自分の寝室は二階にあるが、こうして伯父が酔いつぶれたりした時は移動が大変なため、客間として使っている一階で寝かせている。


 襖を開けると閉じ込められていた冷えた空気が、雪崩を起こした見えない雪のように菜々子を襲ってきた。床の間に置いてあるリモコンで暖房を付け、押入れから布団を引っ張り出す。使う回数はそれほど多くない布団だったが、伯母がこまめに手入れをしているので、枕カバーやシーツから閉じ込められた洗濯洗剤の残り香が薄らと匂った。


 布団の準備が終わりその上に菜々子は寝転がった。枕に顔を埋めると奥に染み込んでとれていない伯父の匂いが仄かにしてきた。それは中年男性の特有の脂の臭い。伯父は菜々子の死んだ父親の兄にあたるからか、やはりどこか面影はあった。


 菜々子の覚えている父親を臭いと思った事はなかったが、もし生きていれば伯父と同じようになっていたのだろうかと考える。そう思うと急に懐かしい気持ちと胸の苦しさが混じり合い、感情が高ぶって来た。


 菜々子は気付かれないように、染みが出来た枕を裏返しにして二人が待つ部屋に戻った。


「布団敷き終わったよ」

「ありがとう。じゃあ手伝って」


 座ったままの上半身が床に倒れこんでいる伯父を二人で担ぎあげ、引きずりながら和室へと連れ行く。


「もうお父さんったら、菜々子が帰ってくるとこうなんだから。ごめんね」

「何言ってるの。伯父さんのこの姿を見ると、家に帰って来たなって思えるんだよ。それにしても伯父さん、少し軽くなった?」

「どうかしら? あまり変わってはないと思うけど。あ、襖お願い」


 和室に伯父を寝かすと、二人は居間に戻った。伯母はキッチンをあらかた片づけてから皿を持って炬燵に入ってきた。ずっと話していた伯父が居なくなった居間は、テレビの音と鍋の煮える音がやけに響いている気が菜々子はした。


「さあ、もうすこし私も食べようかしら。実はお父さんに内緒で、フグがあるのよね。菜々子はどう?」

「――ごめん」

「そう。じゃあ頂くわね」


 伯母の眉は少し垂れさがったが、フグを口に入れると直ぐに笑顔になった。菜々子も鍋に残っている具を取り皿に入れまた食べ始める。フグがそろそろ終わりに近づいた時だった。


「菜々子、最近何か変わった事あった?」

「え? どうして?」

「何となくよ」


 伯母は豆腐を取り皿に入れ、息を吹きかけながら菜々子の答えを待っている気がした。菜々子も箸を止めずに鍋をつつく。


「何もないよ。大学も順調だし、バイトもそこそこだし」

「そう。ねえ菜々子」

「何?」

「無理しなくてもいいのよ。色々と」

「無理なんかしてないよ」

「……そう。ごめんね。変な事を聞いて」

「ううん。何か、色々心配かけて私こそ」

「何言ってんの。はいこれ。白菜を多く切っちゃって。食べて頂戴」

「うん」


 そのあと二人は他愛もない話しをしては少し笑いながら、伯母の気遣いが喉の奥に詰まるような息苦しさを感じていた。


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