第17話

「お上手ですね」


 周防の下心が分ってなのか、愛果からの言葉で思わず顔を見てしまった。


 折角手繰り寄せた糸が切れてしまったと肩を落としそうになったが、愛果は嬉しそうに微笑んでいる。その中には少し親しみさが薄らと入っている気がし、思わず喜びの声が出そうになった。


「周防さんの話し、もっと聞きたい気がします」

「え? ああ」


 それから中学、高校時代の話し趣味のバイク、家族、七歳違いの弟の話しをした、愛果が一番興味が示したのがその弟の話しだったので、自然にその話題が長くなった。


「今、中学二年という事は歳は」

「十四になった。中学に上がったころは反抗期で結構大変だったんだが、今は落ち着いて俺と同じ大学に行くって目標を決めたらしい。理由が『お兄ちゃんが楽しそうだから』なんだ。まあまだ中学生で将来の事なんてピンとこないだろうし、今はそれでいいと思う。しかし何か可愛くてさ。思わず抱きしめたら、凄い嫌がられたよ」

「年が離れている兄弟って、やっぱり可愛いですか?」

「下が生まれた時はもう俺は二年生で病院にも付き添ったし、腹から出て来たほやほやを直ぐに抱かせてもらったから、やっぱり可愛いな。うん」

「いい家族ですね」


 空調とジンジャーエールで温まった愛果の顔は血色がよくなり、陶器の様な白い肌に牡丹の絵が描かれているようにほんのりと赤みがさしていた。周防はこのままもっと距離を近づけようと話しを続けた。


「愛果さんの家は?」

「私? 私の本当の家族は亡くなりました。それからは伯父夫婦の家でお世話になっているんです」

「もしかして店は嫌々働いてるのか?」

「え?」

「え?」


 二人の間にあった角ばった空気が綿のように丸く優しくなるのを周防は感じた。そしてお互い自然に笑いがあった。


「違いますよ。伯父夫婦は本当の子供のように可愛がってくれています。学費の足しにと思って働いているんです」

「すまない。てっきり」

「いえ。心配してくれたんですよね。ありがとうございます。でも仕事以外で久々に笑った気がします」


 無邪気に笑う愛果を見て全てを自分の物にしたいという、雄としての本能の様なものを感じた。


「なあ、本当の名前、聞いてもいいか?」


 右手の人さし指を曲げ、目頭を押さえながらまだ小さく笑っている愛果に尋ねた。愛果はじらすように間を空けるので、周防は目に前にあるいつ爆発するか分からない爆弾を抱えているよう気分だった。


「菜々子です。荊木菜々子(いばらきななこ)」

「菜々子さん」

「ええ」

「俺は誠人(まさと)。周防(すおう)誠人(まさと)」

「誠人さん」


 菜々子に名前を言われた周防は、もう恋人同士になった気分になっていた。


「歳は?」

「女性に年齢を聞くのは、マナー違反ですよ」

「そ、そうか」


 失敗したかと焦ったが、楽しそうにしている菜々子を見てホッとする。周防の心は菜々子の一挙一動で左右され、レールの先が見えないジェットコースターに乗っている気分だった。だが嫌ではなかった。菜々子によって気持ちを左右されることが心地よく感じる。


「今日はもう帰らないと」

「そうのか?」

「ええ、気が付けば時間も経っていますし。周防さんみたいな人、初めてです。凄く楽しかった」

「何か、もう会わないみたいな言い方だな」

「そうですか? そんなつもりじゃ……」

「いや。すまない。何か俺、凄く焦ってるから」


 菜々子は周防を不思議そうに見つめて来た。吸い込まれそうになりながら、テーブルに置かれた手に自分の手を重ね、細く長い指に自分の太く粗雑な指を絡めた。


 少し強く握れば折れてしまいそうな手は、妙な騎士精神のようなものを込み上げさせる。


「周防さんの手、凄く大きくて温かくて……いいですね」

「バスケ、してたから」

「……」


 菜々子の表情が少し強張った様に見えたが直ぐに和らいだので、周防は見間違いだと思った。


「そろそろ」

「そうだな。行こうか」


 駅まで送ると言ったが、大丈夫だという菜々子と店の前で別れる事になった。サングラスを掛け、人波に溶け込みきれない菜々子を引き留めた周防は「好きだ」と告げた。


「すみません。私には心に決めた人がいるんです。周防さんのような、自分を表に出せる人は初めてなんですが……ごめんなさい」

「俺に可能性は?」

「ありません」


 ほんの少し前までの浮ついた気持ちは、吹きつける風が一気に攫らってしまった。それでも周防は容易に菜々子を諦める事ができないでいた。


「俺に望みはないか?」

「無いです」


 菜々子に迷いは見られなかった。

 しかし菜々子は周防に素の自分を表に出せる初めての人間だと言ってくれた。夜の仕事をしながら自分自身を偽っている彼女の安らぎの場所になれないだろうか。そう思った。


「菜々子さんはそれでいい。でも俺は好きなままでいてもいいか? 少しでも力になりたいんだ」


 駄々っ子を見るような表情をした菜々子は、「しょうがないですね」と小さく笑っていた。


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