第16話
周防が連れ来た場所は、少し駅から離れた静かなカフェだった。中に入ると外の忙しない雑踏の代わりに、ゆっくりとした音楽が嫌味なく耳に入ってくる。
「ジャズ?」
「そう。嫌いか?」
「特に、かな」
「実は俺も。この店の雰囲気が好きなだけだ」
ライトダウンされた店内は、カウンターとテーブル席が四席、中央には長い流木をそのまま使ったような合い席可能なテーブルと椅子。一番奥の隅には小さなステージがあり、ピアノがスポットライトを浴びて、黒い姿の中に星を瞬かせている。
入口に近いカウンター席の隣には、ジュースボックスが派手に光っていた。
二人はマスターがいるカウンターから一番離れた席、入口のテーブル席に座った。
「マスター、ホットのジンジャーエールのあれ、お願いします。あとホットティーを一つ」
カウンターにいた白髪混じりの男が、慣れたように手を軽く上げた。
「ジンジャーエールのホット?」
周防の向かいに座った愛果は不思議そうに覗きこんでいるみたいだったが、サングラスをしているために表情が分らない。
「店の中だから、それ、外せば?」
愛果は手を膝に置いたまま動かない。周防も口実でここまで勢いで来たが、天田の話しを別に聞きたい訳でもなかった。
「はいホットジンジャーとホットティー」
気まずい沈黙に割り込んできた声に、周防はほっと胸をなで下ろした。
「すみません。サングラスを外しますけど、あまり見ないでくださいね」
「え? ああ。わかった」
愛果が下を向きながらサングラスを外してテーブルに置いた。店に訪ねてきた時より少し目が腫れぼったい。度数の高いアルコールを体に流し込んだ時のように、胸が一気に熱くなるのを周防は感じた。愛果は周防の視線を気にすることなく、カップに口を付けている。
「この飲み物は?」
視線を向けてきた愛果から逃げるように、周防はカップに目線を移した。
「ここのマスター特製で、生姜を蜂蜜で漬けこんで、温めたサイダーで割ったものだ。体、温まるだろ?」
「ええ。とっても」
愛果はそう言いながら口先を少し尖らせ、息を吹きかけている。張りのある唇がカップにそっと当てられるのを見て、馬鹿だと思いながら周防はそれに嫉妬していた。
「愛果さん、泣いたのか?」
「ええ」
質問に、悩む事なく答えたので少し驚いたが、すぐにその原因が気になった。少なくとも、この女の心を揺さぶる誰かがいる。それだけで周防の中は荒れ、反対にまだ二回しか会っていないのにここまで嫉妬している自分は変なのではいないだろうと、冷静に見ているもう一人がいた。
愛果の瞳にカップの中の液体が反射をして、ユラユラ揺れている。
周防は思った。この瞳から何故か目が離せない。黒水晶のような透明感があるのに、その奥に今にも消えそうな、それでいて熱い何かを感じる。
今にも消えそうな青白い炎。外見だけではなく、このガラスの冷えたような瞳に宿る炎に知らずのうちに皆惹かれるのではと。
「どうかしましたか?」
「綺麗だと思って」
愛果は特に驚いた様子もなく、周防の目をじっと見据えてくる。愛果の瞳の中に自分が映り込んでいるのに、まるで自分を通り越して存在していないような不安にかられる。
「本当においしいです。これ。そう言えば周防さんは学生ですか?」
何事も無かったように愛果は話し始め、周防は自分が存在している事に胸をなで下ろした。
「明都大学文学部の三年。愛果さんは?」
「どう見えますか?」
「学生。だと思う。そういえば俺の大学にも美人がいるらしいんだけど、愛果さんには敵わないだろうな」
菜々子は所在なさげに息を大きく吐いた。
「美人、ですか」
周防の中で急に焦る気持ちが込み上げてきた。愛果の一言で、周りの男と同類だと思われたこと、馬鹿の一つ覚えに美人だと褒めている自分。同時に他の男とは違うという誇示をしなければ自分は埋もれてしまうのではと痛心した。
「いや、愛果さんは内面の美しさも滲み出てるんだと俺は思うし……いやだから、外側だけじゃない慈悲深さもというか……ほら、わざわざ咲さんの実家まで行ってお線香を上げて来たんだろ? 多分夜の世界ではそこまでする人はいないし優しい人なんだ愛果さんは。それにどこか消えてしまいそうな儚い感じとか、一瞬どこか寂しげに見える表情とかさ。無意識に守りたくなるっていうか」
思いつくまま話した周防は、その纏まりの無さと、やはり気のきいた事を言えない自分に嫌気がさした。
「私、寂しそうに見えます?」
「え? あ、ああ。少なくとも俺には」
「そんな事を言われたの、初めてです」
周防は綻びそうになった口元に力を入れた。そして垂らした釣り糸が切れてしまわないように、慎重に手繰り寄せ話しをつなげる。
「多分、知らず知らず周りはそう感じてるんじゃないか? でも俺は今日こうして向かい合って話すことで、直ぐにそう思えたけどな」
「周防さんは、人をよく見てるんですね」
「いや愛果さんだからだ」
愛果にとって周防の褒め言葉など、今まで散々聞いていて飽きているだろう。だがその中でも、どうにかして愛果の中で印象に残りたい。並べた言葉の中に取っ掛かりを見つけ、初めて彼女の瞳の中に周防という男が映った気がした。
「周防さんは私の事、守りたいって思ったんですか?」
乗り出しそうになる体をぐっと堪え、湧きあがって来る期待を押さえつけながら冷静を装おった。
「そうだな。愛果さんが言ってくれるなら」
愛果はカップをテーブルに置き、反対に周防は少し冷めた紅茶を口に含んだ。自分が思っているよりも体は緊張していたのか喉が渇ききり、もう何年も感じた事がない速さで心臓が波打っている。
これと似た動きをしたのは、高校一年の時に始めて自分から告白した時だった。そしてハッとした。好きだということを言葉にした訳じゃないが、自分の想いを伝えたのも同じだと。
カップを口に付けたまま置く事ができない。カップを置けば、愛果に自分の顔を見られてしまう。急に気恥ずかしさが周防を襲った。
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