第14話
亀甲縛りをされた女の口には一周するように何本もの針がさされ、閉じられない口からは血の混じった涎が流れている。
二つの乳房は、別々に縄で絞り取るように縛られてうっ血していた。首には黒革の首輪が嵌められ鎖が繋がっていた。
その先を目元だけを隠す仮面を付けた全裸の男が、鞭を持って力の限り女の体に振り落とす。顔を前に突きだすような女の体は前後に動いていて、男が後ろから律動を送っているのに気付いた。
女の瞼は青く腫れ、菜々子から見える場所全てに、何かしらの傷跡があった。
「このブースはまだソフトの部類だな」
浅居の言葉は菜々子の耳には風が吹いた様に通り過ぎ、目の前の光景に釘づけになっていた。
体の中から人が思いきり殴り掛かってきているように心臓が脈打ち、いつもは気にならない目尻付近の脈動を感じ、眼球が振動を受けて揺れている感覚がした。
「ドール、驚いているようだね」
「え、ええ」
目を反らして浅居に顔を向けようとしても、意に反して首が上手く回らない。
「あっちに行こうか」
浅居の手が肩に置かれ、何とかつなぎ止めていている意識で場所を移動した。
一番人だかりが出来ている場所に連れて来られ、人波に押される様に中に潜って行く。
足を踏まれたが、前の光景から目を離さなまいと必死で踏んだ方は気付いてはいない。
菜々子と同じ様に腕を出した女の湿気た二度腕が吸盤のように張り付いてきて振り払っても、人に押されてまた当たってしまう。
眉に自然と力が入っていても、仮面で菜々子の表情は誰にも分らない。ただ、ここに居る人間とは違う表情をしているのだけは、自分でもわかっていた。
目元部分がくり抜かれた仮面から命一杯に開かれた瞳がそこらにあり、求めている色は白い傷だらけになった柔らかな皮膚の上を伝う赤。
一種の興奮剤を目で感じて脳を刺激していた。横にいる浅居も踵を上げて必死の形相で、皺だらけの首が引き伸ばされては戻るを繰り返している。
「ぎゃあっ!」
蛙を踏みつぶしたような短い叫び声は、繰り返し続く。ヒールを履いているので、少し後ろからでも全てが見える訳では無かったが、何が行われているのか、人の頭の隙間から垣間見えた。
その光景が目の高さ当たりで見え始めた時には、マジックショーでも始ったのかと思った。
裸の女性がうつ伏せになりながら宙に浮いている。短く続いていた叫ぶ声は、気付けばずっと繋がったままになっていた。天井から伸びるフックの付いた紐が台の上にいた女性の皮膚を幾つも貫通させ持ち上げていた。
「おお! おおっ!」
横で浅居は菜々子がいる事も忘れているのだろうか、前にいる人間の肩に手を置き、踵を上げた体勢を保って魅入っていた。
周りを見ると誰もが恍惚とした笑みを浮かべ、口元が自然と緩んでいた。目はまるで初恋の人を見るように輝かせ、それでいて自分の手を伸ばす事が出来ずにいる少しの苛立ちが見え隠れしている。
菜々子は浅居を置いて後方に下がると、同じく仮面を付けたボーイからグラスワインをむしり取って、一気に喉に流し込んだ。そして去ろうとするボーイの肩を掴んで、もう一杯流し込む。壁と向き合いながら短距離を走ったような息を整えた。
ムカつく胃は人の所業とは思えないものを見てなのか、それを見て楽しんでいる人間に対してなのか、それとも何も出来ずにこうやって酒を飲んで誤魔化そうとしている自分なのか。まるで嵐が全てを飲み込んだまま、菜々子の中で留まり続けているようだった。
「どうかされましたか?」
油断していた菜々子の肩に手が急に置かれ、体が跳ねあがった。瞬時に体勢を整え、余裕があるようにゆっくりと振り向き笑顔で答えた。
「何もありませんよ。少し目が痛くなったので。でもゴミはとれたみたいです」
「そうですか。それは余計な事でしたね」
「いえ。見ず知らずの方に心配していただいて、嬉しいですよ」
「あの……」
「はい?」
「お一人ですか?」
「いえ。旦那様と一緒ですが」
「君はドールって訳か。そりゃあそうだな。女性会員は少ないから。それで貴女みたいな美しい女性を一人ぼっちにさせている罪な旦那様は?」
菜々子は視線だけで答えた。
「ああ、あちらに。アレはなかなかのショーです」
菜々子は小鳥が楽しげに囀るように笑って見せた。
「何か、おかしい事でも言いましたか?」
「ええ。仮面を着けて顔が分らないのに、美しい女性って――」
あの忌まわしい光景から気を反らそうと焦っていた。小鳥が小さく飛び跳ねながら歌うように、意識しながら菜々子は笑った。それでも四方から、苦痛、苦悶の声が耳に入ってくる。
「いや、見れば分ります。ご自身ではお分かりになっていないようですが、貴女からは人を惹きつける、雰囲気、いや香りがしますから」
「お上手ですね」
男が話しながら少し立ち位置を変えた時、菜々子の周りから全ての音が消えた。天井のシャンデリアの光が、男にスポットライトのように降り注ぎ目を奪われた。
「どうかしましたか?」
「――あ、いえ。あの」
「ドール、ここにいたのか」
「あ、旦那様」
「こちらの方は?」
「少しお話の相手をしてくれていた方です」
男が浅居に軽く頭を下げてから、持っていたグラスを貴族がするように掲げる。
「これは、うちのドールの相手をしてもらって」
「いえ、美女のお相手ならいつでも。それでは」
男が背を向けた時、咄嗟に止めようとしたが、ここでは誰もが見知らぬ同士でなければならない。熱く燃え上がる衝動を抑えつけるように、右の手首を左手で強く掴んだ。
「ドール、行こうか」
浅居のその声で周りにあった透明な壁が一気に崩れ去ったように、騒音が耳に流れ込んできた。菜々子は先程吊りあげられていた女がいた場所に自然と視線が向いた。
「ああ、あの女はドクターストップがかかって終わった」
「ドクターストップ?」
「そうだ。ここには医者が数人いて、豚の体調管理をしているんだよ。だからここでは人は死なない。我々は人を殺す事を楽しんでいる訳ではないからね。それに自ら望んでここに来る豚もいる。そしてかなりの報酬が与えられている。需要供給だな」
浅居が菜々子に手を組むように促してきたので、視線を残しつつ駐車場に向かった。
仮面を外して駐車場に出ると、火照った頬にコンクリート壁に冷やされた空気が心地よかった。
「そう言えば、誰かとすれ違ったりする事はないんですか?」
中とは違い外は自由に行き来できる。いくら中で顔を隠していても、ここではち合わせれば意味が無い。
「それは大丈夫だ。ここに入る時間は個々に決まっていて、駐車場に人がいる間はエレベーターは動かない。反対に出る時はその旨を伝えて、出られる時間を指定される。だから大丈夫なんだよ。それでも車を見れば知っている者もいるがね。その場合は普段会っても、絶対に口を開かない。それがエチケットだな」と言いながら何かを含むように浅居は笑った。
運転手が二人に気付き、ドアを開けたので乗り込んだ。
「どこで降ろせばいいかな?」
「待ち合わせ場所でお願いします」
「わかった」
車中、浅居はずっと菜々子の手を自分の膝に乗せ、その上に自分の手を乗せていた。
浅居の掌から体温とじんわりと出ている汗が、菜々子の手の甲にずっとあり、今日見た事を決して口外しないと事、そしてなぜ自分があのような事が好きなのか、店で話す浅居と違いかなり饒舌だった。
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あとがき
どうも作者の安土朝顔です。
いつも読んでいただきありがとうござます。
この作品は第45回横溝正史ミステリ&ホラー大賞に応募しています
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