第13話

 翌日は目が覚めてもベッドの中から出られず、手の届く範囲にある本に手を伸ばし頭に入って来ない文字を眺めていた。


 リビングのテーブルに置かれている仕事用の携帯ランプが目の端に入ってはいたが、部屋に効かしている暖房とは違い、自身で作り上げた温もりが温泉に浸かっているようで心地が良くはい出る事が出来ない。


 しかしそれとは別に胃袋が唸りを上げている。時計は昼前を差していた。

 菜々子は仕方無く起きあがり、後ろ髪を引かれながらリビングまで歩いた。


 足元は床暖房で温かくても、ベッドの中が直ぐに恋しくなる。あまり旅行に慣れてはいない菜々子の体は日帰りでは辛いらしい。


 携帯の操作をしながら、冷凍室からピラフを取り出して皿に乗せてそのままレンジにかけ、もう片方でメールを開封していく。


 その中に浅居からのメールがあった。珍しく店外デートの申し出だった。面白い場所に連れていってあげよう。そう書かれていた。


 菜々子は返信に、服を脱がない場所ならいいですよ、と返した。直ぐに浅居から返信がありその心配は無い事、待ち合わせ場所と時間が記されている。


 菜々子は店の留守電に浅居との店外デートの事を吹き込んでおいた。

 夜の八時。浅居に指定された場所は、六本木ヒルズのけやき通りだった。


 店はどこもクリスマスデコレーションされ、星の光が地上に落ちてきたような煌びやかな青い明かりが、この一帯を埋め尽くしている。その下をカップルや会社帰りのOLが少し眩しそうにしながら時に寄り添い、帰宅を急ぎつつもその足取りを緩め通り過ぎていく。


 けや木も、周りに埋もれながらも彩られているが、菜々子には巻き付けられたコードが窮屈そうに見てどこか痛々しく感じられていた。

 短いクラクションが聞こえ振り向いた。


「愛果ちゃん。お待たせ」


 黒い国産高級車の窓を開け、そこから顔を出した浅居がいた。


「さあ、乗りなさい」


 人のいい年よりに見えても、どこか押しつけるような威圧感がある。運転手が素早く降りて恭しくドアを開いてくれた。


「寒く無かったかい?」

「ええ。大丈夫ですよ。ところで珍しいですね。浅居様が店外でなんて」

「愛果ちゃんと秘密を作るのも、楽しいと思ったんだよ」


 秘密という言葉で直ぐに理解できた。孫のように思っていると感じていたが、男としての独占欲をこのような形で出してきたのだ。菜々子は浅居の膝の上にある手にそっと自分の手を重ねる。


「その秘密。楽しみです」と囁いた。


 待ち合わせ場所からの移動には、大した時間は掛からなかった。せいぜい十分二十分だろうか。中世をモチーフとした建物、と一言でいうのが早いだろう。


 鉄門にはカメラが設置され、運転手がインターホンを押す前に自動で開いた。広い敷地は芝生に覆われ、その中心にライトアップされた噴水。その中央にはビーナスだろうか。


 裸に近い女性の彫刻が、冬にも関わらず一定のリズムで水浴びをしている。その奥には横に広い白い建物がスポットライトで照らされ、その作りが夜の暗さの中で際立ち舞台のように見えた。


「ここは?」

「高級老人ホームだよ」

「老人ホーム?」

「そう」


 浅居が悪戯っぽい、これから何が起こるのか知っていて我慢出来ない、そんな入り混じった顔を見せた。


 車は敷地内の車道をゆっくり進みながら、地下駐車場へと入って行く。コンクリートで囲まれた地下は、灰色の氷のように見えた。駐車されている車は、従業員の物だと思われる数台しかなく、中を照らす明かりが閑散とした冬の駐車場の薄気味悪さを醸し出している。


 そのまま車は駐車場奥に作られた、少し広めのスペースに車が止まると驚いた事に、コンクリートの壁だと思っていた場所が開いた。現れたのは立体駐車場で見る様な車を乗せるスペースだった。


「さて」


 車は吸い込まれるよう中に入ると、浅居が話し始めた。


「今から行く場所は会員制クラブで、どんな金持ちでも選ばれた者しか入る事が出来ない場所なんだよ。そこに愛果ちゃんを招待した訳なんだが、今日見る事は決して口外してはいけないよ。それだけは守ってくれ。でないと」


 言わずとも何となく意は汲みとれた。


「ええ。わかりました。いうなればシャボン玉の国という事ですね?」

「シャボン玉?」

「そう。直ぐに弾けてしまって記憶に残らない」

「そう、記憶に残しちゃいけない」


 浅居越しに見る壁は、上にと流れていた。反動で少し上下に揺れる車内。後方には先程とは違った、真っ白な真珠のような光が差し込んできた。


「さあ着いたぞ」


 さりげなく前にあるバックミラーを見ると、上の駐車場とは違い壁は白い塗装がされ、光が反射してやけに明るく感じる。そこには浅居と同じ様な車種がコマのように整然と停められていた。


 少し進んだところで車は止まり、運転手が慌ただしく動き始める。浅居が座っている方のドアを開けたので、菜々子はそれに倣い自分で車から降りた。浅居の横に並び、自然と曲げられた腕にそっと手を通した。浅居の顔は自然と綻んでいる。


 エスコートされ駐車場奥にある鉄扉の前に立つと、浅居は備え付けられているインターホンを押した。応答はなく、浅居が何を言う訳でも無い。噛み合った鉄が外れる様な音も無いまま、自動で扉がゆっくり開いた。中に入ると背中を通して鉄の扉が静かに閉まるのを感じた。


 床は深紅の絨毯が十メートルほど続き、通路の両壁には一枚で出来た鏡が同じ様に続いている。


 左右にはどこまでも続いているのか、終着点があるか分からないほど同じ景色が続き、見える最奥に菜々子達の姿も見えない。天井には店ほど大きくは無いが、シャンデリが四つぶら下がって天井を占拠している。


 居心地が悪い通路の中央、菜々子達の数歩先に彫刻されたガラスの台座があり、その上には昔の貴族が舞踏会で付けていたような目元だけではなく、鼻まで隠せる仮面が白と黒の対になって置かれていた。


 目元部分は少しシャープにあがり、片方の頬の部分から反対の目元に伸びた波の形をした模様が金色に装飾されている。面の縁は、黒い紐を捻じりながら金糸が埋め込んであり、照明加減によって砂金のように光る。


「愛果ちゃんは白の面を付けてくれ。私は黒だ。面は同伴者がいれば、揃いのデザインの色違いになっている。分ると思うが、顔を隠すという事は互いの素性を明かしていないと言う事だ。中では私の事を旦那様と呼んでくれ。決して名前を言っては駄目だ。私は愛果ちゃんの事を。ドールと呼ぶ。これは男女の場合、誰もがそう言う決まりだ」

「あの」

「何だい?」

「ここは?」


 浅居は我慢できないよう顔で、唇を微かに動かした。それはひどく醜く見えた。


「見れば分る。さあショータイムだ」


 仮面に付いた紐を後頭部で止め、もう一度腕を組んで深紅の絨毯の上を歩き始めた。通路を左に曲がった。その突き当たりに、取っ手もガラスでつくられた扉が現れた。


 その脇にはサングラスを掛けた男二人が門番のように立っている。二人は止まることなく男達が開けたガラス扉の中へと吸い込まれていった。


 一間置いてまた扉があり、浅居が我が家の玄関のように取っ手を引いた時だった。中に籠っていた何かが勢いよく飛び出し、耳に突き刺さってきた。


「イヤーーーーッ!」

「アアッ! ヒィーー!」


 頭蓋骨に響く、尖った針のような女の叫び声。恐怖と逃げる事が出来ないと諦めた絶望した声。頭に刺さった針が中まで入り込み、血液の流れに乗って体中に行きわたるのにそう時間は掛からなかった。毒が仕込まれていたのか、次第に体の中から痺れたような感覚が上から下まで感じるようになっていた。


「驚いたかな?」


 立ち止まった浅居は、獣が獲物を前に舌を出しながら涎を垂らしているに見えた。


「え、ええ」

「心配ない。別に犯罪が行われている訳ではないよ」


 中に進むと視界が広がり、仮面を付けた男女がワイングラスを片手に歓談をしたり、ひと塊りになって同じ場所に視線を集中させていた。


「こっちだ」


 浅居に引きずられるように付いて行く間にも、女の叫び声が四方から聞こえてきた。それが二人なのか三人なのか、どの声も甲高く叫んでいるので菜々子には分からない。


「お、ここならまだ空いているな」


 十数名程がパンダ小屋を見る様な雰囲気で、壁に向かって立っている。その隙間を縫いながらそれまで四方から聞こえていた声が、着実に菜々子へと近づいていた。


 最前列まで来ると、天井はホールと繋がったままで、アクリル板でギャラリーと仕切られたスペースがあって、そこに男女がいた。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

あとがき

どうも作者の安土朝顔です。

いつも読んでいただきありがとうござます。

この作品は第45回横溝正史ミステリ&ホラー大賞に応募しています

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