第12話
フロントに連絡をいれ、タクシーの手配をしてもらい天田の家に向かった。
よくテレビで見る鴨川に掛かる橋を渡るのだろうと菜々子は勝手に想像していたが、「ああ、ここやったら通りやしません」と言われた。少し残念だったが、走るタクシーからは、かなりの寺や神社を車から目にすることができた。
天田家には渋滞も無く二十分ほどで着いた。車一台半ほどの幅の車道の両脇には、築二三十年の家が軒を連ねていた。
表札を見ながら家を探していると、同じ様な家ばかりの中に駐車場がなくステンレス製の引き戸で、車道に面したベランダから肌色の下着に男性物のトランクスが近所の目を気にすることなく風に揺られているのが目に飛び込んできた。
家の表札には「天田」とあった。
菜々子が入口のすぐ横にある昔ながらの小さな黒いボタンのインターフォンを押すと、中から夏の夜の虫の雄叫びのような音が漏れ出てくる。「はいはい」と女性の声がしたと思ったら、直ぐに戸が開かれた。
「初め」
「荊木さんやね。よう来てくれはって。寒いからはよ入って」
勢いに押されながら中に入り、ワンルームマンションのような小さな玄関で靴を脱いだ。
入って直ぐ右にはキッチン。直ぐ目の前には二階へ続く階段、物が沢山置かれ役割を放棄したダイニングテーブル。その奥に和室が見え直間に近い作りになっていた。
菜々子は奥の和室に案内されるのだろうと思っていると、「仏間は二階なんよ。どうぞ」と促され、後をついて狭い急な階段を上がった。
目の前に鳥ガラのような尻が突きだされて前が見えない。
二階には洋室とその奥のもう一部屋あり、そこから線香の濃い匂いがしてきた。
畳の部屋には仏壇と白い布に包まれた骨壷。その横に押入れがあった。テーブルはなく用意されていた藍色の分厚い大きな座布団だけがやけに豪華に感じられた。
「おまちどうさま」
お盆の上から白い湯気が立ち、家の中が思いの外寒い事がわかる。よく見るとこの部屋には冷暖房器具がない。菜々子がコートを脱ごうか迷っていると「この部屋は寒いやろ? 堪忍やで。コートは脱がんでええから」言われ従うことにした。
母親と菜々子は向きあうように座り、横には生前の華やかさが無なくなった質素な楓が見つめていた。
菜々子が一口、二口とお茶を飲んだ後に母親が待ちかねたように口を開いた。
「東京からわざわざおおきに。荊木さんだけですわ。あっちから来てくれはった友達は」
よく見ると、一つに括られた髪は白髪が多く少しだけ黒が残っている。顔は疲れたというよりは憔悴しきった感じで、頭頂部の地肌がかなりはっきりと見てとれた。
「あの子、東京に下ってから暫くはよう連絡くれてたんやけど、徐々に減ってきて、こっちから掛けても繋がったり繋がらんかったり。でもお金は毎月きっちり振り込んで来てくれたんよ。あの子が働いてたんは風俗?」
「え?」
「毎月二十万近く振り込まれてきたんやから、それくらい分ってる。情けないやろ? そうやって娘が稼いだお金を、私らは知りながら黙って受け取ってたんや」
菜々子は話しの内容が、自分が思っていたのと違う気がしていた。どう切り出せばいいか迷っていた。
「荊木さん」
「はい」
「あの子、何かおかしな事に手を出したんちゃう?」
「どういうことですか?」
「風俗とかヤクザの縄張りって言うやろ? あの子の死に方は……警察も色々と調べてはくれはったんやけど、家に出入りしてたのは楓しかおらんかった。何度もマンションの防犯カメラを見せてもらったんやけどなあ。楓は一人で部屋死んだよ。傷や痣が凄くて顔も膨れててな。怪我が原因やなくて、心臓麻痺やった。何か知らん? 荊木さん」
縋るような目は、見えない糸で菜々子の体を瞬時に縛り上げたように動けなくしてしまう。口元だけが飲んだお茶で湿り、かろうじて動かす事ができた。
「すみません。お世話にはなりましたが、最近はほとんど連絡をとっていなくて。亡くなったと聞いたのも、先週だったんです。でも私が知っている限りではそんな暴力団と何かというのは、聞いた事はありません」
「ほんまに? ほんまに何にも聞いてへん? 知らん?」
相手が前のめりになり、顔が少し近づくので口臭が鼻につく。
「――すみません」
「そう……ごめんね。そうや。線香上げたって」
「はい」
仏壇前に骨壷と並んで立っている咲の遺影は、菜々子の知らない楓時代の物だということはその幼さ、染まりきっていない純朴さを残す笑顔で感じられた。東京に来てからの写真ではないのは一目瞭然で、本当に帰省をしていなかったようだ。
胸の前で掌を合わせ目を閉じた。本来ならばこういうとき、心で相手に話しけるものだろうが、菜々子にはそれが無意味であり、何の救いにもならない事を知っていたので無心で手を合わせていた。
菜々子が向けていた背を戻すと、咲の母親は体を丸めながら娘の話しを始め、カウンセラーのように相槌を打った。
「じゃあ、これで」
「堪忍やで。話しこんでしもて」
「いえ」
上がって来た時とは反対に菜々子が先に階段を下りた。
「お邪魔しました」
「またこっちに来た時は、寄ってくれたらええから。ありがとうな」
「いえ。お茶、ありがとうございました」
菜々子はお辞儀をしてから去る間際に質問をしてみた。
「あの、咲、いえ、楓さんにご姉妹は?」
「うちは一人娘やで」
菜々子はもう一度頭を下げ、タクシーで通って来た道を大通りまで徒歩で向かった。
タクシーを拾い、旅館に戻ると服を脱ぎ捨てながら、部屋の半露天風呂に入った。
咲に姉妹はいない。菜々子は架空の姉妹話しを聞かされていた。だからと言って咲に腹を立てている訳では無く、ただ自分のふがいなさが情けない。
女は女優。夜の商売のことを教えてくれた言葉に共感していたのに、彼女を疑わずに信じ込んでしまった甘さ。
彼女がなぜ金を必要とし、クラブ以上に稼げる場へ移りそこで何をしていたのか、何をされていたのかなどどうでもいい。自分を偽るならばもっと徹底しなければならない。
誰も信用せずに進まなければ、どこかで失敗するかもしれない。それが菜々子には何よりも一番恐ろしい事だった。
湯船の中で伸ばしていた足を曲げ、体を下にずらして頭まで潜った。目を開けると、菜々子が作った小さな波は光を受けてステンドグラスのように輝き、空の色が肉眼で見るより透明感を増しているように感じる。ただ波は不確かで、つぎはぎの空になっていた。
夕方、一泊のつもりで来たが気が変わり、急用ができたと旅館に告げて正規の料金を支払い東京へ戻った。旅館側は料金は半額で構わないと言ってくれたが、風呂に入れただけで十分だった菜々子は押しつけるように支払いを済ませた。
新幹線に十八時過ぎに乗り込み、最寄駅に着いた時には二十時を過ぎていた。東京駅に降り立った時、京都の風を覚えていた体が一瞬身構えたが、周りの熱気も手伝い思ったほどではかった。
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あとがき
どうも作者の安土朝顔です。
いつも読んでいただきありがとうござます。
この作品は第45回横溝正史ミステリ&ホラー大賞に応募しています
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