第11話
エレベーターがくる数秒間、周防の視線を背中に感じ居心地が悪かった。扉が開いた時には時間が止まったように長く感じられた。
あれだけ挑戦的な答え方をしたのに、顔を上げる事が出来ずにいた。
扉がゆっくりと閉じていくにしたがい、見えていた周防の足元がグレーの壁に浸食されていく。あと数センチで完全に閉まろうとした時、
「ちょっと!」
という大きな声と共に、扉がゆっくりと開きだした。
「俺、何か気に障る事言った?」
周防の声、顔に怒りは無い。ただ母親に捨てられた子犬のような目で、菜々子を見ていた。
新幹線から降りると、突き刺すような寒さがゆっくりと体に浸透する。巻いているマフラーを口元まで上げながら、改札を出て直ぐにタクシーに乗り込んだ。
平日にも関わらず京都駅は賑わい、外国人観光客や学生達で溢れていた。白い柱のような京都タワーを横目に、タクシー運転手に旅館の地図のコピー渡した。
ホテルにしようか迷ったが、折角京都まで行くのだからと旅館を予約した。
見慣れた東京の景色とは違い、ファースト店も外観に気を使っているようで、木の格子で古都にふさわしい装いにしているかと思えば、全くに気にせず派手に電飾している店と新旧せめぎ合っているように見えた。
「お姉さんは一人旅ですか?」
先程からバックミラー越しに菜々子を見ていた運転手が話しかけてきた。
「ええ。所要で」
「お姉さんが泊まりはる七緒はいい宿ですわ。外国人客もよう利用してはりま。ところでお姉さんは、モデルさんか何かですか?」
「いえ。普通の学生です」
「えらい別嬪さんやから、テレビか雑誌の人かと思ってましたわ。今日は当たり日やわ。こんな別嬪さんを乗せたんやから。このまま旅館に行かはるみたいやけど、観光はしはらんのですか?」
静かに揺られていたかったが、向けられた好意に答えてしまうのは夜の仕事で身に着いた癖なのか、客を相手するように答えていた。
「時間があれば予定はしています」
「旅館七緒やったら、南禅寺、琵琶湖疎水水路閣、永観堂、哲学の道も歩いていけますわ」
それ以降、聞いてもいないのに人気の店や場所を延々と話してきて、菜々子は感心していた。次から次へと寺院の名前や由来など持っている引き出しを、全て出しつくすように話している。
菜々子は「へえ、そうなんですか。すごいですね」と簡単に答えながら、周防の事を思い出していた。
「俺、何か気に障る事言った?」と引き留めた周防。予期せぬ事で菜々子も戸惑ってしまった。
気に障る? 何に? 彼自身の存在が。言ってしまいたかったが、いくら何でも初対面の人間に言うほど菜々子も不躾ではない。
「すみません。少し、苛々してて」
「――ああ! すまない。そう言う日も女性ならあるからな。引き留めてすまなかった。じゃあ連絡を待ってる」
扉が閉まって一人になった時、彼の言葉が狭い箱の中を漂いすんなり耳に入って来なかった。
ビルを出て駅のホームに立った時に、やっと矛盾に気付いた。
彼は女性特有の現象、生理で苛々していると思ったということと、棘を持って困った事があっても彼には頼らないと言ったのに、連絡を待っていると言ったこと。
菜々子に自分が受け入れられていると思わせる言葉だった。謙遜しながらも、少なからず自分に自信があるからそんな言葉が出たのだろう。
菜々子も嫌々ながらも自分は美しいと自負している。
タクシー運転手も持っている情報と知識をさらけ出し、一期一会の空間だとしても気を引こうとしている。
萎びた京漬物のような匂いをさせながら、ゼロに近い確率でも可能性に掛けているのが手に取るようにわかる。助手席の前にある証明書を確認して名前を付け加えと返事をすると、声のトーンが少し上がり話しの勢いは増す。
菜々子は仕事用の携帯に一応、周防の連絡先を登録しておいた。周防のメールアドレスは初期設定のままで、マメな男では無い事が分る。女受けする見栄えだが、物足りずに近寄って来ては去って行かれるタイプだろう。
画面にメールの着信通知が出た。新幹線で客にメールを送っていたので、他にも未読はあったが、上客から順に開封するようにしている。
送信者は上客の浅居だった。菜々子は、週末に木曜日から出勤する旨と、楽しい事はあったかな? という質問に周防の顔を浮かべながら、秘密と返信を打った。
二十分ほどでタクシーが旅館に着くと、運転手は素早く菜々子の荷物を手にして旅館の玄関先まで付き添って来た。
入口には幅広い石畳があり、その脇に年を重ねてきた趣のある松が数本生えていた。武家屋敷を思わせる門の両脇には、オーナーの家紋らしき提灯が門番のように寒空の下客人を迎える。
石畳の先に玄関があり、その脇に続く道は庭園に繋がっているようだった。玄関に足を踏み入れると、バトンを渡すように菜々子の小さな鞄は出迎えた仲居に手渡され、「ありがとうございます」と菜々子の営業用の笑顔で運転手の淡い期待を切り捨てた。そして彼は肩を下げ車へと戻っていった。
菜々子と短い時間でも自分と同じ空間にタダでいられた事自体相手はラッキーなのに、それ以上を望むなど身の程知らずもいいところだった。
仲居は、「おこしやす」というわざとらしい言葉で挨拶をしてきた。
フロントは豪華さとは反対にコンパクトな造りで、入って左手にフロント、右手に十帖程の和洋折衷造りの待合場がある。
壺庭に面しているガラス窓からは獅子落しが見え、古き日本のいかにも京都に来たという心持にさせる作りになっていた。
空間の隅には和紙で出来た縦長の照明が、暖色系の色で旅の疲れと心を解す役割をしているようだった菜々子は名前を呼ばれてチェックインを済ますと、部屋に案内された。
廊下には半月型の飾り格子窓、各部屋の前にはやはり和紙の明り。ほんのり鼻に付く、建物に染みつた香りはどことなく懐かしさを感じる。
「東京からお疲れ様でした。こちらが今夜のお部屋です」
玄関を入って直ぐ左手にはトイレと風呂があり、部屋の床の間には掛け軸と牡丹の生け花が飾られ、畳の部屋の中央にはテーブル。その奥には日本庭園の小さな庭を見ながら入浴できる檜の半露天風呂がある。部屋に入ってすぐ正面に見える庭は、一枚の大きな屏風のようにも見える景色だった。
「大浴場は夜十二時までお使いいただけるようになってます。アメニティはお持ち帰りしてもらってもかまいません。そしたらごゆるりと」
京都のゆったりした言葉で説明を終えた仲居が部屋を出て行くと、菜々子は服を足跡のように残しながら部屋の露天風呂に入った。
アップで纏め上げきれなかった髪が、ユラユラと湯船に浮かんでいる。ずっと外にいた訳ではではないが、冬の寒さは体の芯にまで染み込んでいたようで、ゆっくりと温まった血液が冷えた血液を巻きこみながら体の中を循環してくのが分る。身体全体が温まり始めると、湯船から出ている顔に冷えた空気が当たり気持ちがいい。
咲と温泉に来た時、菜々子は生理だと嘘をついて結局裸の付き合いというものはしなかった。学生時代から旅行に出向いても部屋風呂しか使う事が無い。
それは菜々子が持っているコンプレックスと心理的な問題だった。
「愛果あんた胸、目にも当てられないわね。豊胸でもしたら? 皆やってるよ」
咲は、会うたびに菜々子を見て言っていた。
湯船の中で平らな体を見ていると赤松を思い出し、より自分を魅力的にさせるならやはり……と思う気持ちがある。
でもどうしてもそれは出来ない。大きく深呼吸をすると、檜の香りと冷たい空気、湯気が溶けあうこと無く鼻に入って来た。
九時半ごろに電車に乗り、京都に着いたのが昼過ぎ。天田の家には三時頃に行く事になっている。部屋の時計を見るとまだ二時前。
菜々子はのぼせそうになると、檜風呂に座り、細い枝のような体を惜しげもなく外気に晒した。一枚の屏風の中に、裸体の天女が舞い降りたようだった。
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あとがき
どうも作者の安土朝顔です。
いつも読んでいただきありがとうござます。
この作品は第45回横溝正史ミステリ&ホラー大賞に応募しています
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