第7話

 文化祭では、一年の時はメイド喫茶。二年は執事のボーイ。三年は出し物が演劇でお姫様役を演じた。どれもこれも手の込んだ衣装が用意され、菜々子は周りが期待した通りに演じきった。


 コスプレをした時の写真は売買され、近くの男子高や共学の生徒の手にも渡ったし、着替えている最中の隠し撮りも出回った。しかしそれだけは菜々子を崇拝していた生徒が徹底的に回収し、犯人を突き止めたと言われた。


 卒業式の時には、同級生、下級生数人にキスを迫られ応じた。人の唇は柔らかく、よくマシュマロのようだというが、それよりも甘くて温かい母親の乳房のような甘い感覚。


 同じ人でありながら他人の体はこんなにも柔らかく驚いた。どの唇も差はあるものの、どれも甘美な感触だった。ファーストキスは女性で、男性の感触をまだ菜々子は知らなかった。


 奉仕されそれに対して対価を与える。暗黙のギブアンドテイクが成立していた。しかし友達らしい友達も勿論、親友もつくらなかった。それは菜々子の中での決めた事だった。


 斜め右の前に座っている男子学生と目が合った。菜々子は、微妙に口角を上げる。相手は直ぐに、視線を広げていた本に戻した。学生はどれだけ時間が経っても、広げた本のページをめくる事は無かった。


 静かなカフェテリアに鈴の音が響いた。菜々子はバックから携帯を取り出す。メールだった。相手は全国展開している玩具メーカーの五十代社長を先頭に、数件の受信があった。


『今日は店にくるのかな? やっと仕事が落ち着いたから、愛果(あいか)ちゃんに会いたいな』


 菜々子はそのまま携帯を鞄にしまった。


 そろそろ講義が終わり、昼食を摂るために学生が溢れかえる。菜々子は立ち上がり、まだ少し残っているカップをそのままに席を離れた。


 カフェの出口で先程の学生を見ると、菜々子が座っていた席に移動しコーヒーを啜っている。温まった体に冷たい風が吹き付けてきたが、温度が低い心には少し温かいものに感じた。



 夜、冷え込む空気で猫のように背中が丸まる。いつものように菜々子は化粧をせず店に入った。従業員専用のエレベーターに乗り込み、七階で降りる。


 足を踏み入れると、甘い香水と白粉の匂いが混ざり合い何とも言えない香りが鼻に付く。それは少し懐かしい感でもあった。


 霞んだ記憶の奥にある、小学校時代の参観日。母親達が入った教室は体臭と香水、化粧の匂いで充満していた。その時の凝縮された匂いに似ていた。


 ワンフロア全てが待機場兼ロッカールームなのだが、ロッカーという響きはこの部屋に相応しくないだろう。


 白い壁に同化するように並べられた私物入れには、カードキー使用で、高い天井には店内より小ぶりのシャンデリアが部屋を照らし、床は大理石で床暖房が入っているので、今の時期は有難い。


 何列かに並べられた鏡台には、戦闘前の女たちが準備に追われていた。中央には大きな観葉植物がおかれ、その周りをワインレッドのソファが取り囲むように並べれている。


「おはようございます」

「おはよう愛果(あいか)ちゃん。座って待ってて。順番になったら呼ぶから」

「はい」


 愛果は菜々子の源氏名だ。そして出勤した時に顔を合わせると元気な挨拶をくれるのは、会員制高級クラブBreeze(ブリーゼ) de(ドゥ) fleurs(フルール)の専属ヘアメイクをしてくれている中道(なかみち)円(まどか)で子持ちの母親。


 昼は普通に会社員として働き、もともと資格を持っていたためそれを生かしてここで、ホステス達のヘアメイクをしてくれている。


 美容に関する質問にも、子供に宿題を教える様に丁寧に時間を掛けてくれるので、ホステス達には重宝されていた。専属をもつ店はここくらいで、他は夜専門の開業店へ出勤前に足を運ぶ。


 ブリーゼフルールは花のそよ風といい、ホステスが花でという意味らしい。ヘアメイク代は給与から天引きされるが、店外でするよりは幾ばくか安い料金で、何かと自分磨きにお金が掛かるホステス達も助かっている。


 菜々子は荷物をロッカーに入れ、上半身にスパンコールと刺繍が施されているクリーム色のロングフレアのドレスに着替えた。胸が無い菜々子は少しパッドを入れ、肉をかき集めて何とか凹凸をつくる。それでも太った客の方が菜々子より胸があるのはいつもの事だった。


 菜々子はメイクセットを持って空いている席に座った。鏡台全てに、ハリウッドスターが使うように電球が縁を囲んでいる。


「愛果おはよう」

「おはよう結衣奈(ゆいな)さん」

「もう直ぐクリスマスよ。貢がせどきの時期ね」

「そうですね。結衣奈(ゆいな)さんはやっぱりエルメスですか?」

「当たり前よ。三つぐらいおなじバックを買ってもらって、財布と時計を適当に貰うわ。あとヴィトンかしら。一番オードソックスで買い取り額も安定しているから。愛果は?」


「くれるものなら何でもいいです」

「前から思ってたんだけど、あんた物欲ないわよね」

「そうですか? そんな事はないと思いますけど」

「まあこの店でトップに入ることも出来る愛果には、貰うプレゼントに興味がないのも分るけどさ」


「だって時計もバッグも財布も、まだ使えるのに貰っても仕方がないし置き場にも困るし、結局私も売りますよ?」

「――まあいいわ。何か働く前から疲れた。じゃお先に」


 物欲が無い訳ではない。ただ生活する上で最低限あればいいという考えた方なだけなのだが、どうも結衣奈が欲しいと思っていた答えとは違ったらしい。


 両親が残してくれた金もあったが、大学の学費の為に二十歳になってこの世界に足を踏み入れた。初めの頃は店を点々としていたがある日、この店のオーナーから声がかかり、金銭面での条件が他の店比べ頭二つほど出ていたので面接を受けた。


 教養、知識、政治、世界情勢、株価、為替。この店の客に必要な知識もそれとなく質問に交えて行われた。もちろん容姿も条件ではあるが、菜々子にはそれは必要が無い事だった。


 それに高校時代からとれる資格は取得し、大学に入って簿記二級、社会保険労務士、宅建諸々も勉強し資格マニアのように取得してきた。幸い出来がよかったためにどれもなんなく取得する事はできたが、学生の為に実務経験が無い事だけが今の菜々子には不安だった。


「愛果ちゃん。次どうぞ」

「はい。今行きます」


 部屋の奥に用意されてある個室の、少し重くて幅の広いガラスの扉を押した。菜々子が中に入ると中道は道具のセットしていた。


「おまたせ。今日はクリーム色のドレスかあ……髪はハーフアップにして、横で一纏めにしましょうか。飾りは大きな白いコサージュでどうかしら?」


 菜々子を上から下まで何度も見ては、広げてある髪留めを手に取って芸術家がデッサンを取るように合わせている。


「いいと思います」

「決まり! 座って」


 皺にならない様にドレスの後ろを少し引っ張りながら椅子に座る。共用台と作りは同じだが、椅子は赤いベロアで程良い弾力があり、肉の薄い菜々子の尻を守ってくれる。


 脚は少し外側に跳ねるような作りで、左の肘おきの先端には小さな猫が丸まって寝ている木彫りが付いていた。共用にある安物の椅子とは違い、背もたれもいい角度で背中に添ってくれるので気持ちがいい。


 部屋の壁には、雫をモチーフにしたシャンデリアが壁に掛かっている。


「でも愛果ちゃんって、本当に綺麗ね。女の私でもうっとりしちゃう」

「そうでしょうか?」

「うん! 肌も凄いすべすべだし、目もお人形さんみたいだもの。化粧をしなくても十分なのに、しちゃうから周りも大変よ」


 中道はおどけた様に笑っている。


「肌が綺麗なのはまだ若いからだと思いますけど」

「ううん。そんなこと無い。どんなお手入れしてるの?」


 菜々子は困った。他の人がするように、風呂上がりにローション、乳液をするくらいだ。それを正直に答えたが、中道は物足りない様子だった。


 仕方なく以前、電気屋勧められた美顔機とローラーの話しを出して、少しだけ場は盛り上がった。とは言っても、珍しく中道が一人で話しているようなもので、実際に使った事がない機械の話しをせずに済んだのには助かった。


 話していながらまるで手だけが中道とは違う考えをもち動いているかのように、髪を束ね器用にピンで止めたりと、慌ただしく動いていた。


 相槌と曖昧な答えをしているうちに、中道の口数も少なくなってきた。菜々子は携帯で今日は出勤しているとメールを送ったりと、好きではない営業を合間に入れ始めた。


 鏡を見ると中道が真剣な顔で髪を結っている。鏡越しに目が合い愛想笑いを浮かべた。だが中道からの反応はない。どちらかというと何か言いたげな顔をしていた。

 携帯を触るのを止め、鏡の中の自分達を見つめた。


「ねえ愛果ちゃん」

「はい」

「クラブミッシェルって知ってる?」

「ええ。そこそこ有名ですよね」

「なら咲ちゃんって知ってる?」

「咲さん?」


 源氏名は被る事がある。菜々子は何件か店を渡り歩いているので、何人か同じ名前がいた。


「そうよね。ミッシェルの前はクラブ愛子にいた咲ちゃん」

「ええ。知っています。初めての店で、いろいろと教えてくれました。そう言えば最近、連絡がないかな」


 右も左も分らない菜々子を厳しいながらも、いろはを教えてくれた人物。プライベートでも連絡を取り合い、一泊で温泉旅行へ行ったり、買い物をしたり、咲の恋愛相談、妹の病気の事でよく話をした。


 咲の妹は纏まったお金が必要な病気らしく、会社員として働き、夜はクラブで働くようになったと聞いていた。


 連絡が無いという事は、もしかしたら聞いていた妹の手術があって忙しいのかもしれない。それならもう夜の世界を卒業してという話だろうと、勝手に自分の中で話を繋げた。


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

あとがき

どうも作者の安土朝顔です。

いつも読んでいただきありがとうござます。

この作品は第45回横溝正史ミステリ&ホラー大賞に応募しています

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