第4話

沖谷は清水をそのままに一階の玄関まで戻ると、携帯で本部に連絡を入れた。その時、自分の手が氷のように冷たく震えているのを知った。その後は情けないことに二階にもリビングにも足を踏み入れる事は出来なかった。


玄関の入り口で力が抜けるように座り込んでいると、脇の和室から微かな音がした気がした。


沖谷は立つ事が出来ず、赤ん坊のように這って引き戸に手を掛けた。しかしそこから手が動かない。指先が氷に漬けていたように冷たくなっていた。感覚が無く、神経が麻痺しているようだった。


沖谷の中に底の見えない大きな穴が出来ていた。蠢く蛇がどくろを巻きながら、自分が落ちてくるのを待っている。落ちれば這い上がる事は困難で、恐怖に一気に支配されるだろう。沖谷は奮い立たせるように声を出した。


「くそっ!」


冷えた掌で襖を力の限り引いた。それだけでもフルマラソンを走りきったような疲れが襲ってきた。


今の住宅にしては広い和室。その中央に男児が一人、畳を赤く染め下半身裸のままでうつ伏せで倒れていた。その子供の指が小さく跳ねていた。


沖谷は、乾ききった喉に久々の唾液が通過したのを感じた。急いで四つんばの格好で子供の側に駆け寄る。背中に手を当てると温かかった。耳を近づけてみると、微かに息をしていたが、顔は吐いた嘔吐物で汚れていた。しかし沖谷に躊躇いはなかった。


「おい! おい!」


抱きかかえて揺さぶるが、力無く首も腕もブランコみたいに揺れているだけだった。それでも声を掛けずにいられなかった。そうしなければ自分自身もおかしくなりそうだったのだ。


なぜなら男児の股間にあるはずの性器が切り取られていたからだ。沖谷は救急車両が到着するまで子供に呼びかけ、訳も分からず涙を流し続けた。

数分後、音が玄関の方から聞こえ、スーツの裾で涙を拭い表に出た。


「子供が生きてる! 早く! それと一応袋を用意しておけ」


救急隊員を案内しながら、現場に来る刑事に状況を伝え、トイレと二階にいる清水も別の救急車で運ばれていった。


中に入った捜査員達の嗚咽の音、玄関から飛び出して庭で吐く者。今までの刑事生活の中で初めて見る光景だった。


涙を流した分、気持ちはだいぶ軽くはなっていた沖谷は、息を大きく吸い込み頬を何度か叩いた。


そして心に出来た蛇壷に引きずり込まれないよう再び現場に入り、崩れ落ちる捜査員に激を飛ばしながら指示を出していた。




捜査本部は合同で直ぐに立ち上げられた。被害者は外資系投資会社に勤める霜野(しもの)享(とおる)四十歳と妻の志(し)帆(ほ)三十五歳。六月に二歳の誕生日を迎えるはずだった娘の愛(あい)菜(な)。そして重体の小学五年生の息子の夏樹(なつき)。


一家は三月にアメリカ支社から日本に帰国し、会社の借り上げ住宅に引っ越しをしてきたばかりだった。


霜野享は会社の評判も良く、上司と部下の信頼も厚ようだった。妻の志帆も人当たりがよく、引っ越してきたばかりの近所に直ぐに打ち解けていた。息子の夏樹も明るい性格でクラスに馴染み、すでに友達もいた。


ことに歳の離れた妹を両親以上に可愛がっていたと、聞き込みでは必ずと言っていいほど話題にも出ていた。捜査会議で配られた写真は、沖野が見た顔とは全く別人だった。


霜野享の顔は一重だが目元が大きく、長めの髪を自然に後ろに流し、鼻筋はスッキリとして通り、微かに笑顔の写真。妻はおっとりとした感じでボブヘア。垂れた目は男うけしそうな顔だち。


娘の愛菜は父親に似ており、クリっとした目で歯を見せて笑ってた。息子の夏樹は両親のいいところを取ったように、美少年と言ってもおかしくない顔立ちだった。


一枚一枚張り出された顔は、どれも幸せが滲み出ていた。

家族の身辺調査、聞き込み、短い時間に集められた情報が飛び交う。


「通報してきたのは近所に住む五十三歳の家政婦。勤め先の犬の散歩中に赤い点を見つけたそうです。玄関まで続いていた染みを不思議に思いながら女性は半分開けられた玄関から声をかけた様ですが応答がなく、おかしな匂いに気付き通報。中には入ってはいません」


賢明な判断だと、現場に入った捜査官達は誰もが思ったであろう。

殺害日時は五月四日火曜日の十五時前後。霜野享は帰国後の業務を休み返上でこなし、一家はゴールデンウィークを避けて、一泊のキャンプに出掛ける予定だった。


もし連休初日、もしくは半ばに犯行が行われていれば、遺体の腐敗はまだ春とはいえ進んでいたかもしれない。あの酷い損傷に加え腐敗が加味された遺体を想像しただけで、吐き気が催された。


全体の指揮は大江兼(おおえかね)昌(まさ)監理官、検死結果など家の中の状況を捜査本部長釣鐘将(つりがね)志(まさし)によって続けられる。その口からさらに衝撃な事が告げられた。


寝室で発見された夫婦は、手と腕を紐で縛りあげられ、妻に夫のペニスを咥えさせながら先ずは夫の足首を切り落とし、次に妻の指の爪を一枚一枚剥がしている事。


妻の手首を切った事により咥えていたペニスを噛み切り、夫は出血と激しい痛みで気を失ったのではないかという事。寝室に飾ってあった絵をわざわざ取り外し、切り落とした妻の手首をオブジェのようにしている事。


最後の仕上げに妻の腹を切り裂いて腸を引きずり出し窓辺に飾り、夫の首を後ろにねじ曲げる為に何度も回していた事。娘は無理矢理の挿入で娘の膣の裂傷は激しく、そして異物が押し込まれていた。


また左手の小指が切り取られてまだ発見されておらずさらに、肛門に押し込み射精をしていた。手は玩具のように折られて、これも面白おかしく犯人が遊んだ形跡があった。


そして息子のペニスを切り取った後、それを調理しその一部が息子の嘔吐物の中にあった事。


妻の剥ぎ取られた爪が一枚だけが見つかっておらず娘の小指同様、もしかしたら犯人が持ち去ったのではないか。そして飛び石にあった三点は、妻の血をカップに溜めて息子の習字道具の筆で造られ、その道具は庭の隅に捨てられていたこと。そして犯人は単独犯なし複数犯。


会議室は静まりかえり、頭を抱えながら項垂れ、現場に踏み込んだ捜査員が口元を隠しながら部屋を飛び出していくが、監理官も本部長も止めはしなかった。


沖谷もあの時に嗅いだ匂いが鮮明に鼻の奥で再現され、背中と体の中から虫がはいずる様な、一人ではどうにも排除できない、厭わしいものが全身を覆った。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

あとがき

どうも作者の安土朝顔です。

いつも読んでいただきありがとうござます。

この作品は第45回横溝正史ミステリ&ホラー大賞に応募しています

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