第3話
あの時、足を踏み入れる前に沖谷は振り返った。あの三点はまるで誘導しているかのように見たのを覚えている。そしてまさかと思いながらも、深く考え過ぎだと思い家の中に入った。
だが同じ様に血痕が、三角を形どりながら中に続いていた。
「誰かいますか?」
清水が呼びかけながら進む。同時に沖谷は慣れた匂いに鼻をハンカチで塞ぎ、気持ちを再度引き締めた。清水も沖谷と同じ事をしていた。
玄関はテレビで見る武家屋敷のように広く、天井には球状の和紙で出来た照明器具が点けられたままだった。入って直ぐ右手には和室だと思われる部屋があり、左手奥には広縁があった。しかし雨戸が閉まっているせいか、家全全体が薄暗く時間を無視している感じだった。
玄関ホールの突き当たりから人の呻くような声が聞こえてきた。清水は沖谷に指示を仰ぐように目で訴えてくるので無言で頷き、身構えながら声が聞こえてくる場所に、ゆっくりと進んだ。
突き当たりの納戸らしき場所の左にトイレと風呂場があり、声はトイレから聞こえてきていた。覗くとそこには便器を抱えた制服警官がいた。
沖谷達に気付いた警官の顔は、鼻水と嘔吐物で顔がぐちゃぐちゃで、涙とそれらが混ざりあった姿で小刻みに震えていた。直後、二人の顔を見た瞬間、再び便器に向かって内用物を吐き出していた。
「おい! 何やってんだ!」
現場維持という初歩的な事を忘れ、沖谷は便器に顔を突っ込んでいる警官の襟首を掴んだ。
「――あ、ああ……うあっ……うが……」
親に叱られ、泣きじゃくる子供のように、それでいて見つけてもらった事に安心したように、肩をヒクつかせながら泣き始めた。
嘔吐物まみれの顔を見てみると、まだ幼さが見え隠れする、経験の浅そうな若い警官だった。
「おい、この家の住人は?」と聞きながらも、相手の反応でおおよその見当はついていた。
警官は便器に顔を向けたまま指をさ。その手は小刻みに揺れていた。
「沖谷さん」
不安そうな声を出す清水を叱咤するかのように「新人が初めての現場にビビっているだけだ」と告げる。
会話は無くなり、視線は半開きで血痕が続いている扉に向いていた。背面には二階に続く階段があり、印のような物は二手に分かれていた。鼓動が速くなり、耳のすぐ傍で飛び跳ねていた。掌には自然と汗が滲み出ていたのを今でも鮮明に覚えている。
「俺、二階を見て来ます」
「分った。気を付けろよ」
清水は頷き、壁に体を添わすようにゆっくりと上がって行った。沖谷もリビングだと思われる扉をそっと開ける。動作が遅いのは、何があっても驚かないための条件反射的なものだろうか。ふとそんな事が頭をよぎった。この時点ではまだ、沖谷にも余裕があった。
中に入ると直ぐ右にカウンターキッチンがあった。何か料理の途中だったのか、鍋からほんのりと煮込み料理のような香りが鼻についた。
しかしそれとは別に、夏の生い茂る草むらのような、苦々しい香りとアンモニア臭も混ざっている。リビングは改装されているのか畳ではなく、ナチュラル色で木目調の床板になっていた。
左には大きな窓はあるがシャッターは締めきられ、蛍光灯が青白く部屋を灯していた。壁には両腕を広げても足らないくらい大きなテレビが掛けられ、ソファとテーブルがあった。そのソファの近くから人形のような小さな足が見えていた。
心臓は走った時とはまた違う動きをしていた。肋骨に響くくらいの強さで何度も脈打ち、こめかみのあたりの血管が小さな濁流のように流れているのがわかるくらいだった。
汗は毛穴という毛穴から吹き出て来ていた。
見たくない。だが確かめなければならない。きっと人形だ。そうでなければおかしいと。沖谷の上半身が足より先に前へ出る格好でそれを見た。
裸の女児がそこに人形のように転がっていた。腕は有り得ない後ろ向きに折り畳められ、足はカタカナのルのようになっているが、膝の皮膚が雑巾を絞ったような皺を作っている。
目は白目で見開かれたままで、糞尿の鼻を付くような匂い。そして陰部から血に混じった白い液体と獣のような生臭い匂いだった。
思わず口元を強く押さえ、胃から逆流してくる汚濁を必死に堰き止めようとしていた時だった。二階から清水の断末魔のような甲高い声が響きに、体が咄嗟に動いた。体に染みついた習慣で、冷静に現場の血痕を踏まないように階段を駆けあがった。
部屋は右に一部屋、納戸を挟んで左に二部屋あった。清水は左手奥にある部屋の前で、壁に背中を当てながらも尚下がろうとし、先程の沖谷同様に口を手で覆っている。
「清水吐くなよ!」
心配よりそんな言葉が出た事に自分でも嫌気を差しながら、清水の視線の先にある部屋に入った。
下階と同じく雨戸は締められて蛍光灯が点いていた。リビングよりも一層、密度を濃くした同じ匂いがする洋室の部屋は広く、シングルベッド二台が並べられて、その上に血だらけの裸の男女の姿があった。
女は目をひん剥いたまま男の性器を口に咥え、そこから大量の血が溢れだしていた。手足は後ろで縛られているが、あるべき筈の手首から先はない。
男のほうも不自然に足が短く、足首から下が無かった。何より男の表情は分からない。体は正面を向いているのに、顔が背面の壁に向けられていたからだ。
落ち着いたかと思った濁流が、また喉のあたりまで押し寄せてきた。それを意地で抑え込み、化粧台に目を向けると絵が不自然な体勢で飾ってあった。少し後ろに倒れ込む形で、観賞をするための角度ではない。そもそもそこに絵が置いてある事自体が不自然だった。
子供の頃に怖いテレビを寝られなくなると分っているのに見たいという、変な好奇心があった。それに似た感情がその時の沖谷にもあった。
絵を支えているそれは多分、女の手首。そして窓枠には土色なのに艶がある変色した太い何かの飾り。
窓辺から引きずる様な線を辿り、血の海になっている女の腹のあたりで終わっているのを確認し、何がぶら下がっているのか想像できた。
蒸しかえる様な匂いは、ぎりぎりに堰き止めていた喉から生温かいものを押し上げるには十分だった。沖谷は慌てて下に降り、制服警官を退ける事も忘れ、その頭上に汚物を吹っ掛けた。
スーツの中はサウナに入っていたかのように汗が吹き溢れ、ズボンもかなり湿気ていた。口元を拭った沖谷は我に返り、清水の元に戻った。
清水は二階の廊下で泡を吹いて倒れ込んでいた。
「おい! しっかりしろ!」
自分に言い聞かせるように清水の頬を叩いたが、目を開ける事を拒否しているかのように反応は無かった。
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あとがき
どうも作者の安土朝顔です。
いつも読んでいただきありがとうござます。
この作品は第45回横溝正史ミステリ&ホラー大賞に応募しています
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