お遊び短編集

おふとん

第1話 雪の虫

 今日も当然のように西高東低の気圧配置と気象予報士は語り、めったに雪の降ることのない私の街に雪が降った。

 北海道に雪虫というものがいるらしい。写真で見ると、まるで猛吹雪のように空中を舞う虫たちを見て、私は、なんておぞましくて美しいのだろうか、と、思った。

 白というのはどうして美しく見えるのだろうか。

 考えれば考えるほど不思議に思えてくる。そもそも、私は虫嫌いなのだ。台所であの黒い虫に遭遇すると、近所の方々の耳をずたずたにしてしまうほどに叫び狂うし、電気のあたりで羽虫が飛び回っているのを見ると鳥肌が立ってしばらく収まらない。カメムシが大量に発生して、店の看板を照らす強い明かりの周辺をぶんぶん飛んでいるのを見たときは、夢にも出てきてうなされた。

 虫についての嫌な思い出話を思い出すとキリがない。嫌なことばかり覚えているのは人間の本能だとなにかで読んだ。もう人間は生きるために生きてはいないのだから、本能なんて必要ないのに、と思う。そうして、あのおぞましい記憶の数々を私の頭から消し去ってほしいのだ。


「白を描くには色を使わなければならないのだよ」

 私の唯一の知り合いがそう言っていた。

 言われてみれば当たり前のことである。宝石だって石の中の方が目立つ。当たり前だけれど、白を見るためには他の色を見なくてはならない。それは黒かもしれないし、緑色かもしれない。

「私は白が嫌いなんだ。絵の具の白は。濁らせていく」

 そういうこの人のパレットには、白は出ていなかった。絵かきとしてのプライドでもあるのだろうか。生徒の全く寄り付かない北向きのじめっとした美術室。水彩で織りなす色の中に白が浮かび上がっていた。

 ケント紙に書いた花。画面いっぱいに色が使われていたけれど、水彩は下の色が見える。真っ白な部分はもう残ってないのに、白い紙に描いたことは明白なのだ。

「私は白が好きなんだ。紙の白は。なんでも受け入れてくれる」

 赤い画用紙に青い絵の具を乗せたら何色に見えるのだろう。たぶん、紫に近い色に見える。

 白い画用紙に何色を乗せても、そのまま発色してくれる。

 当たり前のことだけど。

「コンクールに出品したりしないの」

 私は一度聞いてみたことがある。その時の返事は、「ない」の一言だけだった。

 いつもこんな風に、短い一言に解釈を付けていく。私の趣味。

 この人もそうなのだろうか。自分の描く絵があっていようと間違っていようと、どうでもいいのだろう。私の解釈があっているかを確認しないように。

 いつも花ばかり描くのに、今日は雪を描いていた。

 灰色の雪景色に、赤を乗せた。椿が咲いた。

「あげるよ」

 絵の具が乾いたばかりの絵をもらった。

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