幸せの色

加加阿 葵

幸せの色

 

「幸せの色って黄色なんだよ」


 夏の風は蒸し暑さを運び、肌にじんわりとした感触が広がる。

 無人の駅から自宅への帰り道。空はオレンジ色に染まり、どこかでカラスがアホーっと鳴いている。

 誰がアホだ。


 何故そんなとき、この言葉を思い出したのだろう。

 仕事が上手くいかず憂いや焦燥を感じたからなのか、カラスにアホと言われたからかはわからない。考えれば考えるほど思い出してしまう。別れを切りだされる前、まだ彼女と幸せに過ごしていた時のことを。



「黄色は幸福のシンボルって言うよね……え?言わない?」


 次の日になれば忘れてしまいそうな、たわいのない会話。それでも彼女はいつも嬉しそうに、その会話の1つ1つを大事にするかのようにニコニコと話していた。

 何か家具や小物を買うとなれば黄色いもの。自分の誕生日には鮮黄色の花をつけるフクジュソウをプレゼントしてくれた。「【幸せを招く】とか、【永久の幸福】って花言葉があるんだよ。英語の花言葉だと【悲しき思い出】って全然意味変わっちゃうんだけどね」と照れ臭そうに。


 

 別れを切りだされた時のことはよく覚えていない。思い出したくないの間違いか。

 お互いの仕事が忙しくなり、行き場を失ったストレスたちが暴発した。

 些細なことで喧嘩をするようになってしまい、心身ともに腐ってしまった。

 

 その日を境に彼女との関係は綻んでいった。腐りきった自分は当然仕事も何もかも上手くいかず、生きるために働くというより、死なないために働いてる状態だ。自分の日々の生活の目的に、ちょっとずつニュアンスの違いが生まれ始めた。もうニコニコと幸せについて語る彼女もいない。気が付けば部屋から幸せの色は消え、がらんとした部屋の片隅、窓際のキャビネットの上にあるフクジュソウも今は枯れてしまっている。まさに【永久の幸福】は【悲しき思い出】となり散ったのだ。



 車用の信号しか無い交差点。信号が 黄色から赤に 変わる。


 夕方と言っても夏の日。少し歩いただけで額に汗がにじむ。スーツのポケットから黄色いハンカチを取り出し汗をぬぐい、そのハンカチを見つめ自嘲気味に笑う。

 幸せの色は黄色という言葉を忘れられずに、つい買ってしまった黄色いハンカチ。俺は今幸せなんだろうか。幸せとは何だろうか。

 人によって捉え方や感じ方が異なる概念であり、主観的かつ多面的な要素を含んだ幸せというもの。その幸せに色なんてあるのか。


 田舎の信号はやたら長い。


 過去の後悔を思い出すには十分すぎる時間があった。

 あの時、本当の想いを言えばよかった。

 ニコニコと笑うその横顔を綺麗と言えばよかった。

 謝れなかった日を、嘘をついてしまった日を後悔しても遅すぎる。


 後悔すればするほど、夕陽に照らされたこのオレンジ色の町が嫌いになっていく。あの時の「別れよ」という言葉を思い出すから。


 過ぎたことをいつまでも悩むのは愚かだ。ひっくり返った盆の水は戻らない。あの時こうしていればと後悔するくらいなら、今目の前のことに対処する方がよほど建設的だ。


 どれだけ自分に言い聞かせるようにそう心で思っても、人間そう簡単に切り替えられるほど器用ではないのだ。


 相変わらず信号は赤。渡れるときは来るのだろうか。

 後悔は雫となりて頬を伝う。

 

 雫の垂れた地面の色を見て佇む男の頭上に、1羽の青い鳥。


 バタバタと必死に羽をばたつかせ飛ぶその鳥は、何処へ向かうのか。

 1枚の青い羽が男の足元に落ちる。


(なんだ?鳥の羽?)


 地面に落ちた青い羽を拾い上げ潤んだ瞳で空を見上げる。

 空のオレンジ色を映した瞳には、とても優雅とは言い難いが、それでも必死に羽ばたき前に進む青い鳥が映る。

 

(慰めてくれたのか?俺にアホって言ってくるカラスとは大違いだな)

 

 ふふっと口元が緩む。


(あの鳥でさえ必死に前に進んでるんだ。俺も進まなきゃな)

 

 優雅じゃなくてもいい、ただ必死に進めばいい。

 きっとその先に幸せがあると信じて。


 必死に前に進む気持ちを幸せと呼ぶのなら、自分は今幸せなのだろう。


(俺が幸せに色を付けるとしたら――)


 下を向いていたらしばらく気が付かなかっただろう。

 信号が赤から切り替わる。


 青。


(あの鳥も、信号も進めって言ってくる)


 思わず、ははっと声に出して笑う。


 そして横断歩道を渡ろうとした時、視線の先、横断歩道の向こう側に彼女がいた。その手には青い羽が。

 何故、どうしてここに。ミキサーのように回転する頭を止め、歩き出す。

 

(言わなきゃいけないことが沢山あるんだ)


 歩調が速くなる。後悔を置き去りにするため。

 拾った青い羽を握り締め、手を振った曖昧な自分に成功があるかわからない。

 それでも必死に羽ばたいて進むんだ。


 信号が青から黄色に変わる――。



 時が経ち、まだ冬の名残が感じられる2月。

 あの時から約半年がたっただろうか。


 部屋には黄色と青の家具で満たされている。

 窓際のフクジュソウは雲1つない満点の青空の元、黄色い花を咲かせていた。まさに【幸せを招く】ように。


「ただいま~!」


 ニコニコとした幸せが帰ってくる。


 

 □□□


 どこかの空を飛ぶ1羽の青い鳥。 



 青い鳥はわざと羽を落としている。

 下を向いてる者が空を見上げられるように。



 鳥は必死に羽ばたき、今日もどこかで羽を落とす。

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