第35話 ピザと実像

 当時はどこかやんちゃな感じもする少年という感じだったけれど、四年経った今の半井君は、凛とした出で立ちの青年になっていた。小暮君が蠱惑的なタイプだとしたら、半井君はまさに清純派だ。

「いや、忘れてない……忘れてないよ。ただその、何て言うか、私の知ってる半井君とは、だいぶ違うと言うか……」

「いや、さ、僕もこんなパリッとした格好はしたくないんだけど、就活するんなら仕方ないからね。終わったらまた、いつもの感じにすぐ戻るつもり」

 屈託なく笑う姿は、彼とは似ても似つかない。いつもどこかにうっすらと影を感じるような、彼とは。

「田中の方は大人びたっていうか……いや、もう俺たちどっちも大人か」

 彼は彼で、変わっているんだろう。だけど、それはもう、みんなそうで、良い方向に変わっているとみんな見せかけようとしているだけで、良いのはきっと、ほんの一握りの幸せ者だけ……。

「何か田中、無理してそうな感じがする。体調、良くないのか? 呼び止めなかった方が良かったかな」

 私はそんなに、いっぱいいっぱいに見えるのだろうか。いや、数年ぶりに会った親戚が「こんなに大きくなって」と言う奴と同じだ。

「ううん。誰しもこんなふうじゃない? それこそ、就活なんてしてたら」

「そりゃそうだけど……よし、じゃあ何か飯でも食いに行こうか」

「……へ?」

「せっかく久久に会ったんだしな、立ちながら昔話ってのも変だろ」

「いや、でも」

 半井君はいつもクラスの中心で笑う向日葵みたいな人だった。そんな姿にずっと憧れていたし、だからこそ、私とはずっと交わることのない縁だと思っていた。

〝愛世がそんなに気になっている相手がいるんだったら、もうちょっと思い切った行動に出た方が良いと思うの。ほら、高校の卒業式だって、結局半井君に告白できず仕舞いで、数日間泣きっぱなしだったじゃん〟

(ちょっとだけ違うよ、花奈。私が思い切れなかったのは、半井君の隣に立っている自分が想像できなかったから。もっと相応しい人がいるという確かな確信があったから)

「な、こんな機会、きっともうないだろうし」

 半井君の言葉には裏側が感じられなかった。そう、信じたいだけなのかもしれないけど。

「じゃあ……行こうかな」

「おう」

 本当は、これが世界の普通で、どこにでもある景色に違いない。

 すぐ近くにあったサイゼリヤに入ると、半井君はハンバーグプレートとピザを頼んだ。彼の注文を決める速さはいつもそれを頼んでいるように見えた。私はたらこスパゲッティを注文した。

 いざ料理が運ばれてくると、ハンバーグにピザ、おまけにライスまであるのを見て、少し引いてしまった。小暮君はここまでちゃんと食べるタイプではないし、その差にギョッとせずにはいられない。

「凄い食べるんだね。さすが運動部……」

「ピザは田中も食べるんだぜ?」

「え、わ、私も?」

「そ。食べ切れなかったら俺が食べるしさ、とりあえず、気分が沈んでる時は、上手いもん食って誰かに吐き出すのが一番だって」

「……私、そんなに辛そうに見える?」

 物凄く頑張って自分を演じているというのに、まるで上手くいっていないというんだろうか。

「俺さ、ちょっと年の離れた姉ちゃんがいるんだけど、結構ナイーブっていうか、俺とは違って、色んなことに気が付いたり、気を遣ったりできる人なんだよ。その姉ちゃんを見て育ってきたから、女の人の些細な変化? みたいなのにほんの少しだけ、敏感な気がするんだよ」

「……意外。こういう言い方したら失礼かもしれないけど、半井君ってもっと、明るく元気! って感じだったもん」

「いや、間違ってはないよ。ほとんどの場合は分かんないからさ、ごく稀に、何となく気付けた時だけね。そんなだからさ、もっと気付いてよって言われてフラれるばっかり」

「半井君でも恋愛、上手く行かないことがあるんだ」

「もうそんなのザラだって。同じタイプのザ・明るい! みたいに思ってた子がさ、実は物凄い考えるタイプだった、みたいなことが本当にたくさんあって、女の子って本当にややこしい、って思っちまう。あ、こういうことを言うからダメなのか、悪い」

「でも半井君の明るさに救われる、って場面、それもたくさんあったと思うよ。女の子の気分が沈むのは、仕方ない時だってあるし」

「かな、だったら良いんだけど。田中はさ、就活以外にも悩んでること、あったりすんの? 言いたくなかったら、全然言わなくても良いんだけどさ」

 不思議な感じがした。かつて好きだった人を前にして、今好きな人の話をするか迷っている。

 でもこんな話、どうやってすれば良い。酔いの果てに出逢ったのが昔の知り合いで、でも元カノとの間に何かあって酷く精神を病んでいて、おまけに最近まで記憶がなくて……。戻った記憶のせいで、自分がちゃんと愛されているかに自信が持てず、現実と正しく向き合うことから逃げ続けている。

「半井君はさ……」

 そもそも、半井君にこんな話をしたって、彼じゃないし、彼がどう思っているかなんて、分かりやしないのに。

「元カノさんが、誰でも良いんだけど、復縁したいって言ってきたら、どうする?」

「えー、どうするか、か。誰かにもよるんだろうけど、もしかしたら、もう一回付き合ってみるかもしんないな」

「その子が他の人と付き合ったりした後だったら?」

 もうやめた方が良い、そう思っているのに、問いかけに答えてもらったことが引き金となって、踏み込んだ質問までしてしまう。

「あー……」

 ほんの一瞬、半井君は遠い目をした。私が好きだった頃も、私の知らない所でそんな顔をすることがあったんだろうか。それとも、私がその姿を目にしなくなった後、誰かに傷を負わされたんだろうか。

「それでも、戻ってきてくれるなら、僕はもう一度、やり直したいなって思う」

 いるんだね、あなたにも。その人であってくれたらと願わずにいられない、〝運命の人〟が。

「ごめんね、変なこと聞いて。今付き合ってる彼が、最高の恋人だと思いたいけど、彼には心のどこかで忘れられない人がいるみたいで。いつその人がもう一度彼の所にやってきて、やり直さない? って言うか、分からなくて」

 あれ、どうして私は、こんなあっさり泣いてるんだろう。よりにもよって、こんな明るい人の前で。彼の前ではこんなにあっさり泣いたりすることなんて、できないのに。

「私、その人に優ってる部分なんて何もないし、ちょっとでも勝ってるかも、って思ったら、気分が良くなっちゃって、そんな自分のことが、とことん嫌になる」

「多分だけどさ、田中って、相手の思うこと、正直聞かなくても何となく分かるタイプだろ?」

 フォークもナイフも置いて、半井君は真っ直ぐ私のことを見てきた。私はこんなふうに目を合わせたことが一度もなかった。ずっと遠くから、ぼんやりとその姿を眺めるばかりだった。

「……そうかもしれない」

「で、だいたい合ってる。でもそれを続けたら、会話なんて必要なくなるし、そもそも、誰とも一緒にいなくても良いわけじゃん。さっきの質問の答えだって、本当は、僕によりは戻さないって答えて欲しかったんだろうけど、僕がそう言わないのは、分かってたんじゃね?」

 私は小さく頷いた。

「これはさ、僕の持論だけど、付き合った相手を簡単に忘れられない人の方が、将来的に自分のことを深く愛してくれるかもしれないと思ってる。頭の中にはそりゃ別の人もいるんだろうけど、お互い初カレ初カノってばっかじゃないのが普通じゃん。あっさり切り替えて全部すぐに捨てれるタイプは、嫌かな」

 寂しい目。顔は私の方を向いているけど、その瞳に映っているのはきっと、私じゃない。

 溢れ出る涙は、少しだけ減った。

「付き合った長さとか、思い出の量とかによって違いはあるんだろうけど、全く引きずらない奴は、どこか淡白なんじゃ、とは思うな、僕は。そりゃ、清算してから付き合ったり、付き合うことになったら相手のことだけ考えるって方が、理想的っつーか、ちゃんとしてる気はするけど」

 寂しさの中に優しさを感じる。私は今日、初めて半井君という人を知った気がした。こんなふうにじっくり喋ったことはなかったから、当然と言えば当然だけど、勝手にこういう人だ、と決め付けて憧れていた私は、ひょっとすると虚像に恋をしていたのかもしれない。

 私はいつも、自分の中で不安を募らせるばかりで、相手と向き合う時間が少ない。

(でもそれは、私を愛してはいないって事実を突きつけるかもしれない)

 中辻君の心は、どこに向いているんだろう。

 いつもあった恐れは、記憶を取り戻した中辻君が確実に実花ちゃんのもとへ戻るということ。少なくとも、私は捨てられてしまう。でも、今日に至るまでそんな話は一度も出ていない。

 たとえそれが気遣いでしかなかったとしても、彼の口から直接何かしらの答えを聞いたわけじゃない。

「ありがとう、半井君」

 私を何人増やしたところで、誰になろうとしたところで、彼の真意には辿り着けない。

 どこまでも当たり前で、私だけでは決して思い至ることのできなかった考え。

 ありがとう、半井君。そして、さようなら。

 二かけだけ食べたピザは、涙を乾かすには十分すぎた。


「話聞いてくれてありがとう」

「いやいや、何かほっとけない顔してたから、今はちょっとスッキリした感じ? だし安心した」

 ニッコリ笑うその顔は、私の知っていた頃のそれだった。変わっていく部分と、そうでない部分。みんな、それぞれに持っているんだろう。

「愛世……?」

 ただ、前向きに物事を捉え直してみようと思う矢先に、世界は雷雨を降らせてこようとしてくるばかりで。

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