第34話 消えていく居場所
何かを諦めた時、人は強くなる。
なんて、嘘だとしても、今の私はそう信じることで自分を奮い立たせるしかない。
「それでは、これから内定者懇談会をはじめます」
パッと見た限りでは、実花ちゃんの姿はなかった。あれだけ目立つ容姿をしているのだから、そう簡単に見落とすとは思いにくい。まさか、最終面接に落ちたんだろうか。それとも、他に内定をくれる良い会社があったんだろうか。
その影が見えないことは私に歪な悦びと、それを感じる自分への圧倒的な自己嫌悪を覚えさせた。
けれど、咄嗟に心からそういった邪な感覚は取り払えた。ここしばらく、そうすることに努めてきたから、かなり自然とこなせるようになりつつある。
悔いない、退かない、無理にでも、肯定する。
鎌倉デートを経て、私たちはますます遠くなった気がする。それでも、あるべき振る舞いを私がすれば、彼もまたそれに応える。歪な二人の関係は、下手だからこそ、上手い二人より、よっぽど精巧にできていた。
彼の前で笑うことのできる存在で居続けるためには、もうそれしかなかった。私の中に生じるどんな違和感も、戸惑いも、私は無視すると決めた。たとえそれで、心からの笑顔が浮かべられなくなったとしても。
人事の人が喋った後、五年目くらいの先輩が二人自分の経験を語って、私はそれを冷ややかな目で見ていた。
内定の連絡を見た瞬間は世界が晴れやかに感じられたのに、その喜びは長続きしなかった。むしろ私の頭の中には、いつまでここで働けるか、将来的にどんな苦悩が待っているかといった想像でいっぱいだった。
私の選択は何も間違ってない、そう言ってくれる人が、どこにもいない。全部間違っているとさえ思えてくる。まるで水没した世界を歩いているような、酸欠の感覚。
彼との関係について、深く入り込みすぎた内容は、最早誰にも打ち明けられない。記憶喪失から戻った恋人と、ある時点から前に進むことがなくなった彼のかつての恋人。記憶を失っている間にまんまとその隙間に収まった、不幸体質の私。こんな話、誰が聞いたところで、苦笑いするより他にない。
内定者のレクリエーションで何をしたのか、同じテーブルについたのがどんな人だったのか、全く覚えていない。ただみんなが笑った時には私も笑顔を浮かべたし、静かにしている時にはそれに合わせた。型にはめられていくような感じを、すっと受け容れていく。持つべき自分がないのだから、それも仕方のないことだと思う。
でも大人になるということは、つまりそうできるようになることなんじゃないか。社会で上手くやっていくとは、時に自分の本心を欺き、都合都合に合う形を作っていくことだろう。真っ正直に面接に臨んでは落ちていた、あの日々の方が間違っていた。せめて、そう考えなければ、私は立脚地を見失いそうだった。
会社を出ると、急に甘いものが欲しくなって、近くのスタバに入ることにした。表の看板にあった新作を注文して席につくと、店内にいる私以外がみんな幸せそうに見えてやるせなかった。
美味しい、ただそれ以上の感想を抱けないまま、店を後にした。
気が付けば、彼が記憶を思い出すきっかけになった図書館の前に来ていた。
(いったい何が、原因だったんだろう)
改修工事が行われて様変わりした外観。それが引き金になるはずはない。だとしたら、図書館そのものに意味があるとしか考えられない。
意を決して自動ドアを抜けた。昔ながらの図書館らしい地味さはない。とにかく綺麗で、古い本の香りがすることもない。同じような静けさはあっても、もっと美しくしたら良いのにと不満を抱いていた頃に感じた穏やかさはない。
歩きながら、ぼんやりと昔の内装を思い出す。あまり入りたくない古びたトイレがあった場所はデパートみたく整っていて、子ども用の読書スペースだった所は見る影もない。市の図書館が、ブックカフェさながらに様変わりしている。
変わり果ててしまったここに、何が。
私は首を軽く横に振って、図書館からも立ち去った。居たい場所が、この世界から減っていく。減らしているのは、紛れもなくこの自分そのものだというのに。
「あっ、もしかして、田中? 田中だよな」
家の方を向いて一歩を踏み出そうとしたところで、聞き覚えのある声がした。
「……あれ、僕のこと忘れちゃったかな。半井、半井
高校生の間中、ずっと横恋慕していた人が、そこにいた。
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