第30話 崩落

 中辻君と小暮君が大きく違うところ。

 それは、運動神経だ。川辺での水切りが下手だった彼とは打って変わって、中辻君は淡々とダーツの矢を20のトリプルに当てていく。

「なんであんな狭い隙間に三本も当たるの……」

 立ち姿がまず美しい。いや、中辻君が不格好だったわけではないけれど、別に惹かれる要素があったかというと、ない。矢を構えた指先は少しエロティックに見え、放つまでのフォームで他の女の子が狙ってこないか不安になる。そんな輩が現れたら、私のダーツがボードではなくその子の脳天を貫くことになるだろう。

「狙ってる感じはあんまりないんだよね」

「おどれは何か、ナチュラルに天才か」

「変なキャラになっちゃってるよ」

 私の三投は17のシングル、ブル、ボード外。中心にヒットしてダーツマシンは陽気な音を出してくれたけど、隣に満点を叩き出した奴がいるとちっとも喜べない。

「次は私が指示したところに当てないと何点取っても無効ね」

「俺プロじゃないんだけど……」

「良いからやるの!」

「やれやれ……」

 アメリカンなジェスチャーも、中辻君ならしない。

「14のダブル」

「はい、あ、当たった」

「1のシングル!」

「……ごめん」

「ダブルブル!」

「当たるな当たるな当たるな……当たっちゃったよ」

「こっち見ないで」

「ちゃんと当てたのに怒られてるよ俺」

 カウントアップでは指示したところに投げさせたせいで勝てたものの、他のルールでは軒並みボコボコにされてしまった。

 疲れた私たちは満喫の個室に入った。私はクッションを抱いて壁にもたれた。

「昔はこんなに強くなかったのになあ……。鍛えでもしたの?」

 あ、良くない質問をしてしまったな、と後悔した。中辻君から小暮君までの変化についてはあまり聞かないことにしている。

「得意と不得意はそれなりに調べたね。前の俺はまめに日記というかエッセイというかを付けるタイプだったから、むしろ彼のようにならないように彼にできないことを中心にはしてきたかもしれない」

 藪蛇だっただろうか。小暮君の表情には揺らぎは見えなかった。だから、あえてもう少しだけ尋ねてみることにした。

「そこには、私たちの探してるミカについては記されてなかったの?」

「確かな形で残ってるのは小学校高学年に入ってからだからな。あ、でも、今ので思い至ったんだが、そのミカは、白井実花よりも前に逢ってる可能性が高いな。白井実花の名前を前の俺が褒めたのも、ミカって音の響きに惹かれたと考えると納得がいく」

「そんな大昔の相手を苗字も分からずに探すなんて、やっぱり難しそうだね」

 そう言ったや否や、小暮君は私の目をじっと見つめていていて、ドキリとした。

「な、何」

「あの夜、俺は愛世を見て、迷わずにそっちに向かったんだ。言ったよね。〝俺は昔、君に逢ってる〟って」

「でもそれは、小暮君の記憶の中に残るかつての私の面影を見出したんじゃないの?」

「だけどそれだと、その後俺は愛世に愛世ではなくて、ミカを名乗らせたんだ。よりによって、以前の俺を殺して、今の俺を作るほどの衝撃を与えた人の名前を。それだけ俺にとって、愛着のある名前なんだ。きっと、きっとどこかにその片鱗はあるような気がするんだ」

「誰かと勘違いしていたり……しない?」

「そうかもしれない。こんな記憶の曖昧な奴が言うセリフだから、妄言でしかないのかもしれない」

 さっきまでの気迫はすっかりなくなってしまって、小暮君は肩を落とした。

「ちょっとさ、気分転換に明るくて静かなところに行こうよ」

「明るくて静かなところ?」

「近所の図書館が最近改装されて、とても綺麗になったの。休憩スペースもできて、晴れやかな気持ちになれるんじゃないかな」

「じゃあ、行ってみるか」

 小暮君のそんな素直さが好きだった。私たちはビルを出て、並木道を少し歩いた後、綺麗に舗装された石畳の上を行ってモダンなデザインの図書館に足を踏み入れた。まるで美術館かと思いそうな内装に、ブックカフェのようなお洒落な造り。実際、どこかの喫茶店と提携もしているらしく、飲み物を楽しみながら借りた本を読んだりすることもできるらしい。

「近くにこんな良い建物が出来てたなんて知らなかったよ」

「図書館自体は前からあったけどね、ここまで変わってたら、最早別物に思えるかも」

 私たちは幾らかのコーナーを見て回った後、ガラス張りの展示コーナーのような場所に行き当たった。

 その矢先のことだった。

 小暮君は左のこめかみに手を当て、痛みを耐えているような仕草をした。

「ど、どうしたの」

「あ、愛世――ミカ――」

 焦点が定まらないかのようにぐるりと白目を向いた小暮君は、そのままその場に倒れ込んでしまった。

「すみません! 誰か、救急車、救急車を!」

 私がそう叫んでいる間も、痙攣した彼は「ミカ、ミカ」と繰り返しその名前を呼んでいた。

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