第28話 臆病者の闘い

 さすがに最終面接の日まで同じ、ということはなく、けれど彼女の連絡先は知らなかったから、手をこまねいていた。

 面接の部屋で私を迎え入れてくれたのは人事部長の男性と若い女性で、どちらもまろやかな人当たりだった。

「では、最後になりますが、田中さんの夢を教えてください」

 思わずぽかんとした。これまでは会社や業界についての知識や、キャリアの見通しのような手堅いことを聞かれていたのに、小学校や中学校で耳にするようなとても曖昧な質問が飛んできたのだから、上手く思いつかない。

 夢、夢、夢……。そんなものがまるでないから、普通の民間企業に応募するのではないの。それともこれも、キャリアと絡めて答えないといけないという面接の基本なの。

 当惑する私を見てか、女性の方が「この質問は私も受けましたよ。この時代ですから、昇進したい人、稼ぎたい人、プライベートも充実させたい人、色んな人がいて良いと思いますし、それを許容できる器であることが、ミスマッチを生まない重要なエッセンスだと我が社は考えているんです」

 ここの会社だって利益追求は目標だろうに、さまざまなあり方を認めようとしてくれる姿勢は、今まで受けてきた企業が霞むような衝撃を与えた。

 夢……今の私が考えるそれを、現時点での私の願いを、将来に達するまでのものと見做して良いんだろうか。まだ出逢ってそんなに長い時間が経ったわけでもないのに、未来と結びつけてしまうことには、抵抗感はある。でも、全くの嘘をこの人たちに対してつくのは、嫌な気がした。

「私は……もちろん、御社のために精一杯働きたいと思っています。正直に申し上げて、この先結婚するかもしれないとか、子どもを欲するかもしれないという気持ちは、自分の中で、そんなにハッキリとはしていません。でも全くそれを考えないでいられるほど、自分を先進的な女性だとも思いません。できるかはさておき、きっとそれを望む気持ちは湧いてきて、その時はきっと、御社の福利厚生に頼りながら、仕事と家庭とか、育児とかの両立を考えるだろうと、思います」

 ここまで赤裸々に述べて良いのかは、分からなかった。でも何を聞かれてもバリキャリでいようと思いますと答えるのは、さすがに嘘が過ぎるし、それで落とすのだとしたら、社畜でないと働けない企業だってことだから、落とされる方がマシだろうと思った。

 男性の方は表情を変えなかったけれど、女性の方はよりやわらかな顔になった。

「分かりました。とても正直に答えていただき、ありがとうございました。我が社としても、田中さんの採用について前向きに検討していきたく思います。正式な合否通知については、これまで同様、メールにてお伝えします」

 私は他の会社にする以上に丁寧な気持ちを込めて挨拶をして、部屋を後にした。


 実花ちゃんを見かけたのは、それから三日ほど経った昼過ぎのカフェテリアだった。ひょっとすると、今までも彼女はそこにいたのかもしれない。実花ちゃんのような住む世界の違う人間を目にして、無意識に意識の外に押し出していた可能性だって、否定はできなかった。

 どれほど多くのものを取りこぼしてきたのか。私が知ろうとしていれば、知れたことがもっともっとあったんだろう。

〝サントーカ〟

 ふいに彼の声がよみがえる。知らない世界に導いてくれた人。あの日の続きをちゃんと歩いていたら、私はもっと、強くて素敵な人になれたかもしれない。小暮君が書いていた図には、中学から大学までの私の情報は不要だったから書かれていなかったけれど、そもそも何ら特筆すべきことはなかった。

 私は元来、踏み出そうとしない命。それは穏やかな時間をもたらすようで、やんわり滅んでいくだけのことだった。

「み、実花ちゃん」

 まるで想い人に勇気を出して声をかけるような上ずり具合に、自分の臆病さが感じられて嫌だ。別に実花ちゃんに直接話しかける必要なんてなく、他の方法だってよく考えれば見つけられるんじゃないのかと、話しかけてから色々考えてしまうのも、情けなかった。

「あら、愛世ちゃん、久しぶり」

 今日も変わらずお美しい、と思わず侍従のような感想を抱いてしまう。まずもって輪郭から綺麗だ。顔のパーツの一つ一つがどれも最高の造形で、寸分違わず万人に美しいと言わせる配置になっている。それでいてスキンケアやメイクも怠らず、素材の良さを最大限に活かしていることがすぐに分かる程良さ。一瞬こんな女性と喧嘩をした中辻君が馬鹿野郎だ、と責めたくなる気がしたものの、それは本当に外面的なもので、内面とは比例しないのだと言い聞かせた。

「愛世ちゃんは最終面接どうだった? 私、一昨日だったんだけど、上手く出来なかったかもしれなくて、ちょっと沈んでたの。愛世ちゃんに話しかけてもらって、だいぶほっとした」

 中辻君を挟まなければ、良い友達になれ……たかもしれない。いや、これが悪げなく放たれた一言だとしても、多くの一般女子は勝手にメンタル削られると思う。それが単なる嫉妬でしかないのは分かっているとして。

「私は、うーん……自信は今まで落ちた会社とそんなに変わらないと、思います」

 行けたと思ってダメだった時のショックを大きくしたくなくて、いつからかどんな面接でも宝くじを買った時の受け止め方をするようになっていた。当たる方がむしろ有り得ないことなのだと思わなければ、心が壊れてしまう。

「あれ、そういえば面接の結果ってそもそも伝えてなかった気がしますけど……」

「愛世ちゃんならきっと受かるって思ってたから」

 この顔になら、嫌味を言われても嫌いにはなれない、そう答える人も出てきそうだ。

 私はこの人の――敵。だから、素直に受け容れられない。もし、彼に一方的に悪い点があったのだとして、私は彼の……小暮君と中辻君の味方でいたい。

 世界中のみんなが実花ちゃんの肩を持つとしても、どれほど実花ちゃんが正しい心根の持ち主だったとしても、私だけは、あなたの敵でいなければならない。

「あ、あの、就活の話も良いんですけど、今日はその、実花ちゃんに、アドバイスがもらいたくて、ですね」

「アドバイス?」

 どこにどれだけ地雷が埋まっているか分からない。そこに無防備で突っ込んでいくというのだから、バカにも程がある。別れて以降二人が接触したことはないらしいから、今の実花ちゃんが小暮君に何かするとは思えないけど、この行いがスイッチを押すのと同義だって可能性は十分にある。圧倒的に不利な状況下で欲しい情報だけを引き出すような真似が、果たしてこの私にできるだろうか。

「最近その、付き合ってる人というか、恋人というか、彼氏というかができまして……」

 全部一緒だろ、と心の中でツッコミを入れる私。そもそも花奈以外にこんな話をする日が来るとは思いもしなかった。それが新しい友達というのなら、どれほど幸せで、楽だったことだろう。まるでスパイでもやっているような気がした。実花ちゃんは私と小暮君の関係を知らないから、私だけが裏切ることになっている。中辻君と親密にしていた期間を知らず、二人の間にどういうやりとりがあったのかも知らないまま、一方的に敵だと決めつけて、敵対しようとしているのだから、どこまでも小物な感じが否めない。

「わあすごい! それでそれで、その人と何か上手く行かないこととかがあったりするの?」

 ほんのり首を傾げるだけで、真っ直ぐの黒髪がさらりと垂れる。美醜の差だけで全てに負けそうな気がする。それでも、私は私と愛する人のために、みっともなくあがきたい。

「いえ、彼に何かあるって言うより、私がその、気後れしちゃうって言うか。彼はとてもできた人で、だから私の至らなさが際立っちゃって、気持ちが沈んだ時に、私なんかといて幸せなのかなってつい考え込んでしまうんです」

 実際これは全くのでっち上げというわけではない。むしろガチガチに台本を決めてきたら、実花ちゃんの前では頭が真っ白になる気がした。それに、全てを偽りにできるほど、私はこの人を憎んでいるわけではない。ただ、愛することは、できない。この人は彼を、幸せにはしてあげられなかった人だから。

「実花ちゃんは付き合いたての時にそういう不安に陥ったりすることって、ありました?」

「そう、ね……」

 両手の五指の腹をやんわりとくっつけて、ほんのり首を傾げて思案する姿は、同性の私も一瞬恋に落ちそうになった。美しい人がただ幸せになる世界。その方がずっと綺麗でたまらないというのに、私のような人間もまた平等に幸福を追求する権利があるせいで、きっとこの世界が歪んでいる。

「私はカレに運命的なものを感じているから自分の気持ちを疑うってことはなかったけど、カレが私を同じくらいに信じてくれているかは、不安で仕方ないことはあったかも。カレは確固たる自分を持っていたから、いつか私が要らなくなる日が来るんじゃないかって恐さがね」

 下がった眉に嘘は読み取れなかった。まるで、今でもまだ付き合えているかのような言い方に、きゅっと胸が締め付けられる。

 もし、中辻君の記憶が戻ったら、彼はどう動くんだろう。

 唇が震える。もう、その可能性はあまり高くないとは思っている。あのシールを貼ったのは小暮君ではなく、中辻君だった。ミカという響きに嫌悪感を覚えるのも、そちらの方だ。それでも、一抹の不安が残る。

「実花ちゃんはその不安を、どう乗り越えたの。彼氏さんとはどんなふうに付き合いはじめて、どんなふうに今日まで歩んできたの」

 だとしても、私は向き合う。私の、意志で。臆病なまま踏み出さなければ、私はただ弱いだけで終わってしまう。

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