第25話 本当は何処に

 ミカちゃんと受けた二次面接はまさかの通過だった。最終面接の日程が記されたメールを見て、私は思わずミカちゃんの結果も知りたくなってしまった。でも、あの狂気にもう一度触れる勇気はない。

 どうせ合格しているだろう。

 でも――もし、彼女が落ちて、私だけが合格していたら……。

「選ばれることにどうしてここまでコンプレックスを抱くようになったんだろう」

 全身鏡の前に立って、自分を見つめてみる。美しいとはとても言えないが、醜い化け物だと貶めるつもりもない。


「ねえ、私はどうしてあいせっていうの?」

 母は美しい人だった。容姿も、内面も。

「愛世の『せ』は世界の『せ』。愛世の『あい』は愛情の『あい』。まだ愛世には難しいかもしれないけど、世界中のみんなを愛せるような人になってほしいなって思ってパパとつけたのよ」

 母は今も美しい。平均的な家庭で平均的な暮らし。何の病も患っていなければ、夫との仲も良好。時々送ってくれる仕送りには文末に「いつでも帰っておいでね」と書き添えてくれる。私には到底真似出来ない美しい字で。

 母を疎ましく思ったことはない。でも、私とは違う人種であるとは思った。父もまた、母ほど容姿の整った人ではないけれど、人として尊敬するに値する、聖人のような人なのは間違いない。

 こんなふうにお酒に溺れて、行方の知らない恋に身をやつしているなんて知ったら、どれほど嘆き悲しむだろう。


「あいせちゃんって変な名前」

 悪意はなかったと思う。だってまりあちゃんは純粋な眼をしていたから。

「どうして? ママとパパがあいせのこと思ってつけてくれた名前なのに」

「だって、あいせちゃんって名前、他に聞いたことないもん」

 受け取り方次第では、喜べたのかもしれない。でも、その時の私はダメだった。その時から私は自分のことを「あいせ」と呼べなくなってしまった。母はそんな私の呼称の変化に気付いていたんだろうか。単なる成長と感じたんだろうか。

 無垢な言葉に毀されてしまった私の心は、その時アイセを生んだのかもしれない。

 もう二度と、愛世を泣かせないために。


「私、何なら満足できたんだろう」

 左手で頬杖をつきながら、コーラを啜る。この化学的な飲み物は私を肥らせて止まないというのに、お酒以上に欲してしまう瞬間がある。

「哲学的な問いだね。また」

 小暮君はポテトを口に放り込みかけた手を止めて言った。

「だってね、私って、キラキラネームまではいかないけど、特殊な名前じゃん」

「弓弦もまあまあ珍しい名前だから気にしたことないけど」

「考えようによっちゃ、私のこと愛して、みたいに聞こえたりしない?」

「良くない? 俺は愛してるけど」

 さらっと言われて、思いきりむせた。中辻君なら言わない。歯の浮くようなセリフを言っても今は可笑しくない顔に育ったのもずるい。あの頃はませた奴だな、と思って終えられたのに。というか、中学生から大学生になるまでの間にどんな成長の仕方をしたら、こんなイケメンに変わるんだろう。

 でも、その変化は今後も起きるだろう。

 記憶が戻ったら、この時間はどうなるんだろう。主人格と副人格という形? でもそれは、ここで同じ刻を共有した私とあなたではない。

「恥ずかしいよ。こんな人前で」

 だけど未来を恐れて今を無下にするのもまた、私にはできそうにない。

「俺は思ったことを言っただけだよ。そんな大声でもないし」

「まあ、そうだけどさぁ……」

 本当のあなた。本当の私。そんなものがいやしないことには薄々気付いている。小暮君も中辻君ではあるのだ。時折見せる自分という存在の不確定さへの不安は、きっと中辻君が抱き続けたものだろう。同じ脳を使っているからとかじゃなく、きっと同じ道を歩んでいるんだ。それはとても大きな幅の道で、私もまた、その前か横か後ろかは分からないけど、あなたと関わったという事実が、そこには存在している。

 でも、そこでどんな立ち居振る舞いをするかは選べる。あなたがあなたでなくなった時、私を気遣ってそういうフリをしてくれるのも嫌だし、私をあっさり見捨てるのも嫌だ。

 普通の始まりではなかったからこそ、終わりがあると思って接していかなければならない。いつか終わると覚悟して始める恋なんて、ないはずなのだから。

 彼の眼をジッと見据えていたら、目元をそっと指ですくわれた。

「俺、デリカシーなかったかな」

「違う、違うの」

 あなたを見ているようで、遠い記憶の彼方にいる彼を見ている。果たしてそれに、あなたは気付いているだろうか。聡い人だ。きっとそれも、お見通しだろう。

 私はあの頃、彼が好きだった。でも私はその気持ちに気付かず、伝えることすら思いつかなかった。たとえミカちゃんという叶いやしない競合がいたとしても、私はあの時言ってみるべきだったのだ。そうすれば今、遺憾なくあなたといられるかもしれない。

 理想を言うなら、彼の記憶が戻り、それでいてあなたのようにやさしく振る舞ってくれることを望んでいる。有り得ない話だろうに。

「愛してるってハッキリ言ってもらえたのが、ちょっとずつ実感として嬉しく思えてきて」

 ねぇ、ミカ。彼を形作ったという貴女はどんな人なの。私は今、貴女が憎い。ミカちゃんでもなければ、ミカを騙ってみせた私でもなく、原初の貴女が赦せない。

 舞台の上にすら立たない貴女が、ミカちゃんと中辻君を、そして私を結びつけたというのに。貴女は今、どこで何をしているの。

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