第24話 幸せを茶化す人

 私たちはなぜか河原で水切りをしていた。小暮君は中辻君と違ってとても上手かった。あれから練習したのか、記憶? 人格? が違えば身体の使い方も違うのか。人格が変わると体つきまで変わるという話を聞いたことがあるけど、それと同じ原理だったりするんだろうか。

「デート行こうよ」

 あまりに突然と言うものだから、思わず「へ?」と聞き返してしまった。石は手から離れて少し遠くに着水した。チャポン、という音が見事に私の動揺にマッチしている。

「思えば愛世と思い出作りってまだあんまりしてないなあと思ってさ。こっそり国立西洋美術館のチケット二枚取っちゃいました」

「こ、行動力……」

「絵を観るのは嫌い?」

 中辻君と小暮君とは、随分違う。夏の風を受けながらクラスの隅っこで本を読んでいた寂しげな少年と、愛を語らったりからかったりする無邪気な青年。

「そうじゃないけど。どこ行きたい? とか普通は聞くもんじゃないのかなと」

「でも愛世のスマホケース、真珠の耳飾りの少女だし。美術好きなんだろうなって思うから」

「まあ、ね? それはそうだけど。デートなんてロクに誘われた経験なかったから、驚いちゃって」

「俺のスマホにはさ――」

 小暮君の投げた石がまたシャッシャッと跳ねていく。

「絵がたくさんあった。芸術家の描いたものから、イラストレーターの作品まで。拙いけど、自分でも何枚か描いてたっぽい。俺さ、自分が何なのか分からないんだ」

 誰だって自分が何者なのか分からない、そう思いはしたものの、過去の出来事が全く思い出せないという恐怖がどんなものかは、想像がつかない。

「それっぽい夢はさ、時折見るんだけど、それが脳の働きが見せる単なる信号なのか、自分の身体を返せっていう本当の自分の叫びなのか、分からないんだ」

 本当の自分。小暮君は自分を偽りの存在、いてはならない者だと感じているんだろう。

「だったら、なおさら昔好きだったものを観に行くなんて、辛いことしなくても」

「でも、俺は空っぽなんだ。何が好きか聞かれて、これが好きだって答えられるもの、ないんだ。……愛世は別だよ。でも、正直に答えてほしいんだけどさ、俺が中辻弓弦じゃなかったら、付き合ったりしてなかったでしょ。接点がなかったらきっと、俺なんかとは……」

 その笑顔には悲しみが乗っていた。その瞳を真っ直ぐに見つめて、「そんなことないよ」と返す胆力も、度胸もない。

「俺は彼の可能性の一つなのか、全く別の何かなのか。彼が好んだものを見る中で、知っていきたいんだ」

「小暮君は……中辻君じゃないよ。水切り、下手だったもん」

「俺は、俺じゃない気がしてならない」

 ずっと押さえていたんだろう。私を抱いた時でさえ流さなかった涙が、今突然溢れ出たのは、私が過去を口にしてしまったからだろう。一人の青年が泣くのを現実で見るのは初めてだった。

「だったら――私じゃない女の子と付き合えば良いんじゃないかな。ミカって存在を全く思い出さない、完璧な別人と」

「もう気付いてるかもしれないけど、あの写真にシールを貼ったのは俺じゃないんだ。俺がハッキリ俺になった時には、もう既にあった。でも不思議な話じゃないか? 相手が憎いなら、さっさと処分したら良い。それをわざわざシールを貼ってまで目立つ箇所に置いたままにするのは、彼が彼女を深く愛していた証拠なんだと思う――ごめん、こんなこと言ったら、愛世傷付くよね」

「そうでもないかな。昔の中辻君はもっと切れ味があったというか、シャープというか、ちょっとデリカシーに欠けるところがあったかな。自分が賢いからって、人を見下してる節があったし」

「嫌な奴だったんだね、俺」

「それが、そうでもないんだよ。私、友だちそんなにいない割にほとんど覚えられなくて、それが少しの間だけ一緒に過ごした中辻君を覚えてるって、よっぽど良い人か、稀有な変人だったか」

「今になって意趣返しされるかあ」

 私ももう一度やってみるかと小石を掴むと、眼前にボチャリと投げ落とした。世界よ。これが砲丸投げ逆記録王者の実力よ。さっきのは別に単に驚いて失敗したわけではないらしい。

「俺の世界には愛世しかいない。でも愛世といればいるほど、俺はかつての自分を取り戻していく気がする」

「だったら、どうしてあの日、私にミカって呼ばせたの?」

 花奈に指摘されて気になっていたことをようやく聞けた。小暮君は困ったようにつむじの辺りをかいた。

「それは、分からない。でも愛世や俺が知ってるあのミカと違うのは、間違いない。ひょっとして、あのミカと関わるきっかけになったのも、先にミカって名前を知っていたからかもしれない」

 誰も知らないミカ。

「何だかもう、女神様みたいな話だね」

「ある程度記録を探ってみたけど、ミカで出てくるのはあのミカだけ。でも、あの時愛世にミカって名乗ってほしかったのは、未練がましさからじゃないと思う。あの時、俺はすごく、素直な気持ちでいたから」

「じゃあその運命のミカさん、探そっか。その人ならきっと、記憶が戻ったとしても、扶けてくれるかもしれないし?」

「だけどそれじゃ、愛世が――」

「私は半分、人生捨てたようなもんだから。誰かを救えるなら、それはそれで、幸せなことだと思う」

(嘘吐き。大嘘吐き)

 アイセが後ろ指を差している。見なくたって分かる。だけどもう、私には自分だけを幸せに出来る方法を、忘れてしまったのだ。

「それに見つかる可能性の方が低いのに賭けるよ。今までが奇跡の連続みたいな話だっただけ。私は小暮君も応援するけど、自分の幸せもちゃんと追求するから」

(そうやって良い子ぶって、何が楽しいの)

「だから見つからなかったら、小暮君、私と結婚ね!」

 ああ、私はこうして、幸せを茶化して逃していくんだ。反応に困るあなたの横顔を見ながら、「ごめんね」と心の中で謝った。

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