第23話 愛世はとっても女の子

「はぁー、あの愛世がついにねぇー」

「別に何もなかったんだって」

「もうちょっと隠そう?」

 ぼぼぼ、と顔が火照る。いや、これはお酒のせい。肌が白いから簡単に紅くなるだけ。

「良いんじゃないの? こじらせて厄介な奴になるより、よっぽど健全なことじゃん」

「それは、そうかもしれないけど……」

 レモンサワーが注がれたジョッキを両手で持ちながら、唇を尖らせる。こんな女の子みたいな仕草を自然としてしまうのは、私が女の子だったからなのか、恋のせいなのかは分からない。

「で、でもね、スタートから歪だからか、ちゃんと付き合えてるのかなとか思っちゃったり……」

「逆に考えてみよ? 付き合ってもない奴と寝ちゃったの?」

「ちょ、ちょっと、声大きいって」

「うちはスタートじゃなくて、ゴールがどうかしか考えてない。これ、何人か付き合った上でうちが導き出した結論ね。付き合うことになった理由とか、流れとか、過去にどんな人だったかとか、不可抗力の部分が多いじゃん。それよりこれからうちのために何してくれるのかとか、うちと一緒にいてくれるのかとか、先のことを考えるよ。まあ、うちも良い相手を捕まえられてはないけどね」

 熱燗をくいっといく様はとても豪快だけど、いざ付き合いはじめると花奈はとても女の子になるのは知っている。それを揶揄する子もいたけど、私がカレシだったら、その方が嬉しい。私が頑張っても出せないものを相手に求める。その分だけ、私も相手には出せないものを提供する。それが私の理想の恋愛の形だから。

「にしても、不思議な話ね。偶然再会した相手が昔仲良くしてた人で、記憶がまるっと抜けてるなんて」

 私ならとうの昔に潰れるほどアルコールを入れてるはずなのに、花奈は私の話した内容を見事に把握している。

「あれ? 思ったんだけど、変な点ない?」

「変な点?」

「カレシ君が記憶をなくす前に付き合ってたのがミスコンのミカちゃんなわけじゃん」

「うん」

「で、何でか分からないけど、二人はもう別れてて、愛世の見立てだと二人の破綻が記憶喪失のカギになったわけでしょ」

「だと、思ってる」

 具体的な理由までは踏み込んで聞けない。関係は持ったとはいえ、彼と私との間にはまだあまりに大きな隔たりがある。

「だったら、愛世にミカって名前を名乗らせるのは変じゃない? だってショックの原因でしょ?」

「確かに……」

 そもそもその名前は小暮君にとって、中辻君を喚び醒ましかねないNGワードのはず。消えることを恐れるはずなのに、わざわざミカにしたのは、何故なんだろう。

「まだ愛世に言ってないことがあるのか、あるいはミカって名前そのものに何か別の意味があるのか」

「え、それだと話が振り出しに戻っちゃうんだけど……」

「でもさ、ミカちゃんは愛世の可愛い可愛いカレシ君とは結局無関係なわけじゃん。だとしたら、ミカちゃんとは違うミカがいたっておかしくはないでしょ」

〝俺は、君に決して赦されないような真似をした。でも、身勝手だとしても、謝りたかった。最後に覚えているのがあの日の顔っていうのが嫌だったんだ〟

 彼は初めそう言ったけれど、今から考えれば、おかしい。

〝それも記憶じゃなくて、色んな人に聞いたり記録してあった情報から吸い上げたものだけど〟

 彼には中辻君としての記憶がない。ミカちゃんに謝りたい気持ちを持っていたとしても、その感情はどこかから吸い出したデータでしかないはず。

 ミカちゃんへの執着は多分、彼の中にはない。

「でも、彼には他のミカなんていないはず……」

「嘘を吐いてるって言ったら失礼かもしれないけど、記憶がほとんどない割には強い意志を持って愛世に話しかけたっぽいし、まだ伏せてることがあるとしか思えないんだよね、うちには」

 確かに。

〝君が本当のミカじゃないことは、もう気付いてる〟

 あの言い方も、正確には「最初から分かってる」のはずだ。

〝君――アイセさんはきっとにとってあまりにも大切な人だろうから〟

 彼とは間違いなく、中辻君のことだろう。でも私と中辻君との接点は中学時代のあの僅かな時間だけだし、あまりにも大切な人と表現されるのはおかしい気がする。

 そうだ、ミカちゃんではないのだとして、私が確実に当てはまるとは限らない。

「信じられなくなってきた、って顔してるよ、愛世」

「だ、だって……」

「誰かを100パーセント信じるなんて土台無理なわけよ。どんなに素敵な人だったとして、うちらが老けて、ピチピチの女の子に全部投げ打ってすり寄られたら、男なんてコロッと傾いちゃう可能性はある。それをさ、何かよく分かんない倫理観とか常識とかで縛って押さえつけて、我慢したり、本当に相手のことを大事に思って裏切らないようにしてみせるだけなんだって。ふらふらしてるようで、愛世、カレシ君のことずっと考えてあげてるんだから、立派に恋愛できてるよ」

 立派に恋愛する。そんな感覚、初めてだった。いや、ここしばらく、ミカちゃんとか彼とか、非凡な存在と関わり続けたからか、普通の発想が持てていなかっただけかもしれない。

 私はグッとレモンサワーを飲み干して、すぐさまハイボールを頼んだ。

「良い飲みっぷりじゃん。そのままの勢いで彼の家行っちゃえ。今が一番楽しい時期なんだから、精一杯羽目外しちゃえ」

 花奈は味方じゃないかもしれない。でも、そんなポジティブな投げ打ち方は自分の中からは生まれない気がするから、ありがたくアドバイスとして受け止めることにした。

 それからガッツリ酔い潰れた私は、花奈にスマホを奪われた。何やら文字を打っているなと思って取り返せば、妙に色気付いたメッセージが送られていた。

〝友達と呑んでたんだけど、酔いつぶれちゃった。迎えにきて?〟

 ご丁寧にぐったりした猫のスタンプまで添えてある。

 あっさり既読がついて、〝どこのお店?〟と送られたから、素直にお店の名前を書いた。

 二十分ほどして、店の前にいると連絡が来た。相当慌てて来てくれたのか、息が上がっている。

「ごめんれ、この子が悪ふざけしちゃって……」

「可愛いでしょ、うちの親友」

「そうですね、とっても」

 当事者をさておいて可愛いとか言わないでほしい。余計に顔が紅くなる。視界がぐらついて焦点が定まらない。

「では、後は俺が責任持って連れ帰るので」

「あ、待ってカレシ君」

 花奈はそっと彼に耳打ちした。ほんの少し距離が近くなっただけで、むう、と感じる。自分がここまで独占欲が強いなんて知らなかった。

「なるほど」

「じゃ、頑張って」

「どうも」

 会釈した彼に「何て聞いたの」と言ったものの、「何も」とはぐらかされてしまった。この手のひらの上で弄ばれるような感覚は、どこか遠い過去に味わったものに似ている気がする。

 彼に手を引かれて歩く夜の道は、どんなに酔った帰り道よりもあたたかくて、寂しくなかった。

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