第18話 世界が一人を選ぶなら

 その手札でどうやったら負けるんだ、みたいな勝ち確の状況からだって、ポンコツが闘えば負ける。メンタルが弱っちくてもいけない。

(ははっ、やっば、ここまで深くえぐられるとは、思ってなかった)

「思ってたとおり、本当に素敵。お似合い。今度また一緒にご飯食べることがあったら、またたくさんカレシさんのお話聞かせてくださいね」

 疵口にナイフを突っ込んで、グルグルかき混ぜるような感覚。なんでそんなことしたかって? 酔ってたからだよ。他に理由はない。

「うん、もちろん。何だか愛世ちゃんにだったら、いくらでも惚気られる気がする。なんでだろう?」

「私たち、相性が良いのかもしれないですね」


 思ってもいないことをわざわざ口にすると、思っている通りになる。そんなどこから聞いたのかも分からない迷信を信じている時期があった。

「へぇ。それは初めて聞く。夜爪とかと同じ理屈なんだろうか」

「ヨヅメ?」

 高架橋の下。私たちはなぜか川辺で水切りをしている。

「夜に爪切っちゃいけないって言われたことない?」

「ない。なんで?」

「さぁ。昔は夜が今みたいに明るくなかったから、危ないからやめとけってアドバイスから来てるんだろうと思うけど、いつの間にか親の死に目に会えないって迷信に変わったんだってさ。その方がまともな理屈より効いたんだろ」

「ふぅん」

 中辻君の水切りは、とても下手だった。


「愛世ちゃん、具合悪そう……。ちょっと無理してるんじゃない?」

「あぁ、そうかも……。ごめんなさい、今日はちょっと、帰らせてください」

「友だちなんだし、いつでも話できるんだから、ほら、行こう?」

 私はミカちゃんに介助されながら店外に出た。

「家には自分で帰れると思うので、先、行きますね」

「うん。ありがとうね、今日。たくさんお話聞いてくれて」

「お友だちですから、私たち」

「そうね」

 ミカちゃんは美しく咲く一輪の花。でもその周りには、他の花は全く存在しない。仮面でない素顔の自分で全てをなぎ払える彼女に、真っ向から対立できる存在なんてありはしない。

 私はカバンからスマホを出して、コグレ君にいきなり通話をかけた。いきなりだし、繋がるはずないよね、と思って諦めたところで、「ミカ?」と返事がした。

(ミカじゃないよ。私、愛世だよ)

 こらえていた涙があふれて止まらない。止めてくれる人の中に、私はいないのに。他の誰にも止められないと思っている。情けない。

「ちょっと辛いことがあって、今日、会えないかな」

「大丈夫、会える。どうしたら良い? 俺がミカの家に行く? それとも、うちに――」

「私の家に来て」

(ああ、ダメだ。それだとミカちゃんの家に行っちゃう。でも、たとえシールで封印されていたとしても、あの写真を今見るのは、厭だ)

 彼がどこまで私とミカちゃんを混同しているのかは分からない。ただ、変な可能性は少しでもつぶしておいた方が良い。

「最近引っ越したから、前のおうちじゃないからね。新しい住所は、まだ言ってなかったかな」

「うん、聞いてない」

 これが嘘だと分かっているのか、本当だと思っているのか、今はどうでも良かった。彼が私の元に来る、それだけが重要だった。

「じゃあ住所トークで送るから、なるはやで来て」

「分かった」

 東京を歩く人は、泣いている女の子に慣れている。誰も私のことを訝しんだりしない。それが今の私には、ありがたい。

 新しくも何ともない住所を書きつけて、乗り慣れた路線を使う。酩酊した時と同じくらいの感覚で帰りつくと、玄関で意識が途絶えた。


 真っ暗。

 もともとむくんでいた状態で家を出て、泣き腫らして帰ってきてほったらかしてたから、顔の張りはものすごく強い。

 すぅ、すぅ、と寝息がして、隣を見ると、コグレ君が眠っていた。外着のままベッドに入られるのは嫌なタイプだけど、呼びつけたのは私だ。文句は言えない。

(今何時……)

 枕元に伏せられたスマホを持ち上げて時間を確認する。23時を少し回っていた。最低でも5時間は寝ていた計算になる。

(やることなくて暇だったよね、ごめんね)

 頭を撫でようとして、やめた。

 寝顔はとても綺麗に映るのに、心が彼をとても醜いものとして捉えたがっている。

 違うよ、私。誰にだって過去はあって、私にたまたまカレシが一度もいなかっただけで、そんなこと言ってたら、誰とも恋愛なんてできないんだよ。

〝愛世ちゃんはさ、この人のためになら死ねるなって思ったこと、ある?〟

 指紋でベタベタになった画面を見るみたいに、嫌な気持ちになって、眉根がピクピクと震える。辛さを第三者的に感じてから、当事者として痛感する。二度の痛みに刺されるのが、私という人格の個性だ。アイセが受け止めてくれていなかったら、きっとそれが三度に増えていただろう。

「ないよ、私は。そんな重い気持ちを抱いたこと」

 もう余分な水分は残っていないのか、涙はこぼれない。

 でも、泣きたかった。仕方がないから、唇を噛んだ。

「あなたを超えるほど、この人のこと、きっと愛せない」

 世界が投票するなら、ミカちゃんと私、どっちに入れるだろう。

 きっと、ミカちゃんなんだろうな。

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